み恵みの内に、新しい年の歩みを始められたことと思う。新年らしいこういう文章を目にした。「マンネリから脱したい(心機一転)。だが、何をどう変えていいのかが分からない。そんなふうにあれこれ思いながら、もう相当、年を重ねてしまったという人は多いだろう」(1月1日付「北斗星」)、身につまされる呼びかけである。「少しでも張りのある生活を送るため常に新しいことに挑戦する姿勢が大切と主張するのは雑誌『暮しの手帖』の元編集長・松浦弥太郎さんだ。新しいことといっても大それたことではなく、ほんの小さなことでいいのだという」。大げさにではなく小さなことを見つける。「松浦さんがあるとき思いついたのが『自分プロジェクト』。自身に具体的なテーマを課し、その都度目的達成に取り組んでいくというものだ。一例として挙げたのが、ハーブティーをおいしく入れられるようにすること」なのだという。「湯の温度を少し変えてみたら香りが良くなったなど、毎日が発見の連続だったという。それによって朝のひとときが豊かな時間になり、生活にリズムができたと著書」は語る。
確かに何もしなくても、おのずと時は経ち、毎日は過ぎてゆく、それでいいのだ、ということはできる。だが何の目標もないまま無為徒食に過ごすのも、案外大変なことでもあろう。ちょっとしたことでも発見の機会を持ち、いろいろやってみることが生きる手応えにもつながるのは間違いではない。松浦氏は「毎日を新鮮にする一番の方法は好奇心を持つこと」とも述べているのだが。
さて、新年礼拝の聖書個所は、ヨハネ福音書1章29節以下のみ言葉である。いくつかの理由で、新年にふさわしいテキストだと言えるだろう。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」、洗礼者ヨハネは、主イエスの姿を見て、このように評するのである。当時のユダヤ人が、「神の小羊」と聞いたなら、真っ先に思い起こすのは、「過ぎ越しの祭り」であったろう。出エジプトの出来事を記念し、その時の神の救いのみわざを永く憶えるために、彼らは最も大切な祭りとして「過ぎ越し」の祭りを祝ったのである。出エジプトの前夜、鴨居に小羊の血を塗った家には、禍が通り過ぎた、という故事が、「過ぎ越し」の由来であるとされるが、さらに古くこの祭りは、実に「新年」の祝い、節分の魔よけの儀礼として執り行われてきたのである。
律法の規定では、この祭りには最も上等な身体に傷のない当歳の小羊が、感謝のしるしとして神のみ前に犠牲として捧げられる。また神のみ前ばかりでなく、各家庭で執り行われる家族の祝いの食卓にも、小羊の前足(ゼロア)は、晩餐の主菜としてメニューに上る。即ち、「犠牲、感謝、喜び」の象徴として、「小羊」が憶えられた。まさにそれ抜きには、「過ぎ越し」はないのである。
時、あたかも過ぎ越しの祭りの晩に、主イエスは捕らえられ、祭りのさ中に十字架に釘付けられ、血を流し亡くなられた。おのずと主イエスと犠牲の小羊が、オーバーラップされ、ひとつに結びつけられて理解されるようになったことは、当然である。キリスト教、あるいは教会を表すシンボル、シンボルマークは多くある。「船、ぶどう、魚、イルカ、鶏、十字架」等など、その表現の形は様々である。現在でも、何か大きなイヴェントや行事を行う際には、世間の注目や関心を高めるために、何某かの図案が提示される。新規でオリジナルなもので、しかもパッと見て耳目を集めるものでないと都合が悪いので、著作権もあり現代はたいへんである。「神の小羊」という象徴が、おそらく最も早い時期に教会での統合の象徴となったであろうことは、疑い得ない。主イエスは誰か、「神の小羊である」と。
なぜ教会が多様なシンボルを用いたのかについて、いろいろ説明することはできるが、「迫害」との関連で考えるのが、最も妥当だと思われる。同じ信仰を持つ教会内の人たちや、親しく顔見知りの友人知人ならば、ふれ合うのにさほど神経は使わないだろう。ところが教会や家庭の外でも、やはり人間関係はついて回る。初対面の人に、ストレートに「あなたは主イエスを信じてますか」、と唐突に尋ねるのは、やはり抵抗があるだろう。一般に「キリスト者」とは無神論者で、スキャンダラスな人々と見なされていたのである。余り大ぴらに自らをオープンにすれば、迫害にさらされ、自他共に苦難を招くだろう。しかし同じ信仰を持つ者同士、信仰の交わりによって励まし合い、支え合う必要もある。そこで相手がキリスト者であるかどうか、よく分からない場合、それを確かめる方法として、象徴(シンボル)を使うのである。小羊や魚の絵を描いて、相手に見せて、相手の反応を伺う。その絵を見て、相手がにっこりと微笑み頷けば、相手もまた同じ信仰の輩と確認できる。つまり仲間同士の「符丁」や「暗号」のように用いられた、という具合である。何だが小学生みたいな振る舞いであるが。それもまた初代教会の人々の娯楽、楽しみのひとつだったかもしれない。
洗礼者ヨハネは、そのようにユダヤの伝統的な象徴、それももっとも重要なシンボルであった「神の小羊」という概念を、主イエスに対して語った、しかも自らの信仰告白として語ったということである。「神の小羊」とは確かにユダヤでは、最も重要な贖いの徴、救いのための媒介ではあったろう。傷のない、つまり罪のない無垢な小羊が、人間の罪を背負って神の前に屠られ、それによって人間の諸々の罪が赦される。これは確かに大きなことであろう。罪は赦される道が備えられている。ところが問題は、なぜ「小羊」によって、人間の「罪」が赦されるのか、という肝心の事柄である。ただ「律法にそう書いてあるから」、で済まされる問題なのだろうか。
この個所でヨハネは、非常に興味深い発言をしている。しかも二度繰り返して、同じ言葉を語るのである。31節「わたしはこの方を知らなかった」。そして33節にも同じく「31わたしはこの方を知らなかった」。この言葉には、ヨハネの大きな驚きと意外さとがないまぜとなった言葉である。聖書で「知る」とは、特別な意味合いを持っている用語である。もちろん「知識」として知る、という意味はある。今まで知らなかったこと、無知だったことを教えられて、学んで理解をする、分かるようになった、という具合である。
しかしそういう「知識」レベルの事柄でなく、今まで身近な所、親しい所、手の届くほたことというものがあるだろう。今まで当たり前で、何とも思わなかった、どうでもよかったことが、突然、目が開かれるとでもいうように、自分にとって、かけがえのない大切で、大きな意味を持つものであることが分かった、というような決定的な出会い、あるいは発見というものはないだろうか。
「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った」二人の弟子と一緒にいた洗礼者は、歩いている主イエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と叫ぶ。「来られる」という言葉を、「通り過ぎる」と翻訳している聖書がある。自分の方へやって来る何ものかがある。それは人間であるかもしれないし、事件や出来事、あるいはそれらが重なり合って、自分のもとに訪れて来る。気付かなければ、意識しなければ「通り過ぎて行ってしまう」のである。ヨブ記のみ言葉なかに、次の一節がある「神がそばを通られてもわたしは気づかず/過ぎ行かれてもそれと悟らない」(9章11節)。さしもの洗礼者ですらも、そうであった。「わたしはこの方を知らなかった」、ため息をつくように、あるいはようやく分かった、と嘆息するように、彼は言葉を漏らす、「わたしはこの方を知らなかった」。
もうひとつ、この新年に心に留まった文章がある「映画『パーフェクトデイズ』は公衆トイレの清掃を仕事としている男の物語である。その業務の常として中断がある。『清掃中』の看板は立てている。けれど急用の人たちは遠慮がちに、あるいは無遠慮に使用する。そのたび清掃は滞る。清掃員『平山』は、常に平然と利用者を受け入れる。言うまでもなくトイレはそのためにある。とするのは、その中断を平山が楽しんでいるように見えることだ。中断を神から与えられた休憩のように過ごすのである。トイレの入り口にたたずみ、周囲の風景の中で移り変わっていく光と影を追っている。いま、ここにいること。いま、ここにある美しさを発見して味わうこと。彼の趣味の一つはモノクロのフィルムカメラで木漏れ日を撮影することだ。古いアパートで独り暮らす。未明に起きて缶コーヒーを買ってから清掃に出掛ける。夕刻には決まった銭湯と居酒屋に通う。夜は寝床で幸田文やフォークナーの文庫本を読んで眠る。そしてまた朝がやって来る。けれど、昨日と今日は決して同じではない」(12月27日付「小社会」)。
「わたしはこの方を知らなかった」、信仰とはこういう出会い、発見の連続ではなかろうか。人生にこういう思い、「知らなかった」を繰り返せるというのは、まさに幸いである。ましてや「中断を神から与えられた休憩のように過ごす」というのは、どうであろうか。私たちにとって、毎週巡って来る「中断」の時とは、「神の休憩」に与る時でもある。そして神のみ手によって、自分の道や思いや計画が中断される時がある。その時に「神の小羊」に再び新しく出会えることを、祈り求めたい。私たちが知らなかったことは、まだまだたくさんある。