「ふさわしくないままで」コリントの信徒への手紙一11章23~29節

先月の終わりに、義父が亡くなった。人間の出会いとは不思議なものである。初めて向こうの家に挨拶に行く時に、家内に尋ねた。「お父さんはどんな人?」、その返事は、「臼杵の石仏!」。私は殊更、外見を聞こうとしたのではなく、性格とか人となり、あるいは趣味とかを知りたかったのだが、答えは「石仏」。しかしその言葉が、後で、その人を表す最も「ふさわしい言葉」だと言うことを、知ることになる。彼が教会に連なったのは、18歳の時だと言う。熊本バンドを強く意識した小さな教会「十光園」で同年代の者たちと、血判状を押して、信仰の表明をしたという。まさに「石仏」である。その一人の信仰者の生の声を聞くことはもはやできないが、今も思い出としてよみがえって来る。

一つ皆さんに尋ねたい、親でも家族でも友人でも、その人が「確かに生きていた」証拠となるものは、一体、何があるだろう。例えば、その人の書いた手紙や文章が、残されている。学問上の「文献」や「資料」の存在のようなものである。あるいはその人が使った品々、「遺品」が残されている。または、その人が写った写真やビデオが残っている。ところが、それらの品々は、偽造や偽装しようとすれば、いくらでもまがい物をでっち上げることのできるものである。お宝鑑定で、本物と見まごうばかりの偽物のなんと多いことか。

そればかりではない。遺品でも、遺物でも文章でも、その元々の持ち主や、その当人を知らなければ、あるいは何らかの関係や繋がりを、まったく持っていなかったら、その人は「無関係な人、赤の他人」であって、その人が確かに生きていたかどうかなど、全く問題にもならないのである。そもそも、その人が本当に生きたがどうか問題にするのは、その人をかけがえのない、大切な存在と思うかどうか、にかかっている。つまり「記憶」や「思い出」の中にしか、人間の存在証明は、ないのである。

今日の聖書個所は、有名な「聖餐の制定語」として、教会の聖餐式の度に朗読されるテキストである。最初にパウロはこう語る。「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身主から受けたものです」。伝承を受け継ぎ、それをまた他の人々、さらに次の世代に伝え、世世に渡って、主イエスの思い出を語り継いで行く、それこそが教会の務めなのである。

今日は8月9日4長崎の原爆忌である。かつて長崎のあるミッション・スクールの平和記念礼拝に招かれた。気温が35度を超える炎天下の中、大学生から幼稚園までの子ども達、青少年が、学院の原爆慰霊碑の前にたたずみ、共に祈りをささげている。私語ひとつない。礼拝後にその学校の先生が言う。この学校の生徒は、12月25日が何の日であるか、正しく言えない子もいるかもしれない。しかし8月9日がどういう日であるか、すべての者が理解している」。何よりも記憶を繋いでいくことの重さを思わされた次第である。だから記憶の風化を仕方がないと考える時、それはやはり人間の罪と怠慢の表れと言えるだろう。

こう言い表されている。24節「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしを記念するため、このように行いなさい」。パンが裂かれ、手渡される時、そしてぶどう酒が注がれたひとつの杯が回される時、それぞれ「わたしの記念として」と告げられる。「記念として」は、若干の意訳で、「思い出として」と訳す方が、原文に近い。「主イエスの思い出を持ち続けることができるように、主イエスを忘れないように」聖餐を行うというのである。思い出が消えるときに、その人の存在も消え、記憶が消滅するときに、その人は初めから存在していない人のようになってしまう。旧約によれば「悪人(神を知らぬ人)の報い」は、忘れ去られることであり、神はひとり一人の人間とその生涯を、憶えておられる方なのである。神の手には「命の書」と呼ばれる「備忘録」があり、そこに名を記されることが、聖書の民の、死後の一番の望みだったのである。聖書において、生命は記憶と共にある。

最初の教会が礼拝として守った「聖餐」は、「愛餐(教会での共なる食事)」とまだ分化していなかったと考えられている。パウロが「わたしは植え」と表現した、因縁の間柄のコリント教会もまさに同じだった。礼拝とは「聖餐」であり、それは「愛餐」という形で行われた。ところがその「愛餐」が、共なる食事が、教会の皆が、心からひとつになって、共に食べることができなくなっていた、つまり「礼拝」が守れなくなっていたのである。「教会で礼拝を守れない、」とはどういうことか。

27節に「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は」と記されている。皆さんは「ふさわしくないままで」という言葉を、どう理解されているだろうか。一番の誤解は、「信仰告白をしていない者、洗礼を受けていない者」という意味だと理解することである。素より、私たちは、主イエスの晩餐にあずかるのに「ふさわしい者」であるはずはない。主の晩餐は、十字架への道を明確に指示し、十字架の下に私たちを連れて行くのである。神のひとり子、主イエスが、私たちの罪と担ってその咎を負い、私たちのために血を流し、祈って下った、その生命の恵みに、「ふさわしい者」などいるはずがない。「ふさわしくない」のに、私たちは、主の晩餐の食卓に招かれる、集うことを許される。それはその食卓に、イスカリオテのユダばかりでなく、十字架から逃げ出した弟子たちが皆、主イエスご自身によって、招かれているからである。

「ふさわしくないままで」という訳語は、誤訳と言えないもでも、誤解を与える翻訳である。「ふさわしくない仕方で」、と訳す方がいい。つまり聖餐を守るやり方に問題がある、というのである。これはまだ洗礼を受けていない者が、共に聖餐にあずかっている、という文章ではない。事態はもっと生臭い。聖餐は実際の「食事」であった。パンと杯のぶどう酒だけは、教会に集まる人々は、共に食べ、共に飲んだのである。ところがそれ以外の副食、持参した弁当のおかずは、気の合う人だけとグループを作って、勝手に仲間内で食べていたのである。小さい教会では、祝会は今も「ポットラック」で催される。ところがその持参した食べ物を、気の合う人とだけ、仲間内だけで食べていたとしたら、それは単に飯を食っているだけに過ぎない。象徴的に言うなら、そこには「キリストがいない」のである。

あの五千人の給食の時には、「すべての人が食べて満腹をした、パンくずの余りを集めると12の籠にいっぱいになった」と伝えられる。それこそが主イエスと共なる食事の風景である。食卓には、大麦のパンとわずかな魚しかないかもしれない。しかし主イエスが共にいて下さる時には、「すべての人が食べて満腹」するのである。

「ふさわしい」とは動詞の「ふさう」から来ており、「ふさう」とは、平安時代に「ふれそふ(触添)」から変じた語であるとされる。「親しくふれあう」「すぐ近くに接する」「共にある」という意味から来ているそうである。つまり何か資格があるとか、合格するとか、価値や値打ちとは本来関係のない用語なのである。

ある雑誌で、ブレイディ・みかこ氏が、こう記していた「京都大学の山極壽一先生がこんなことを言っていた。人間は、視覚と聴覚を使って他者と会話すると脳で『つながった』と錯覚するらしいが、それだけでは信頼関係までは担保できないという。なぜなら人は五感の全てを使って他者を信頼するようになる生き物だからだ。そのとき、鍵になるのが、嗅覚や味覚といった、本来『共有できない感覚』だという。他者の匂い、一緒に食べる食事の味、触れる肌の感覚。こうしたものが他者との関係を築く上で重要なのだ」。

台所からパンの焼ける匂いが漂ってくる。焼き立てパンの暖かさ、口に入れた時の甘さ、ぶどう酒の渋さ、すべてが主イエスとわたしを結び付ける絆となる。ここに主イエスが居て下さる、「インマヌエル」、それこそ私たちの「ふさわしさ」である。教会で、主イエス抜きの食卓は、交わりは、もっとも「ふさわしく」ない。