新年一月には、しばしば「一年の計」が口にされる。将来について、様々なヴィジョンが語られるが、まず行く先の目当てを定めなければ、歩き出しようがない、という所だろう。それではこういう展望は如何か。「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」。この言葉を聞いて、どう感じるだろうか。これは、自分の婚約者に宛てて書かれた手紙の一節なのである。また実の父親宛の手紙には、こう記されている。「ぼくはいつだって、決してなまけ者ではなかったと思うのですが、何かしようにも、これまではやることがなかったのです。そして、生きがいを感じたことでは、非難され、けなされ、叩きのめされました。どこかに逃げだそうにも、それはぼくにとって、全力を尽くしても、とうてい達成できないことでした」。
これらの言葉を語ったのは、1887年にチェコスロバキア、プラハのユダヤ人家庭に生まれた作家フランツ・カフカである。『変身』、『審判』等の小説の作者として知られ、現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並んで、「20世紀の文学を代表する作家」と見なされている。
ところが彼は、「何事にも成功せず、そして失敗からも学ばなかった」と自分自身について述懐している。確かに大学の成績も、「可と不可」ばかリで、「カフカ全集」と呼ぶにふさわしい学びの成果であった。文章を綴るのは、彼の数少ない楽しみ、熱中したことのひとつだったようだが、生前は、作家として認められることはなく、保険関連の、普通のサラリーマンとして仕事をした。結婚したいと思っても、病気のため生涯独身(40歳で没している)、胃が弱くて不眠症、家族とは不仲で、何かと自分のみじめさを、父親のせいにしていた。長編小説を書いても途中で行き詰まり、ほとんどが未完。満足できる作品を書き上げることができなかったため、すべて焼却するようにと遺言に残しているほどである。
確かに、カフカが記した先の言葉は、どちらもすごい後ろ向きの言葉である。それでも「つまづくことはできる、いちばんうまくできるのは、倒れたままでいること」というように、普通なら「できないこと」というべきところ、「自分にできること」と表現しているのは、どことなくユーモラスでもある。後ろ向きのユーモアとも言えようか。代表作『変身』には、同じような雰囲気が漂っている。眠っている内に、自分が毒虫に変わってしまうという筋書きである。
さて、今日の聖書個所は、マタイ福音書3章13節以下「イエス、洗礼を受ける」と題されているテキストである。キリスト者とは、ひとえに「バプテスマ(洗礼)を受け、教会に加えられた者(日本基督教団教憲)」のことであるが、なぜ「洗礼」を受けるのか、この個所にその根拠の一つがある。即ち、主イエスが、ヨルダン川のヨハネのところに来られた時、彼は、「それを思いとどまらせようと」(14節)したのである。それに対して15節「主はお答えになった『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです』」と主イエスは言われたのである。私たちは、この時の主イエスの振る舞いに倣って、今も信仰のかたちとして、洗礼を受けるのである。
このテキストの背後に、教会が「洗礼」について、いろいろな議論を重ねてきた積み重ねがあると考えることができる。そもそも洗礼は、キリスト教会独自の宗教儀礼ではないのである。「(罪の)清め」のために、「水」を身体に浴びる、という行為は、古今東西の宗教儀礼として世界に普遍的である。この国にも、古来「みそぎ」という風習が伝えられている。新約の時代のパレスチナでは、専らエルサレム神殿で、異邦人の改宗のための儀礼として行われていたのである。「全身を水に浸し、罪から清める」、信仰の正統として、ユダヤ教の総本山であるエルサレム神殿での儀礼であるから、当然、比類なき権威あるものとして人々には受け止められていた。
しかしそれを、バブテスマのヨハネは、エルサレム神殿ではなく、ヨルダン川の向こうの地、「辺境の地、異邦の地、荒れ野」で、同じように、このエルサレム神殿での儀礼を行ったのである。それだけで「神殿」に対しての強烈な批判となる。神への信仰は、神への誠実は、何もエルサレム神殿だけの特権ではない。どのような時と場所でも、神はあわれみを注がれる、人の罪を清め、許される、というのである。これは神殿に対する不敬にも通じる行為であった。エルサレム神殿、バプテスマのヨハネの教団と並んで、初代教会もまた、教会に加わることを希望する人々に、「洗礼」を行うべきかどうか、という議論が生じたことは当然のことであろう。そして神殿がどうの、バブテスマのヨハネがどうのではなく、ただ「主イエス」に注目し、その「振る舞いに倣う」ことで、一致したのである。
さて、テキストに戻ろう。「エルサレムとユダヤ全土から、またヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て」(5節)、罪を告白し、洗礼を受けたと伝えられる。おびただしい人々がヨハネのもとに来たことが知れる。さらにその中には「ファリサイ派やサドカイ派の人々」も大勢いたという。この大勢の人々の心、彼らの気持ちはどのようであったろうか。
ここにヨハネの言葉が伝えられている。「蝮の子ら、(正確にはコブラの子)、差し迫った神の怒り、斧はすでに木の根元に置かれている、良い実を結べ、もみ殻は火で焼き尽くされる」こういう心底激しい、厳しい裁きの言葉を、集まって来た膨大な人々は、どのように聞いていたのだろうか。「そんなことは自分には関係ない」と聞く耳持たぬ人間なら、そもそもヨハネのもとに来ることはないだろう。さらに当時の信仰の基や権威は、すべてエルサレム神殿にこそあるのだから、どうして場末で荒れ野、辺境の地にいる、ヨハネのところなんぞにやって来る必要があるのだろう。神殿なら面白いもの、珍しいもの、洗練されたもの、知的なもの、おいしいもの、何でもそろっているのである。何故、神殿に行かないのか。
恐らく、自分で自分のことを、きちんとどうにかできる人々は、ヨハネのところには来はしないだろう。生きにくさや行き詰まりを感じ、立ち往生や堂々巡り、何をやっても空回り、不遇をかこち、誰のせいでもないのだが、やるせない不満に満ちて、今の自分を許せない、そんな人間が、ヨハネのもとを訪れたのではないか。
カフカ流に言えば「「ぼくはいつだって、決してなまけ者ではなかったと思うのですが、何かしようにも、これまではやることがなかったのです。そして、生きがいを感じたことでは、非難され、けなされ、叩きのめされました。どこかに逃げだそうにも、それはぼくにとって、全力を尽くしても、とうてい達成できないことでした」。
そのヨハネのもとに、主イエスもやって来られる。「あなたが,わたしのところへ来られたのですか」(14節)。意外さや驚きとともに、ヨハネが口にした言葉は、私たち自身の言葉でもある。「あなたが、わたしのところへ来られたのですか」。私のところに、あなたの方から。そしてこの方と共に、私たちは水に浸され、神のみ言葉を聞くのである。17節「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。このみ言葉に押し出されて、新しい年の歩みを続けたいと祈り願うものである。