ある幼稚園の先生が記している「純粋な粘土は、触れると手がスーッと軽くなるように感じます。まるで手にたまった邪気や電磁波なども吸い取ってくれるかのよう。子どもたちはひたすらこねたり、撫で回したりしながら『気持ちいい!気持ちいい!』を連発しています。子どもは感覚に正直ですね。『気持ちいい!』が一番最多で出るのは、何と言っても土、粘土です。親子クラスで粘土遊びをすると、子ども以上にお母さんがその感触に夢中になっていたりします。予想以上に気持ちよくてびっくりされるみたいです」(虹乃美稀子「小さな声がきこえるところ」)。
皿や茶わん、各種の器ものばかりでなく、土偶や埴輪、人形(ひとがた)等々、人間は土(粘土)を捏ねて様々な造形物を造って来た。それは実用に供するためという理由だけでなく、土を手にさわり、それでいろいろなものを造形するのを、「気持ちよい」つまり「喜び」として受け止めて来たからであろう。人間の行動は、必要に迫られて、そうせざるを得ない、という差し迫った用のために、という面と、それが「喜びであるかどうか」という二つの面から生じて来たことが、よく了解されるであろう。
今日の聖書の個所は、創世記2章の「創造物語」のひと段落である。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と語られる。聖書の世界を取りまく古代のメソポタミア地域では、「人間が土から創られた」という神話や伝承は、実に普遍的なものであった。聖書の人々も周辺の文化史的なものに影響を受けて、こうした創造の物語を紡いできた訳であるが、近東世界に留まらず、世界の至る所にあまねく土と人間の繋がりを語る神話が伝えられていることは、先ほど紹介した「人が粘土に触れる時の感触」、子どもはもちろん、大人までも「気持ちいい」と感じる親和性、共感性のようなものが土にはあるからだろう。
創世記1章では、神の創造のみわざの初めは、「光」であった。光からすべて、時間も存在も空間も、そこに置かれた有象無象の事物や存在、無生物も命あるものも、すべて「光」から始まるのである。この記述よりも、500年前に語られ始めたとされる2章の創造物語は、すべて「土」から始まるのである。
聖書の周辺諸国に伝えられる昔むかしの物語では、人が土から生まれたことは、共通して語られるものの、大体は素材としての「土」に言及されるのみで、そのものが物語の展開にさほどの中心的意味を与えていない。「土」の色と自分たちの「肌」の色が似通っているので、そうした発想をしたのだとも説明される。因みに昔は絵の具やクレヨンに「肌色」という名称の色があったが、いまは「ペール・オレンジ」と名を変えている。日本では2000年あたりから「肌色」という呼び名が使われなくなったが、その背景にはやはりグローバル化の波が及んでいるのである。
ところが聖書では、この「土」を巡って物語がさまざまに動いて行くのである。15節「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」。土から創られた人は、自分自身の源、素材である「土」を耕し、大地を守る者となる。さらに 16節「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい』」。耕すことによって、自らの命を支え、養う糧を得、生きる術を得ることができるようになるのである。そしてさらに、18節「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」。即ち、人はひとりで生きるのではなく、共に生きる存在、社会を形づくって生存してゆく、と語られる。「彼に合う、助ける者」、これは「向かい合い、そばに寄り添い、共に働き、労する者」という意味である。
そうした人間の生活の営みは、すべて「土」に収斂すると語るのである。その発端に、神の創造のみわざ、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」出来事がある。
「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり」、「形づくり」と訳されている言葉は、ヘブライ語「イェーツェール」で、語意としては「形づくる、作る、創造する。提供する。組み立てる、考案する。(文学的または科学的芸術的作品などを)作る」という意味合いの用語である。この言葉は、手を用いて、土をこねて、丸め伸ばし、丹念に造形してゆくと言う、物づくりの基本を表している。そこにはつくる者の喜びがあり、ただの形のない土塊(くれ)が、段々と形を整えて、姿を現してくるという、創ることの楽しさが込められている。箴言などの知恵文学では、神は定規やコンパスで図面を引き、ケガキで金属に弧を描き、印を刻む巧みな設計建築士として描かれるが、ここでは陶器職人、陶芸家に喩えられているのである。
しかし物語は、さらに巧妙な伏線が引かれてメッセージを伝えるのである。「土の塵」、土壌の表面上の細かい軽い土粒、即ち「粘土」のことを指しているが、からからに乾燥していれば、ほろほろともろく取り留めなく、風に吹かれれば、どこか人知れぬところに胡散霧消して飛び去るような、はかない存在である。そのような空しさをどこかに人は抱えており、やがて跡かたなく、消え去る運命のような人生を人は生きるのである。そのようにもろくはかない人生のために、神はその渇いた土を「潤される」のである。
6節「しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した」。渇いた土くれが、水に潤される時、土はさまざまに形を帯び、姿を成して行く。そこに水が注がれなければ、形自らの形を表すことができないのである。だから水によって潤された土によって、神の創造のみわざは、始まるのである。神が陶芸家のように、陶器職人のように身体を動かして働かれる創造のイメージは、素朴だが温かみのある物語として語られる。土に水が注がれて、すべては始まる。
最初に紹介した文章はこう続く、「私たちは『触れる』ことにより、自分と外界の『境界』を知ります。出生してから子どもたちは世界に『触れる・触れられる』ことを通して、自分自身の『輪郭』を知り、アイデンティティーを確立していくのです。そして自分と他者、自分とそれ以外の取り巻く世界の『境界』を知るのです。ああ、人類はこの長い進化の歴史の中で、どんなに長い時間、粘土をこねてきたのだろう、と思います。生活のためだけにこねていたのではないことは、土器や土偶を見れば明らかです。それは芸術活動であり、遊びであり、見えざるものとの交信でもあったでしょう。大人たちが没頭する傍らでまた、子どもたちもこねて、こねて、こね続けてきたでしょう。そうして人類は、進化してきました」。
粘土を手に取り、それを捏ね、丸め形を作る時に、私たちは神が私たちを造られたことを、おぼろげに思い起こし、創造のみわざの一端を、心と身体全体で味わうのかもしれない。そこから「気持ちいい」の思いが生まれて来る、ということなのだろう。どれ程の喜びを持って、人は創造されたのか。だから土の感触を全く味わったことのない人は、神と人との間にある境界線、それは隔てでもあるけれど、手のひらの温もりが伝わる「境界」でもあることを知ることができない。それは、どんな人も、神の手作りの作品であり、その指の後が印された傑作であることを、思い計ることができないことに帰結する。人間という土の入れ物の中に、神の命の息が吹き入れられていることを、考えることができないで、勝手に他の生命の領域、生命という神の領分にまで、土足で踏み込んで行くのである。現代世界の争いごとも、土に触れることのないところから生じているように思える。
今日は「永眠者記念礼拝」である。かつて私たちと共にここで礼拝を守り、今は御国に居られる懐かしい方々の在りし日の姿を思い起こし礼拝を守っている。どんな人も、どのように生きても、人は皆「土の塵」であって、やがてはそれに戻るのである。しかし詩編の詩人はこう詠う、「主はわたしたちを/どのように造るべきか知っておられた。わたしたちが塵にすぎないことを/御心に留めておられる。人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ/生えていた所を知る者もなくなる」(詩103編14節以下)。神は「土の塵」を深く知り給う、それはどのようにしてなのか。それを知るゆえに、どうされると言うのか、
「神はそのひとり子を賜いしほどに、この世を愛された」、即ち、ひとり子を、私たちと同じく「土の塵」として、この世に生まれさせたのである。神と人との隔て、淵、境界を突き破って、ご自分の側から私たちの所へやって来られたのである。主イエスは土の器としてこの世に生き、十字架に付けられて土の器として砕かれ、墓に、土に葬られた。しかし神はこの土、死の境界、隔てを復活によって、打ち破られた。実に土の中から主は蘇るのである。
土は乾いている時には、塵として埃のように風に舞い、吹き飛ばされるようなとはかない事物である。そこに水が注がれて、捏ねられ丸められ、形を成して行く。命の水、生きた水を主イエスからいただく私たちである。干からびた土くれに、いのちの水を注ぎ、更に命あるものに形づくられる恵みの主がおられることを、この時も思い起こしたい。