長かった梅雨もようやく過ぎて、猛烈に暑さが募って来た。気象庁の統計によると6月25日から7月21日までの「日照時間」の平年比は、東京では52%、横浜では56%、千葉では51%。また、同期間の「降水量」の平年比は、東京では159%、横浜では231%、千葉では251%だったという。地球の温暖化との関係は、よく分からないにしても、気性が極端に変化するのが、昨今の気候の傾向である。
この国の日照時間の不足、長雨は、作物にすぐに影響を与え、野菜類が極端に値上がりをしている。特に太陽光が必要な葉物類は、影響が甚大である。気候の変動は、すぐに私たちの毎日食べる食べ物を直撃する。値上がりで済んでいる内はまだしも、全く収穫できないとなったら、私たち自身の生命に関わって来る。
それに加えて海外から、次のようなニュースが伝えられている。「過去70年で最大規模とされるバッタの大群は、生まれ故郷のアフリカを出発し、各地で農作物を食いつくしながら東進中。現在インドに到達した。中国政府は警戒を強め、ニュース番組は連日のように『4000億匹のバッタの大群がインド・パキスタン国境から中国に迫っている』と報道。中国農業科学院植物保護研究所の研究員は、6月中にバッタが飛来する可能性を示唆している」。
さらに「変異して群れるようになったバッタは、季節風に乗って飛ぶ。風がうまく吹けば、数千㎞飛ぶことも可能です。過去には、西アフリカからカリブ海諸島に到達したという記録もあります。当然、日本も他人事では済まされない。中国に侵入したバッタの大群が、黄砂を運ぶ風に乗って海に隔てられた2000㎞をやすやすと越え、日本列島へと飛来することは十分にあり得る」。
今日の聖書個所は、共観福音書に共通して記される「種まきの譬」が語られる個所である。最初のパラグラフで、主イエスの宣教活動を支えた人々のことが記される。真っ先に「7つの悪霊を追い出して病気を癒していただいた」女性たち、特に「マグダラのマリア」が名を上げて語られる。おそらく主イエスの「神の国運動」に余程力のあった指導者なのだろう、伝道者として主の右腕として働いたことが想像される。また活動の資金援助をしていた女性たちの名前も伝えられている。やはり主イエスの宣教活動も、それなりの金銭的背景が必要だったのである。そしてこれは主の存命中だけでなく、その後に教会が成立しても、事情は同じだったろう。誰が教会の宣教活動の支援者、そして担い手、運営の立役者だったか、ルカはこうして伝えるのである。こういう記述こそが、ルカの魅力でもあるが、その後に続く、「種まきの譬」も、こうした背後の力、縁の下の支え、いわば「シャドーワーク(影の力)」なくして、収穫は望むべくもない、と言いたいのであろう。
さてよく知られた譬である。譬話は、読み手の想像力でいろいろに味わうことができて楽しいとも言える。パレスチナ農民の播種の作法が、この話の奥に前提されている。この国では土を耕し、畝を作り、小穴を穿ち、そこに種を播くと言う方法が一般的である。しかしこのやり方だけが、「種まき」ではない。パレスチナでは、まず種を播いて、それから鍬で土に鋤込むのである。すると種はあちらこちらに散らばり、良い所ばかりに落ちる訳ではない。「道端」に、「石地」に、「茨の中」にも、種は落ちるのである。一見、折角の種の無駄遣いのようにも感じられるが、それ相応の、理にかなったやり方なのであろう。そこに実際に生きている人間でなければ分からないことも多い。
農業の話ではあるが、小さな種から多くの結実へという内容の譬ということで、人間の成長について、「子育て」や「教育」の話としても、面白く読めるのではないか。「土地」とは「環境」やら、親や大人の「関わり」やらを指しているとも受け取ることができるだろう。「道端」、子どもにまったく無関心で、勝手に放っておくならば(ネグレクト)、もちろん子どもの成長は望めない。容赦なく人に踏まれ、鳥に食われるのである。では「石地」、熱しやすく冷めやすい所、気ままに褒めたかと思うと、厳しく叱りつけ、首尾一貫しない態度で接せられると、子どもは混乱し、いらだつ。新約の手紙にも、「父たる者よ、子どもをいらいらさせずに養育しなさい。心がいじけるといけないから」という勧めの言葉がある。いじけたならば、まっすぐ心は育たない。さらに「茨の中」、いつもがみがみ叱りつけ、鞭をもって、厳しくしつける。体罰も辞さない。しかしこれではDV暴力である。子どもがまっとうに育つ訳がない。
そして「良い地」に落ちた種は、百倍の実を結んだ、という。ここで、「良い地」だけは、それがどのような場所なのか、語られていない。なぜか、答えをすぐに与えてしまうことは、人間の考える力を、損なうのである。ここで立ち止まって私たちは考えを巡らさなければならない。子どもの成長にとって、「良い地」は欠かせない、必要なものである。それでは子どもにとっての「良い地」とは何だろうか。皆さんはどう考えるか。
作物を育てるときには、土が欠かせない。豊かな収穫のためには、良い土が必要である。野菜などを作る畑で「良い土」と言った時に大切なのは、保水性、排水性(水はけ)、通気性が良いことの3点が上げられる。保水性があるのに排水性も良いというと矛盾している印象を受けるが、どうしたらこういう不思議な土を得られるのだろうか。
古代ギリシャの哲学者アリストテレス(BC.330 頃)が「大地の腸」と呼んだ生き物がいる。またこの生き物の生態について、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは土壌学にも精通しており、詳しい研究観察を行い、一書を物している。その生き物とは「ミミズ」である。その著書「ミミズと土の研究」では、ミミズが土を耕し、団粒を作り、よりよい土にすることを発見した。そして、「・・・人間が耕すよりも前からミミズによって土は掘り返されてきたのだ。このちっぽけな生き物が、世界の中でどんな生き物よりも重要な役割を果たしている ということは間違いない。」と賞賛したのである。生命の成長は、人間の働きだけで全うされるわけではない。なぜなら「生命」は、自ら作り出したものではなくて、賜物として与えられたものだからである。表面だけ見ても中々目に留まらない、地中の暗い中で暮らしている生き物のおかげで、保水性、排水性(水はけ)、通気性が良い、不思議な土が生まれて来るのである。
「すべての子育ては失敗である」とも言われる。しかし失敗を通して働き、失敗によって支え、失敗を用いて生命を育てられる神さまがおられる。だからこそ祈りが必要なのである。