「神は見て、良しとされた」創世記1章1~5節 24~31節

今日は「永眠者記念礼拝」を守る。かつて私たちと共に、主のみ前を歩み、今は天国で主のみ下におられる方々を偲び、懐かしい兄弟姉妹を覚えるひと時を持ちたい。今、昨年の記念礼拝からこの一年の間に召天された方々の名前をお呼びした。この中には、ついこの間まで共に礼拝を守り、共に讃美歌を歌合い、顔と顔とを合わせて、共に話をし、笑い、涙を流した方もおられる。寂しい思いが沸き起こるが、それ以上に、暖かな思い出が心に思い起こされてくる。思い出がよみがえるということが、教会に集っていることの大きな恵みと感じさせられる。

間もなく11月の声を聞こうとする時期である。先日のある新聞にこのようなコラムが記されていた。一位が「忍」、二位が「楽」で、三位が「幸」。以下、無、苦、生、平、運、耐と続く。何かといえば、昨年還暦を迎えた一九五八(昭和三十三)年生まれの男女に聞いた「自分の人生を漢字一字で表すならば」というアンケートの結果だそうだ。

皆さんはどうだろうか。自分のこれまでの人生の歩みを一語で表すとしたら、どんな漢字がふさわしいか。人生には「喜怒哀楽、幸不幸、天祐厄除、天変地異、家内安全、禍幸、良し悪し」様々なことが生じて来るが、それらをすべてひっくるめて、端的に何と表すことができるだろう。私はキリスト者の人生とは、一生を貫いて、聖書のどこか一句、「聖書一句」を生きることになる、と感じている。そしてそのみ言葉は、地上の生涯を終えた後も残り続けるものである。「天地は過ぎ去るであろう、しかしわたしの言葉は変わることがない」と主が言われる通りである。主のみ言葉と共に、私たちは永遠を生きるのである。

さて今日は、聖書の最初の書物、創世記の、これまた最初の部分、1章からお話をする。所謂「天地創造の物語」が書かれている。実は聖書の創造の物語には、元ネタがある。古い古いメソポタミアの神話である。粘土板に記され、数千年もの長く地中に埋まっていたが、考古学の発掘で日の目を見た。今では日本語にも翻訳されている。

バビロニアの創世神話、『エヌマ・エリシュ(そのとき上に)』は、ハンムラビ法典で有名な、ハンムラビ王朝、紀元前18世紀に成立したと考えられている古代の物語である。冒頭の章句、「上にある天は名づけられておらず、下にある地にもまだ名がなかった時のこと。はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。水はたがいに混ざり合っており、野は形がなく、湿った場所も見られなかった。神々の中で、生まれているものは誰もいなかった」。

この物語は、現在でも、紀元前六世紀に設置されたアッシュルバニパル図書館の遺跡から出土したタブレットで目にすることが出来る。この文言と、創世記1章の記述を読み比べると、非常に似通った語り方であることが分かる。旧約聖書を記した人々は、古代メソポタミアに流布していた神話を、身近に見聞きしていたのであろう。聖書の人々が、そういう文学と最も親しくふれあったのが、バビロン捕囚の時であったことに間違いはない。

聖書に描かれるイスラエル民族の歴史の中で、最も大きかった出来事が二つある。ひとつは出エジプトの出来事である。紀元前1200年ごろ、聖書の人々、イスラエルはエジプトで奴隷として苦役に呻いていた。その苦しみの叫びを聞かれた神が、モーセを遣わして人々を奴隷の国エジプトから導き出した、と言う劇的な救いの出来事である。

もうひとつは、「バビロン捕囚」と言う出来事である。これは「裁きの出来事」と言えるだろう。紀元前587年に、聖書の国ユダは強大なバビロニア帝国に滅ぼされる。聖書の人々、イスラエルの主だった人々は、捕らえられ強制的に、異郷の地バビロンに送られ、異国での生活を余儀なくさせられた。言語や文化、慣習の違う異国での生活は、苦渋の日々だったろうが、彼らはそこでメソポタミアの進んだ文明と文化に触れ、自らの魂の拠り所を深く吟味し、新しい信仰の地平を開いたのである。

「創造物語」というと、世界の始まりがどのようだったか、を記したものと受け止められやすい。すると科学の見解や仮説と合致しない、聖書と科学どちらが正しいのか、というような不毛な議論に陥る。しかし聖書の創造物語は、創造の「プロセス」ではなく、世界の意味について、語ろうとしているのである。料理のレシピばかり云々していても、おいしいかどうかは分からない。あれこれ論評するのではなく、実際、食べてみたら、その料理がどんなものか分かる。

聖書の創造物語の「意味」について理解するのは難しいことではない。この一連の文言の中に、何度も繰り返して語られる文章がある。そこに注目すればよい。人間、大切と思われることは、ついつい繰り返し口に出すではないか。親も先生も、子どもには同じ言葉ばかりを口にする。「勉強せよ、部屋を片付けよ、遅刻するな」。これも愛の心から出てくる愛の言葉である。しかし残念ながら子どもは、その言葉を聞き流す。神の愛もまた同じ。だから最期に、ご自分のひとり子を、生けるみ言葉として私たちのところに送られたのである。

「神は見て、良しとされた」この世界を、すべて神はご覧になって、「良い」としてくださった。この世界を、そしてその中にあるもの、そこに生きているもの、人間ばかりか生きとし生けるものを、すべて「良いもの」として造ってくださった、というのである。この言葉に私たちは深く慰められる。現在のこんな世界でも、神は、今も「見て、良しとしてくださっている」。決して神から見捨てられているのでも、無視されているのではないことを思い起こすのである。親からの叱責の言葉を、そのまま素直には聞けない子どものようであるが、その繰り返しの言葉に、愛を感じるのである。

その思いとは裏腹に、テロや紛争で、国同士の覇権、権力争いで、本当に多くの無辜の人々の、とりわけ小さな子どもたちの生命が奪われる有様を悲しみと嘆きの内に思う。核兵器の威力をちらつかせながら、多くの命を危険にさらし、優位を保とうとし、それを脅威に感じて、自分たちも核兵器を持つべきだと口角、泡する人々もいる。人間の手の業によって、危機や破滅が襲うならばまだしも、大きな災害が繰り返し起こり、犠牲となる多くの人たちがいることに、この世の不条理に怒り、あるいは虚無的な思いに打ちひしがれる。

しかしこの世界は、私たちがどう見ようと、どう受け止めようと、ひとつゆるがせにできない出来事がある。それは神がそのひとり子を、「まことの人」として送られた場所であるということである。確かにこの世界は、天国ではない。人間の目から見たら、悩みの尽きない地獄のようなところかもしれない。しかしひとり子を救い主として送ってくださった世界は、「神は見て、良しとされた」場所であることに、間違いはないのではないか。

最初に紹介したコラムはこう続く。あの方ならどんな漢字を選ぶのだろうと、つい勝手な想像をしてしまう。残念ながら「忍」や「耐」か。宮城県丸森町の渡辺すみよさん(79)とおっしゃる。台風19号の豪雨と阿武隈川の氾濫によって自宅が胸の高さまで水に漬かり、避難所での生活を送っている。失礼にも、あまり楽しくない漢字を思い浮かべてしまったのはこの方のこれまでの日々がある。二〇一一年の東日本大震災。当時暮らしていた同県亘理町の自宅を津波に押し流され、夫を失っている。その後、夫の郷里である丸森町へ移り、家を新築した。今回浸水したのはその大切な家である。悪夢であろう。天を恨みたくなる二つの災害だが、渡辺さんは、「震災の時に比べ、今回は食料も飲み水もあるから大丈夫」と同じ被災者を励ましていると聞く。この方の心に、「強」の漢字を当てたくなる。

この方は「神は見て、良しとされた」世界に生きて、その人生を歩まれている。そのように世界を生きる者こそが、まことの「強者」なのである。この教会の信仰の先輩方、今、天国におられるひとり一人、どのような言葉でその生涯を思い浮かべようか。そして自分自身の生涯は、そんな一句に託すことができるか、この機会に思い起こしてほしい。