主日礼拝「天が裂けて」マルコによる福音書1章9~11節

伝説に、雪山に寒苦鳥(かんくちょう)という想像上の鳥が住んでいると言う。冬の夜、寒さに震えるつがいが、あまりに寒いので、夜が明けたら寒さをしのげる巣を構えようと決意する。ところが日中、暖かくなると、やる気がうせる。また夜になって震え、やはり巣を作ろうと再び決意するが、昼になると…、と同じ事を繰り返す。

新しい年になると、こうした話が話題に上る。「今年こそは」と決意を新たに、なすべきことに向かってまい進しよう、寒苦鳥のように怠け者であってはならない。確かにそうだろう、人間に向上心は必要である。だがしかし、今のまま何とかやっていけるのであれば、「あくせく努力して巣を造る必要はない」とも言えるのではないか。皆さんは、どちらの解釈を好まれるか。本当は、怠け者にならず、とはいえ、あくせくしないで、ただそこまで上手く塩梅が取れる人も、あまりいないのではないか。

今日は「主の洗礼の祝日」である。クリスマスから2週間たち、この日でクリスマスの最後の祝日を迎える。イエスの洗礼の出来事は、イエスが神の子として自らを現される、という降誕節のテーマの一つの頂点であり、主イエスが神の子としての活動を始める出発点でもある。だから新しい年の初めに際して、その働きの出発点である主イエスの洗礼の記事を読むことは、真にふさわしいことであろう。私たちもまた、信仰者としての出発点、洗礼の時のことを思い起こして、一年を始めるのである。

私の恩師のひとりが、こう語ってくれたことがある。「空襲の焼け跡にひとり立ちつくしていた16歳で、自分の人生は終わったと思っている。その年に洗礼を受けた」。「洗礼」とはそう言うものだろう。それまでの自分の人生が断ち切られて、放られ、投げ捨てられる、と言ったら言い過ぎか。言葉はこう続く「洗礼を受けてからの人生は、言わば、おまけみたいなものだ、今、おまけの人生を生きているようなものだ」。キリスト者の人生は、「おまけ」だと言う。しかし、おまけ付きの物品は、得てしておまけ狙いの、おまけの方が楽しみなものではないか。おまけが欲しいために、敢えてその物を欲しがるいうことはないか。

さて、今日はマルコによる福音書の「主の洗礼」の記事である。マルコは非常にシンプルに、その時の様子を私たちに伝えている。9節「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」、この短い章句によって、マルコは、主イエスがどのような方なのか、誰なのか、何ものなのか、を明らかにしようとしている。「ガリラヤのナザレから来て」。著者はここで、「救い主キリスト」は、当時の大都市であり、ユダヤ教の総本山、大神殿のあるエルサレムや、そこに居を構えるきらびやかなヘロデ王の王宮から来るのか、と問うているのである。そうではないだろう、「異邦人のガリラヤ」と侮蔑された辺境の地、しかもせいぜい多くて人口800人程度の町、いや寒村と呼ぶ方がふさわしいナザレから来た、というのである。ヨハネ福音書では、(いちじくの木の下の人、教師?)ナタナエルは、「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と思わず本音を吐露してしまった。しかし、それが当時のユダヤの人々の正直な思いであったろう。聖書学者によれば、エルサレムを根城にする律法学者達は、ガリラヤ周辺の辺境の村町に下って来て、無知蒙昧の下々の者に訓戒を垂れる、有難いと思え、という高慢な態度で住民に接していたらしい。ところがマルコは、救い主はエルサレムからは真逆のところ、地理上も意識上も、全く反対の所から来ると言うのである。

確かにここには、歴史的事実が記されている。主イエスはナザレの人であって、ヨハネから洗礼を受け、そして主にガリラヤ周辺で活動し、エルサレムで十字架に付けられたのである。この記述にはまぎれもない事実がある。しかし、著者は歴史にだけ関心があるのではない。神の救いとは、どこからどのように来るのか、を鋭く問題にする。人々は皆、エルサレムにばかりに目を向けている、そちらばかりに気を取られている。しかし、神の救いは、人間の思いを裏切り、人間の思いとは全く別の所からもたらされる。場違いな所に目を向けて、的外れな所を望み見ても、見出せるのは失望しかないであろう。

「ガリラヤのナザレから来て」という章句に続けて、さらに「ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」と語られる。ナザレからやって来たイエスは、人々と共に、その中の一人として、バプテスマを受けた、というのである。これもまた著者の鋭い問いのひとつなのだ。ヨハネが宣べ伝えのは、「罪を悔い改め、赦されるための」バプテスマであった。そもそも当時、洗礼というものは、エルサレム神殿で行われていた儀礼である。異教徒がユダヤ教徒になろうとする時に、罪の清めのために全身に水が注がれる。こうした儀式は時代や文化を問わず、世界のいたるところで行われている。ヨハネは、「罪の悔い改めや清め」というものは、エルサレム神殿の、仰々しい儀礼の中だけでなされるものではないだろう、それは、特別な場所だけでなされるのではなく、日常の中、生活の中、どこででも行われるべきだ、「魂の方向転換」は、日々繰り返し、今ここで、新しくおこなってこそ、本当ではないか、というのである。

ナザレのイエスは、確かにこのヨハネの考えに共感して、人々と共にバプテスマを受けたのだろう。ところがマルコは、バプテスマの真実について「罪の悔い改め」、即ち「魂の方向転換」から、さらにその先にある事柄を指し示すのである。かつて遠藤周作が、この国のキリスト者をついて、こう語ったことがある。「なぜこの国のキリスト者は、皆、見るからに『私は罪人でございます』というような暗い顔をして生きているのか」。ただ暗い顔をして生きるだけが、悔い改めの風情ならば、それは「絶望」に向かって「方向転換」しているようなものだ。そんな絶望に向かって、暗闇に歩むために、私たちは洗礼を受けたのだろうか。

主イエスがバプテスマを受けられた時のことを、福音書はこう記している。10節「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、霊が鳩のように御自分に降って来るのを、ご覧になった」。「天が裂けて」、この表現は、この福音書の最後に、再び語られることになる。主イエスが十字架上で息を引き取られた時に、神殿の幕が「真っ二つに裂けた」のである。その時、神と人とを隔てる壁は破れる。しかし主イエスにおいては、洗礼の時に、すでに聖霊によって、天と地の隔ては壊される。そして神は告げる、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。

「わたしの心に適う者」とは、直訳すれば「あなたはわたしの喜び」、注意したいのはここには何の条件も付与されていないことである。「心に適う」とか「わたしの喜び」という場合、人間は大抵何かの条件付きでそう言う。「あなたはわたしの愛する子どもだ、あなたがただそこにいることが、わたしの喜びだ」、そのまま、ありのままの私が、神から愛され喜びとされている、洗礼によって主イエスは、この呼びかけを聞いたのだと言う。ただ思い巡らしたいのは、洗礼の後に、主イエスが聞いたこの言葉は、ただ主イエスのみに向けられ、語られた言葉であるのだろうか。

私たちが洗礼を受けるのは、バプテスマのヨハネの声、「悔い改めよ」を聞くからではない。ただ主イエスが、ひとりの人として、多くの人々に交じって、ヨルダン川の水につかり、バプテスマを受けた、この一事によるのである。主イエスが私たちのひとりとなって、私達と共に生きて、歩んでくださる、その見えるしるしが、バプテスマである。これに神は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と語られる。私たちも主イエスと共に在って、この同じみ言葉を聞くのではないか。

私のかつての職場の同僚に、2人のお子さんの父親がいた。上の子は、運動に優れ、バスケットのチームで活躍し、さらに勉強もできる「文武両道」で、申し分のない子どもであった。ところが下のお子さんは、生まれた時から心臓に病気を抱え、生後数カ月で、心臓の大きな手術を受けなければならないほどであった。そして成長し、心臓が大きくなる度に、手術を続けなければならないと、医師から予告されていた。両親はどうしても病弱な下の子に集中し、その世話に罹りきりになる。あの子は大丈夫だ、あの子なら何でもできると思われていた上の子が、ある時、物にあたり、家の中をめちゃくちゃにしたのである。そしてなだめ叱る父親にこう言ったという、「とうさんは、ぼくなんか生まれて来ない方が良かったんだろう」。「大丈夫だ」と放っておかれ、それでも気丈にがんばってきたが、寂しさがつのったのであろう。「あなたはわたしの愛する子、わたしの喜び」という言葉が、人間にはどれほど必要か、そしてこの言葉を、私たちがどこに聞くことができるのか、を考えさせられる。

私たちはどこまでいっても、「雪山の寒苦鳥」のようなところがある。夜は寒くてどうにかしなくては、と思いつつも、昼暖かになれば、何とかなればこれでもいいか、とやり過ごすのである。そして、毎日、同じような「生きる」ことを、繰り返し歩んで行く。そこにこの神のみ声が響く、主イエスへと呼びかけられた「あなたはわたしの愛する子、わたしの喜び」という声を、私たちも共に聞いて、また歩み始めるのである。ここに洗礼の恵みの大きさがあるだろう。