「年をとってよかったと思うことは…」、皆さんなら何と答えるだろう。「良かったことなど何もない」ではちと寂しすぎる。世の中の50~60代の方から、こんな答えが返って来たそうである。「多くの人と出会えたこと。人生の悲哀がわかってきた。お金はないが、いい友達がいる。子供が結婚して孫ができたこと。この世には乗り越えられないことはないとわかる。失敗を多くしたことが財産。何十年も付き合える友達ができたこと。見栄を張る必要がなくなって、気が楽になった。他人からの評価が気にならなくなった。夫が退職し、いつもふたりでいられること。子供が結婚し、新しい家族とめぐり合える」。
作家の出久根達郎さんはこう書いている。「小さな物、小さなことに愛情を覚えるようになった。逆に大きな物や大きなことがうさんくさく思えてきた」つまり「大声で、大きなことを言う者を信用しなくなった」と。考えさせられる答えである。出久根氏の見解は,何も特別な考えではないだろう。先に掲げた巷間の人々の答えも、正に身近なもの、小さなものへの愛情の表現に他ならない。こういう事柄を否定したり、退けたり、軽蔑したりすることほど、情けなく、卑劣なことはないだろう。
「宮清め」と題される記事である。ヨハネ福音書をはじめ、すべての福音書がこの記事を記している。4つの福音書すべてに記されているからには、初代教会の人々にとって、忘れがたい、大切な伝承であったことは間違いではない。おそらくは主イエス主従は、エルサレム神殿で何らかの「しるし」や「ふるまい」、現代風に言うなら「パフォーマンス」を行ったのである。
エルサレム神殿に限らず、当時の宗教施設は、現代ならば「テーマパーク」に非常に近い佇まいをしていた。多くの人が行き来し、巡礼の善男善女をはじめ、物見遊山の人々もひしめいて、喧騒を繰り広げるという有様であった。四六時中、音楽が奏でられ、お参りするとなれば、「お賽銭」が必要である。手持ちのお金は世俗のもので汚れているから、神殿専用の硬貨に交換してもらう交換所があったり(勿論手数料を取られる)、神に捧げる犠牲の家畜を売る商店や、神殿からお下がりの供物肉の直販所、軽食やエルサレム土産を売る屋台(ナッツやオリーブ)等があるから、お参りの人々の心も、いやが上にも高揚する。
そういう神殿の境内で、主イエスが大立ち回りを演じたというのである。両替人の台を引き倒し、縄で鞭を作って、売られている犠牲の家畜たちを追い払った、というのである。「このような物をここから運び出せ、わたしの父の家を商売の家としてはならない」。エルサレム神殿は、不特定多数のさまざまな人々が大勢、集まる場所であった。そして人が大勢集まる所には、おのずとたくさんのお金が集まり、さらにそこに人が群がるようになる。そうなるともはや、祈りや信仰によってではなく、お金が動き、お金が人を動かすようになる。そういう所では、ちょっとしたことで暴動が起きる。だから神殿管理者、当局者、つまり貴族や議員たちは、何よりも治安の維持に神経をとがらせ、不審者に目を光らせていた。そして少しでも妙な動きがあれば、瞬時に警備兵が押し寄せ、容疑者を捕らえるのである。神殿警備兵だけでない、ローマの軍隊も駐屯している。
だから福音書に描かれるような、神殿での大立ち回りは、まずできないだろう。出来事の一番の可能性は、主イエスが境内で大演説をぶったのだ。呪いのような厳しい神殿批判を口にしたのである。神殿がいかに腐敗し、富と利権が争われ、派閥の抗争が繰り広げられ、神と信仰とから遠く離れているかを、そこにいる人々に、まっすぐに語ったのである。「神の住まいを、商売の家にするな」。「この神殿を壊してみよ!」、どれだけ過激な発言であったことか。
実際、この主イエスの言葉は、神殿あってのユダヤ教であるから、何はなくともエルサレム神殿であるから、もっとも、政治的に危険な発言でもあった。聖書学者たちは、この発言によって、主イエスの十字架への運命が決定された、と論じるのである。ヨハネがこの福音書を書いた時には、すでにエルサレム神殿は、ローマ帝国との戦争によって、その基までも打ち壊されていた。ヨハネを始め教会の人々は、それを既に知っているし、神殿が打ち壊される有様を、実際に見た者もたくさんいただろう。なんやかんや言っても聖地であり、ユダヤ教の中心、心の拠り所である。それがあっけなくも崩れ落ちたのである。そして、主イエスが語った激しい言葉、「神殿を壊してみよ!」という言葉の真実を、恐れつつも複雑な思いで、思い出したのであろう。
主の言われたことは真実となった、だが、あの一言がなければ、もしかしたら私たちの主は、十字架の道を歩まなくてよかったのではないか。なぜ主はあの時、あんなに激しく、神殿を批判されたのか。ヨハネの教会の人々は、この時の主イエスのお心が何だったのかを、いろいろ議論し、探求したのだろう。そしてひとつのみ言葉にたどり着いたのである。17節「弟子たちは『あなたの家を思う熱意が、わたしを食い尽くす』と書いているのを思い出した」。
主イエスの憤り、怒り、さらには「神殿を壊してみよ!」という叫びは、このみ言葉に証しされている、ヨハネはそのように理解したのである。このみ言葉は、詩69編10節からの引用である。「あなたの神殿に対する熱情が/わたしを食い尽くしているので、あなたを嘲る者の嘲りが/わたしの上にふりかかっています」。理由は分からないが、この詩人は周囲の人から反感を受け、嘲られ、馬鹿にされている。それは自分が神への信仰に一途すぎるからだ、と詠われる。「熱心さが自分を食い尽くす」という表現は、旧約らしい聊か大げさな極端な表現である。「神への熱い思いが余りに大きいので、自分のことなどどうなってもかまわない」。そういう姿を見て、回りの人々は、あいつどうかしている、おかしいんじゃないか、と嘲るというのである。「病膏肓に入る」という中国の伝承がある。病気がもう直しようのない状態に悪くなって手の施しようのない状態のことを言う。そこから深入りしすぎて、もう抜け出せなくなることの譬えとしても語られる。
「宮清め」と呼ばれる主イエスの神殿での振る舞い、あるいは言葉には、確かにそこにいた人々から、「異様だ、おかしい、どうかしている」、とみなされた。弟子たちからさえもそのように受けとられたことだろう。「神殿を壊してみよ、3日で建て直して見せる」、この激しい言葉も、神とのまことのつながりというところで考えれば、主イエスの心が見えているのではないか。神殿はいくら立派でも、美しくても、たとえ完成まで46年という長い間がかかったとしても、人の手によるものである。自然の災害や戦争、そしてそこに人がいなくなれば、打ち捨てられて、崩れ去り滅び去り形がなくなるのである。神とのつながりはそんなものに左右されるのであろうか。建物が崩れ去りなくなれば、それで終わるのだろうか。時に教会から足が遠のき、教会に行かなくなってしまうこともあろう。病気のため、身体が弱ったため、礼拝に出られないということもあろう。それで神とのつながりは、終わってしまうのか。
今日の個所の最後に「イエスは、何が人の心の中にあるかを知っておられた」と記されている。神殿は、自分の外に求めるべきものではない。神とのつながり、その拠り所を、自分以外の他の人のところに、求めても、それは空しい廃墟と同じである。平安も、心の内になければ、どこにも平安はない。「小さな物、小さなことに愛情を覚えるようになった。逆に大きな物や大きなことがうさんくさく思えてきた」私の側に、すぐ内に、神の住まいはあるのである。主は共におられる。大神殿に、大伽藍に主はおられないのである。
詩人の谷川俊太郎氏が記している。「理由もなく、戦争をするのはいいことだ、どんどん戦争をしようと考えている人はいないと思う。でも、正しい理由があれば戦争をしてもいいと考えている人は多い。相手をやっつけなければ、こっちがやっつけられてしまうから、したくないけど戦争をしているというわけだ。ぼくら人間は大昔からそうやって戦争をしてきた。戦争はいやだ、戦争はしたくないと思いながら。どうしてだろう? それは人のこころのなかに、平和がないからだとぼくは思う。 平和をじぶんの外につくるものだと考えると、平和をめざして戦争をするということにもなる。じぶんのこころを平和にするのはむずかしい。でも、まず始めに こう考えてみたらどうだろう? 戦争はじぶんのこころのなかから始まると。戦争をひとのせいにしないで、じぶんのせいだと考えてみる。ひとをにくんだり、さべつしたり、むりに言うことをきかせようとしたり、じぶんのこころに戦争につながる気もちがないかどうか。じぶんの気持ちと戦争はかんけいないと考えるかもしれないが、それでは戦争はなくならない。まずじぶんのこころのなかで戦争をなくすこと、ぼくはそこから始めたいと思う。
外に神殿を作り安心する。外に平和を求める。そういうものの神殿、ものの平和は、いつか倒壊する。主イエスは、ご自身の身体を、神殿とされた。しかも3日で建てられた。どこに建てられるのか、私たちの心の中にである。主イエスの作られる神殿を置いて、他に私たちの行くべきところ、礼拝を行う場所はない。