「揺るぐことなく」コロサイの信徒への手紙1章21~29節

皆さんに「忘れられない場所」と呼べるような特別の所はあるだろうか。自分の生まれ、育った家、あるいは毎日通った学び舎、遊び場、さらにたまたま旅行で訪れた観光地や国々、あるいは戦場、空襲の体験、あるいは難民キャンプ、人それぞれだろうが、「忘れられない」ということは、何らかの強い理由があるからなのだろう。因みに私は、阪神淡路大震災後まもなくの長田区、長田カトリック教会の前庭に立った時のことと、またヒロシマの原爆ドームの前に立って、被爆の廃墟を見上げた時のことである。

ある地方紙の新聞記者がこういう体験を記している。「一度だけ、原爆ドームを真下から取材で拝ませてもらったことがある。風景は忘れたが、足の裏は覚えている。れんが壁のがれきが靴底でこすれ合い、乾いた音を立てた。骨を踏んづけた気がして、鳥肌が立った。その日から、広島市の平和記念公園に足を踏み入れるたびに心苦しくなった。肌で知ったからである。石畳や地面の下には今なお息づいている―」。新聞記者だから、それまで何度も原爆の出来事の詳細を、被害のすさまじさ、悲惨さ、嘆き、怒り等、自分の足で取材し、繰り返し調査もしてきたであろう。しかし爆心地の原爆の象徴でもあるドームの真下に立った時、「足の裏」が記憶をする、という経験をしたという。真実な経験とは、そのようなものであろう。皆さんにそういう記憶はあるだろうか。

「足裏の記憶」というものがあるのか。確かに足の裏は結構敏感である。漢方では足の裏にはいろいろなツボがあって、身体のあちこち、内臓のあれこれに繋がっているらしい。そこを刺激すると、つながっている身体の部分が、活性化されたり、癒されたりする。本当かどうかは別にして、「足つぼサンダル」なるものを最初に履いた時のこと、ものすごく痛くて、とても歩けたものではなかった。そういう足裏の記憶はあるのだが。

さて今日の聖書個所は、コロサイの信徒への手紙1章である。この書物も新約の中では比較的後になって、紀元一世紀末か2世紀初頭に記されたようだ。パウロの名が記されているが、教会が生まれてからある程度の時が経過した時代の雰囲気が伝わって来る。一言で言えば、「初心忘るべからず」のような発言である。この言葉は入門したての者に向けて語られる戒めではない。能楽の大家、世阿弥の教えであり、ある程度のベテラン、稽古に精進して、既に芸を十分身に着けた人に対する警句である。23節に「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません」との勧めの言葉がある。この言葉こそ、コロサイの手紙が、ずっとパウロよりも後の時代に書かれたひとつのエヴィデンスだと言っても良いだろう。

「揺るぐな、踏みとどまれ、離れるな」は、皆さんはどうか。一心不乱にわき目もふらず、決して足を滑らさず(失敗せず)、またわが道を踏み外さず、というまっすぐな生き方を、いつもされているだろうか。しかしそういう人は、(もしいるとしたらだが)恐らく教会には来ないのではないか。但しこれは初心者に教え諭す言葉ではない。「ぶれる、ずるずると横滑りする、道を外れる」、車を運転していて、今どきの車は人間のこのような特性をご存じであって、車の走行がそのような状態になると、警告を発し、さらに力づくで修正してくれるまでになった。ところがそのような運転逸脱の事態は、まず初心者では起こらない、却ってある程度運転になれている人の特性であろう。「なれ」というものは、しばしば怠惰や不注意や自己への過信を生むのである。但し問題は、どうしたら私たちは信仰にぶれないで、希望を持ち続けることができるのか、ということである。放って置けば、人間は必ずぶれるし、残念ながら希望は風船のように、しぼんで行くのである。

24節に、過去、非常に議論の多いみ言葉が記されている「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」。「キリストの苦しみの欠けた所」という文言は、非常に危ない考え方を生み出す恐れがある。キリストが十字架に釘付けにされ、血を流し苦しまれることによってもたらされた、罪人への救いのみわざは、「不十分だった」と受け止められる可能性が生じる。主イエスはあなたのために死の苦しみを味わわれた。そのみ苦しみをただ「ありがたやありがたや」と口で感謝するばかりで、あなた自身が何も苦しまなくて良いのか。それでは余りに自分勝手だろう。これは正論かもしれない。口先だけというのは、見苦しくあさましく図々しいものだろう、しかしどうか、人間、苦しまずに生きられるという人はおよそいないだろうが、主イエスのみ苦しみと並ぶように苦しみ、そのみ苦しみに少しでも力を貸し、支えるなんてことはできるのか。主イエスの最も近くにいた最初の弟子たちも、皆、主イエスの十字架を前に逃げ出してしまったではないか。

それでも「主イエスの苦しみの欠けた所」という言葉を、今の時代に照らして、理解することができるのではないか。コロサイ書が記されたのは、主イエスが十字架で死なれてから7,80年経ってからの時代である。私たちの国も、敗戦後77年の時を経た。そしてその年月は、戦争体験の伝承、あるいは意識の希薄化を生んでしまっている。ほとんどの国民が、戦争を経験したことのない世代である。それを直にその身をもって味わった人は、どれ程それが悲惨なものか、みじめなものか、狂気であるか、地獄であるかを知って、そのありのままを語ったのである。そして何があっても、戦争を繰り返してはならない、と後の世代に告げたのである。語りべの存在、平和への道は、そこにしか開かれてこないだろう。

初代教会も同様であった。1世紀になろうとする時の経過によって、主イエスの十字架を直接目撃した人は、皆この世を去ってしまい、残された者たちにとっては、十字架の苦しみは、はるか遠くのおぼろな記憶となり、希薄になって行ったのである。そして礼拝で十字架の出来事すらも語られず、ましてや、主イエスが十字架に付けられて血を流して亡くなられたのは、人間の目にはそう見えただけだ、神の子には、苦しみなどあるはずない、そして神を信じる者にも、苦しみなど、無縁だとうそぶく「仮現説」までが、口にされるようになったのである。十字架の記憶がうすぼんやりして、まったく消えゆく恐れすらあるコロサイの手紙の時代には、「主イエスの苦しみの欠けた所」即ち、み苦しみが忘却される時代に、信仰者が置かれているのである。

こういう時代に、何を求めればいいのか。25節にこうある「神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。「務め」と訳されている言葉は、あまり適切な訳ではない。「摂理、計画」と訳す方がより適切である。主イエスの生涯がおぼろげとなり、そのみ苦しみが消えそうになる時代、その時代にも、神は計画、ただしそれは秘密の計画、ミステリを立てられており、それを私たちの見えない所で実行なさるというのである。どういうやり方によるのかと言えば、それは「福音を語る人」「福音を生きる人」を立てる、という方法である。

こういう話がある。第二次世界大戦の時、連合軍の飛行機は、ドイツの町々を猛爆撃しした。ある町の古いカトリック教会も、その爆撃によって、すっかり破壊されてしまった。やがて戦争が終わり、人々は教会の復興にとりかかったが、くずれ落ちた煉瓦や石の柱、粉粉になったステンドグラス の破片を取り除いていくと、下から大理石の彫像が出てきた。 それは有名な彫刻家の作ったキリストの像で、 この教会の名物になっていたものだった。あの爆撃で建物の下敷きになって倒れてしまっていたのである。「あまりひどく傷ついていなければいいがと心配しながら、注意ぶかくそれを掘り出した時、人々はがっかりしてしまった。キリストの頭の部分と胴の部分は、ほとんど損傷を受けていなかったが、両手は完全にもぎとられて、しかも粉々になっていた。教会の人々は集まって、これをどうしたらよいかを相談することになった。ある人は言った「こんなみつともないキリストは、新しい教会堂には置けない」。他の人はこう言った「なんと言っても由緒ある芸術作品なのだから、補修して置くことにしよう」。また別の人は「同じ彫刻家に頼んで、新しい像を作ってもらおう」。議論はなかなか尽きなかった。すると今まで無言のまま、みんなの意見に耳を傾けていたひとりが、こう言ったという。「わたしは、この手のないキリスト像をそのままの形で、教会の中に置くのがいいと思う。教会に集まる時、わたしたちはこのキリストを見るたびごとに、だれがキリストの手となり、足となって働かねばならないかを考えさせられるだろう。この教会が、みむねをおこなう主の手とならないならば、 キリストは手のないままで、立ちつくされるにちがいないだろう」。手のないキリスト像は、そのままの形で、教会の中におかれることになったという。

今日は「神学校日・伝道宣教献身者奨励日」礼拝である。主イエスの宣教、そして十字架の出来事を宣べ伝える者がいなければ、主イエスの救いのみ苦しみが、まったく欠けたものとなって、消え失せてしまうであろう。主イエスの手となり足となり、福音を持ち運ぶ献身者、伝道者が立てられ、さらにその人々を育てる神学校に、主が豊かな恵みを注いでくださることを祈りたい。