新年礼拝「気づかず、分からなかった」ルカによる福音書2章41~52節

「素手でサメを捕獲する」、「自分一人だけでライオンを狩る」、「木のツルで足首を縛り、30メートルの高さからバンジー・ジャンプする」、「30頭以上の牛の背中に飛び乗り渡る」、「毒アリがたくさん入った手袋に手を突っ込む」。いささか危険で荒々しいチャレンジ、トライアルである。この国の「晴れ着を着て、祝辞を聞く」風景とは大違いである。これらはみな、さまざまな国で行われるの成人の儀礼である。但し、これらの試行は、文化人類学では、「イニシエーション」と呼ばれ、ハードルを飛び越すような「通過儀礼」を遂行することで、共同体の正式な成員として認知される行為である。だからこの国のように大人になったことを、単純に皆で祝福し、祝うという単純な意味合いはない。

この国の成人式は、市区町村の肝いり、即ち「公」によって祝われ主催されるという、世界でも稀有な例である。多くの国で行われている「成人の祝い」は、あくまでも各家庭の私的行事で、家族、親戚が集まって飲み食いし、何某かのプレゼントを贈り、子どもの成長を祝い、祝福するという習慣である。キリスト教国ならば、大体15歳くらいでカテキズムを学び、礼拝で「堅信礼」(自身の口で信仰を表明する儀式)を受ける。それが済んだ後に、家族親戚が集まり、祝いの会を行う。だから「堅信礼」教育が、大人への道備えなのである。

ナチス・ドイツに抵抗して捕えられ処刑された牧師、ボンフヘッファーは若い頃に、他の牧師が手を焼いて匙を投げた「(その牧師の目からは)どうしようもない子ども達」を集めて、「堅信礼」の準備教育に携わったが、彼はこの時をとても楽しみにし、喜んでやっていたと語っている。「とてもまじめなひと時だ。学びが終われば皆で遊ぶ、子ども達は喜んでやって来る」と述解している。ヒットラーと戦う抵抗の牧師は、神学者である以前に、大人になろうとする子ども達にとっての「よいせんせい」だったようだ。

今日の聖書の個所は、新年、公現日(エピファニー)の前後に読まれることの多いテキストである。主イエスが「12歳」、まだ少年の時の逸話であるという。ユダヤでは大体、男の子は「13歳」で成人式(バル・ミツバ)、女の子は「12歳」で成人式(バット・ミツバ)を迎える。「ミツバ」とは「戒律」のことで、律法を自覚的に守ることが出来る年齢に達したことを祝うのが、ユダヤの成人式である。ユダヤ教の儀式としては13歳になった男子はシナゴーグ(ユダヤ教会)において初めて聖書を朗読する。ユダヤ教では毎週読まねばならない聖書の箇所が決められているが、自分の生まれたその週に読まれた聖書の箇所を、正式な読み方をラビ(律法学者)に教わり、暗誦するのである。会衆の前に一人前の信者として初めて登場する晴の舞台、ユダヤ教徒としての数に加えられる日である。

ところが近年、礼拝後に行われる披露宴は、結婚式さながらに盛大なものになっているそうで、ある家では劇場の中庭を借り切り、そこに室内楽の生演奏を用意し、サッカーファンの息子のために、彼の応援チームの花形選手を招待して、息子へのサプライズ・プレゼントにしたとのこと、この時に招待された客は200名近くだったという。だから最近、極端な華美を戒める声も大きくなっているらしい。

主イエスが「12歳」ということは、バル・ミツバを迎える、つまり大人になる直前のエピソードということになる。46節でルカは、「イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられる」と記しているが、この情景は、子どもが先生から律法の勉強をしている風景が、鮮やかに切り取られている。生徒は地べたに座り、先生は立って律法を唱え聞かせて、生徒に繰り返し復唱させ、暗誦させるのである。おそらく主イエスはナザレの村の無花果の木の木陰で、こんな風に律法を学んだと思われる。そして今や、大人の階段を一歩登ろうとしているのである。

42節「イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった」。これは興味深い記述である。すでに少年イエスは、自分の頭で考え、自分の足で歩み、自分の判断で行動している。そして親たちはと言えば、それに全く気付いていないのである。子どもは、いつの間にか、もうすでに親が理解できない、分からない道を歩みだしているのである。それを知る時、親は訳が分からず慌てふためく。

行方不明になった息子を捜して、親たちは血眼になり、エルサレムに舞い戻り、ひたすら神殿内を捜す、かわいい子どもが迷子になった一大事だ、としか思っていない。すると当の迷子は、学者たちの教えに熱心に耳を傾け、やり取りしているではないか。息子の無事に安堵したのか、つい叱責の言葉がマリアの口から洩れる、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。すると少年イエスはこう答える「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。両親にはこの言葉の意味、主イエスが答えた言葉の意味が分からなかった、というのである。

子どもが大人になる時、親でさえも、子どもの語ること、ふるまい、そこに込められている真実に全く気づけないし、まったく理解できないのである。「訳が分からない」、子育ての中で、皆さんもそういう思いをされた方が多いのではないか。マリアとヨセフでさえも、成長し、大人になろうとしている息子の振る舞いに、当惑し、私たちと同じ思いをしているのである。

ところで「自分の父の家にいるのは当たり前」という少年イエスの言葉を、皆さんはどう聞かれるだろうか。主イエスは本来、父なる神のひとり子なのだから、神殿は神の住まいであり、父の家だから当たり前ではないか、と読んでしまうのでは、あまりに表面的すぎる。そもそも「父の家」とは何なのか。人間には、誰しも家、つまり自分の居場所が必要である。子どもの時は、親の家が居場所である。自分を守ってくれ、保護してくれ、必要なものを提供してくれ、生命を支えてくれる場所のことである。これがなくては、子どもは成長することができない。しかし、いつまでも親の家が、自分の居場所であり続ける訳ではない。たとえ親と同居していたとしても、親の家だけが、自分の唯一無二の場所とはもはやならないのである。

人間は、お金や食べ物、衣食住が提供される場だけが、自分の居場所ではない。ほんとうの居場所とは、人から与えられるものではなくて、自分が見出し、自分がそこに歩み、自分がそこで安らぐことができる、自分らしくあれる場所である。それがどんな所なのか、余人は推し量ることはできない、まして親でさえも、知ることや理解できるような場所ではない。そこに身を置く時に、人間は変わる、主イエスもまたそうである。51節「イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」。これまではマリアとヨセフ、つまり親の方が、子どもの成長を支え、育み、いろいろ世話を焼いて来た。しかし今は、両親と共に生活していても、「両親に仕えて」過ごしている、まったく関係が逆転するのである。

岡山に「子どもシェルターモモ」という名のNPO法人がある。困難を抱える子どもたち、多くは親から虐待を受け、居場所を失った子どもたちのシェルターを運営しているセイフティネットである。子どもたちのこと、何も分かっていなかった―。半世紀以上、ここで子どもたちを支援する活動をしてきた西崎宏美さんですら、驚くことの連続だったという。13年前にここを設立し、専務理事として日々、親の虐待から逃れてきた子どもたちに接している。「フライパンって円いんだね」と言う子がいる。家では殴る道具として使われ、変形していたという。「みかんとバナナは嫌い」と言う子がいる。食べ物の好き嫌いの問題ではない。親だけが中身を食べて、子どもに皮を無理やり食べさせていたからだという。10代で出産した少女は、赤ちゃんに乱暴な言葉で話し掛けた。自身も親から暴言を浴びて育ち、優しい言葉を知らなかった。それでもあるボランティアはこう語る。「初めて会った頃は、学校での辛い出来事を話しながら、友達や先生への攻撃的な言葉を発しながら、私の目の前の椅子を蹴とばすなど、モノに当たって感情を爆発させることが多かった子が、就職してしばらくすると、『職場にはイヤな人も居るけど自分の事を理解してくれる人もいるんだ』と穏やかに話してくれるようになりました。その子の成長ぶりを実感できるのが、わたしの喜びとなっています」。

今日のテキストは、短い逸話の中に、子どもの成長、子どもが大人になるプロセス見事に表現している。子どもが大人になる時、親でさえも「訳が分からない」と当惑を覚える、それは取り残されるようで、一方で寂しい思いが沸き起こる。しかしこれについても、ルカは記す「母はこれらのことをすべて心に納めていた」。クリスマスの時、羊飼いの言葉を聞いた時と同じ表現が用いられている。「心に納める」とは、理解や分かることがなくても、忘れないで、心に引っかけておく、という意味である。実はこれは「信仰」のあり方を示す言葉なのである。「信じる」者は、たとえ分からなくても、理解できなくても、放り出すことなく、事柄をありのままに心に温め続ける。子どもを信じる、子どもの力を。可能性を信じる、のではない。自分とは別の人格である子どもである。そこに働くのは、その子に生命を与え、主イエスをこの世に生まれさせた神のみである。その神の御手に私たちは信頼するのである。そこに子どもの成長の根源があることを忘れたくない。