祈祷会・聖書の学び イザヤ書10章5~19節

いわゆる「聖書の世界」は、旧約では「オリエント、古代近東世界(Ancient Near East)」と呼ばれる地域である。メソポタミアからエジプトに渡る半円状の地域は、「肥沃な新月型地帯」と称され、世界最古の文明が生じた地域である。メソポタミアとは「河の間」という意味で、そこにはティグリス、ユーフラテスの2つの大河が流れている。またエジプトにはこれまたナイル川という大河が大地を潤し、それらの大河の流域では、豊かな穀倉地帯がおのずと形成される。

文明の象徴である都市は、人口の集中によって、徐々に支配権力が台頭するようになる。最初は小さな都市国家に過ぎなかった国が、帝国を形成するようになり、さらに領土の拡張が図られるのは、歴史の常道である。この地域は紀元前の古くから、バビロニア、アッシリア、シリア、エジプトといった国々が林立していた。経済的な豊かさは、さらなる豊かさの追求によって、互いに覇権を競い合う関係が生じる。

聖書の民イスラエルは、これらの豊かな国々の狭間にあるパレスチナに土地を得て定着した。パレスチナは、低地から高地まで高低差の激しい、険しい土地柄である。高速で平地を駆ける馬は、この地には不適であり、粗食に耐え辛抱強いロバが盛んに用いられたのも、パレスチナの自然ならではである。だからオリエントの場末とも評すべき場所が、聖書の民の定着地であり、だからこそ寄留者たちが身を寄せることもできたのである。

しかし、パレスチナはエジプトとメソポタミアをつなぐ橋梁のような場所である。覇権を競い合う国家間で、自らのアドヴァンテージを確保する拠点ともなったのである。つまり聖書の民イスラエルは、周囲に林立する諸帝国と、どのように関係を構築するべきか、常に頭を悩ませねばならなかったのである。

今日のテキストで、それらの国々のひとつ、「アッシリア」の名が記されている。「アッシリア」はアッシュルの地を意味する呼称で、ティグリス川上流,つまり北メソポタミア地域を指している。国土とその中核となった都市の名でもあり、かつそれらを神格化した神の名でもあった。そこはバビロニアの北西に位置する高原地帯であり、クルディスタンやアルメニアの山岳地帯を北の背に、メソポタミアの低地をはるか南方に望む場所にある。この土地はバビロニアのようなメソポタミア低地域と異なり、年間降水量が200mm以上あり、農業に灌漑を必要とせず、小麦を豊富にすることができた。また、いわゆる肥沃な三日月地帯の中央部でもあるため、メソポタミアとアナトリア半島、シリア、イラン高原といったオリエント各地を結ぶ交易の中継地でもあった。農耕、交易に非常に有利な地域であり、早くから文明が興隆したのも頷ける。

アッシリアは、ちょうど預言者イザヤが活動をした時代に、大帝国として最大の版図を広げ、メソポタミア全土からからエジプトに至るまでの、古代オリエント世界のほとんどの地域を支配した。この時期のアッシリア帝国の様子は、アッシュールバニパル王(前668年~前631/627年頃統治)によって設立されたとする「アッシュールバニパルの図書館」(メソポタミア北部のニネヴェのクユンジクの丘に紀元前7世紀に設立された)が発掘され、その遺物によって詳細に知ることができる。即ち、王室の記録、年代記、神話、宗教文書、契約書、王室による許可書、法令、手紙、行政文書などが発見されている。遺物の文書記録(粘土板)の殆ど(30,943 点)は、大英博物館(ロンドン)に保管されている。

また「アッシュールバニパル王のライオン狩り」名づけられたレリーフをはじめとして、王宮の壁面を飾ったたくさんのレリーフ(軍事、国際関係、王の事績等が描かれる)によって、生活の実際をもリアルに知ることができる。発掘されたレリーフは非常に写実的であり、現代の目から見ても、優れた描写がされていることが分かる。ただし、アッシリアの政策が極めて非情で情け容赦のないものであったと判断されるのも、視覚的な情報によるものが大きいともいえる。

今日の聖書箇所では、アッシリア帝国が、周囲の国々のおごりや傲慢を打ちたたくために、神ヤーウェが遣わす「怒りの鞭、憤りの杖」だと語られる。その残忍さは、神の意図をもはるか凌駕し、逸脱、暴走しているとまで語られる。13節にアッシリアの王の言葉として、自らの手の力と知恵を誇り、世に怖いものは何一つないかのようにふるまうアッシリアの実像をイザヤは伝えるのである。

分裂した北王国イスラエルは、シリアと結んでこの大帝国に対抗しようとしたが、前722年にはアッシリアの攻撃を受け、都市は破壊され、住民の主だった者たちは捕囚によって、ちりぢりにされる。イスラエルの十部族がこの出来事によって歴史から姿を消すのである。さらにアッシリアは、南王国ユダにも、その魔手を伸ばそうとしている。何とか朝貢によってご機嫌伺いはしているものの、いつ何時、北王国の憂き目が自分たちに降りかかるかもしれない。そんな状況でイザヤは預言するのである。

24節にこうある「アッシリアを恐れるな、わたし(神)の怒りは、彼らの滅びに、向けられる」。さしもの残忍な大帝国アッシリアも、滅びるというのである。このイザヤの預言を、私たちはどう受け止めるだろうか。この言葉を聞いたユダの人々は、何の根拠もない、無責任な幻想であると、考えたようだ。実際、前701年には、アッシリアの大軍がエルサレムを包囲し、ユダは絶体絶命の危機を迎える。ほら見たことか。ところがおかしなことに、大軍は回れ右をして、祖国に戻って行った。理由は分からない、おそらくは、本国でクーデタが画策されたのだろうと、歴史家は想像する。そして前7世紀末には、この大帝国は滅亡する。オリエント世界をわがものにした大帝国は、150年程しか存続しなかったのである。人間の力や軍事力は、目に直接見えるから脅威となり、恐怖となる。人間は見た目に左右される。他方、神の言葉は目に見えない。さらに人間の見えないところに神の目は注がれる。本当に「恐れるべき」なのはどちらであろうか。