「荒れ野に道を」イザヤ書40章1~11節

この国のわらべ歌に、「通りゃんせ」という歌がある。子どもの遊び歌として、江戸時代頃から歌われて来たと伝えられる。「通りなさい、通りなさい」と歌われるが、なぜか最終節で「行きはよいよい、帰りは怖い」と語られる。なぜ「帰り道」が怖いのか、その理由が何だと思われるか。そもそも、それ以前に、どこに行き、どこに帰るというのか。

先週、歌われた讃美歌236番は、イザヤ書21章11節以下のみ言葉を基に作られている。「見張りの者よ、今は夜の何どきか見張りの者よ、夜の何どきなのか」。見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ、もう一度来るがよい」。夜中に見張りの者、つまり市中警護の番人と対話する場面が語られている。時計のない時代、旅人が夜回りに時間を尋ねることがままあったのだろう。夜の暗闇によそ者として不安を覚える旅人が、通りすがりの警護の番人に、思わず不安を吐露する、という風な感じである。丁度、入院中の患者さんが、夜、目がさえて眠れないので、見回りの看護師に、ふと時間を尋ねるのに似ている。病人は今何時か、時間を聞きたいのではない。自分の抱える不安や怖れを(これからどうなるか)先行きの見えない危うさを、誰かに察して欲しいのだ。

このわらべ歌も同様の趣を宿している。道行く人と番人の掛け合いの歌である。「この子が7つになったお祝いに、お宮参りして、神に感謝のお札を納めに行く」という。すると番人は「通りなさい、通りなさい」と勧める。ところが、「行きはよいよい、帰りは怖い」というのである。なぜ帰り道が怖いのか、どう思われるか。

ある人の解釈では、「7つ」という年齢が、理解の要であるという。乳幼児死亡率の高い昔のこと、「7つまでは神のうち」と言い慣わされるように、年端も行かぬ幼児が亡くなることも珍しいことではなかった。7歳を越えれば、ようやく生存について、ひとまず安堵できる。よくこの年まで守られて成長できたその幸いに感謝する。しかしそこからの帰り道で、どうしてそんなに怖れがつきまとうのか。何とか生き延びたという幸いと共に、これから、人として生きるつらさや困難さ、苦しみが、人生には付きまとっている、というのである。だから「帰りは怖い」のである。

今日の聖書の個所は、イザヤ書40章の冒頭部分である。この章からイザヤ書は、バビロン捕囚期末にあって、異国の地バビロンの町で暮らす同胞のために働いた、無名の預言者の言葉が始まる。すでにユダの国が滅ぼされてから半世紀を経ようかという時代である。神殿や都をその基から覆し、徹底して破壊を行い、祖国を滅ぼした大帝国バビロニア。聖書の民を捕らえ、バビロンの都に連行した、さしもの大帝国も、もはや落日の趣で、今にも新興国ペルシアに打倒されようかという時代の流れの中にある。

「慰めよ、慰めよ、わが民を」、このような神の慈しみの呼びかけをもって、預言者は語り始める。ヘンデル作曲の有名な大曲、オラトリオ『メサイア』は、このみ言葉をもって始められる。テノールのソロが、ゆるやかでやさしい調で、人々のこころに染み入るように歌いあげる。「慰めよ、慰めよ、わが民を」。この「慰める(ナーハーム)」という言葉は、他の個所では「力づけて」、また「あわれんで」と訳される用語でもある。「ナーハーム」は旧約で108回、詩篇では12回使われているが、最も有名な個所は、詩23編4節「あなたのむちとあなたの杖、それがわたしを慰める」。岩波訳では「励ます」、関根訳では「勇気を与える」とも訳されている。羊飼いの必携の仕事用具、「むちと杖」がなぜ「慰め」を与えるのか。どちらかというと私たちは、その道具を「こらしめのため」のものとイメージする。羊が迷い出たり、自分勝手に振舞う時に、罰として痛い目に会わせる、という理解である。しかしまことの羊飼いならば、「むちと杖」を、家畜を痛めつけるために用いることはしない。「むち」は激しく振って、先端を空中で打ち合わせ、打ち鳴らして、大きな音を出すための道具である。それは遠方からでも、羊の飼い主がここにいて、羊をいつも見守っていることを伝える「しるし」、あるいは「証」であり、野獣や敵に対する警告でもある。むちの鳴る音を聞いて、飼い主が共にいてくれることを、羊は知って、安心するのである。

だから「慰める」という言葉のニュアンスは、決してセンチメンタルな言葉ではなく、困難や苦しみの中にあっても、歩めるような声掛け、力づけと励ましを意味するのである。幼児は、自分だけの力で立ち上がり、歩み出すのではない。手を引き、身体を支え、一歩一歩共に歩む助力者がいてこそ、歩き出せるようになる。いわば「歩ませる力と励まし」を与えることこそ、「慰め」、即ち「あわれみ」なのである。果たして、叱責や命令、文句や激しい非難の言葉が、人間の心を変え、事態をよく変化させるだろうか。

すでに聖書の民、ユダの人々は、半世紀余り、異郷の地バビロンで暮らしている。決して短くはない、それだけの期間が過ぎれば、生活もそれなりに整ってくる。素より異郷の地である、故郷に暮らすのではないから、いろいろ制約や不自由、差別や偏見を被ることになる。それでも、半世紀、短くはない時を、忍耐して過ごし、生計の道を見つけて生き抜いて来たのである。そして今や、自分たちをここに捕らえ、連れてきたバビロニアが破れ、新しい支配者ペルシャが台頭しようとしている。彼らはかつて捕らえられた民に対して、それぞれの故郷の国に帰れ、と布告、命令を出している。そういう社会状況の中に、聖書の民は置かれているのである。

一番の問題は、お金や仕事のあるなし、あるいは健康や家族が守られるという保証等の問題ではなかった。今更、荒れはてた故郷に帰ってどうするのか、家も知り合いも何もない荒れ野に戻って、どうするのか。ユダの国は、50年前の敗戦による崩壊で、打ち捨てられたままになっている。そこに戻れというのか。安住の地は、ここバビロンに、既にあるではないか。このまま暮らした方が、よほど安心ではないか。

捕囚民の一番の問題は、立ち上がり、歩み出す力を失ってしまっていたことなのである。聖書の民は、子どものように、知らない外の場所に出て行ったら、必ず戻ってくることを気にし、心配する人々であった。神は、「出て行くのも、帰るのも守られる」方なのである。それなのにバビロンに捕らわれた人々は、行きっぱなしで、戻ることを忘れている。否、戻り道を歩もうとする力、気力を失っているのである。

2節に「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」と記される。ユダの人々にとって、故郷への戻り道は、「主のための道」であり、「主に戻って行く」ための道である。しかしそれは「荒れ野の道、荒れ地の道」であるという。だから人々は、怖れ、戻るのに躊躇し、歩むための力を失うのである。こんな険しい道、自分の乏しい脚では、歩めるはずがない。確かに、バビロンからパレスチナに至る道は、山あり谷あり、幾つも峠を越えて行かねばならず、非常に高低差の多い、山行である。その行程を見晴らすだけで気力を失い、目的地にたどり着くなど、到底できない相談だと思うだろう。しかし羊飼いである主が、その歩みを導くのである。その御手にある「むちと杖」が、絶えず道を示し、誘い、さらに共にいますことを、常に教えるのである。その音と声を聞くことが、羊にとって、ユダの人々にとって、歩む力となるのである。歩む力は、自分の中からは生まれて来ず、外から与えられる。

杉山平一氏の「生」という詩。「ものを取りに部屋へ入って/何を取りにきたかを忘れて/もどることがある/もどる途中で/ハタと思い出すことがあるが/その時はすばらしい/身体が先にこの世へ出てきてしまったのである/その用事は何であったか/いつの日か思いあたるときのある人は/幸福である/思いだせぬまま/僕はすごすごあの世へもどる」(詩集『ぜぴゅろす』1977年)」

こういう詩が身につまされる年齢を迎えている。「戻る時に、ハタと思い出すことがある。それがすばらしい。その用事が何であったか、思いあたる人は、幸い」と詩人は歌う。人間、血気盛んに、自分の力あふれて行く道では、ほんとうに大切なものを忘れている。戻り道で初めてそれを思い起こすのが、人間というものである。そして戻り道で、人間が人生の道をたどることの「理由、意味、用事、なすべきこと」を考えることができる人は、幸いであるという。その通りであろう。そして私たちは、私たちの世界に、幼児となって、人となって生まれ、お出でくださった主イエスが共に居られるのである。人生が、その幼児と共にたどる道であるならば、その道は、たとえ荒れ野の中の道であろうと、散歩道みたいなものである。神のもとへ戻る散歩道を、このアドヴェントに歩むのである。