「世界祈祷日2021」礼拝 「堅固な土台の上に建てなさい」 マタイによる福音書7章24~27節

「ここには、昔からの多くの伝統(生き方)が残り/また今、多くの新しい生き方も生まれている/しかし私たちは、ただひとつであるだろう/これが私たちの道(足を置くところ)だ」、これはバヌアツの国歌の一節である。“Yumi”という言葉が、何度も繰り返し歌われる。これは英語の”you and me(わたしとあなた)”から派生したピジン英語だが、違いがあっても「私たち」は、ひとつになって、共に歩んで行こう、という国民のこころを良く言い表している。そしてこの章句に、バヌアツという国の、歴史、個性、運命、課題が、端的に物語られていると言えるだろう。

例年、春浅き3月初旬に行われる「世界祈祷日」だが、昨年と同様に、今年もコロナの影響で、地域の教会の人々が合い共に集って、集会を開催することができなかった。残念だが、各教会毎に、時機や持ち方等、できる範囲で開催してほしいという呼びかけで、私たちの教会では、今日、「世界祈祷日2021」の礼拝を守ることになった。今年の式文を作成してくれたのは、バヌアツの女性たちであり、バヌアツの人々、そこでの生活を覚えて、共に祈りを捧げたいと思う。

地理上では、「バヌアツ共和国」は南半球、オーストラリアのすぐ東の南太平洋上に、80余りの島々から構成されている国家である。面積は1万2,190平方キロメートル(新潟県とほぼ同じ大きさ)に、全人口約31万人が住むという。1980年に独立をするが、それまではイギリスとフランスの共同統治領(植民地)であった。その影響で、公用語は、英語、フランス語、ビスラマ語(ピジン英語)が用いられている。17世紀初頭以来、ヨーロッパの宗主国のもとに置かれていたゆえに、国民の80%以上がキリスト教を信仰しているが、アニミズム的な感覚も強く残している。先ほど紹介した国歌も、まるで讃美歌のような雰囲気を持っている。

ほとんどが小さな島嶼からなっている地域ゆえに、多様な民族や文化が交錯し、さらに2つの国によって共同統治されていた経緯は、この国の事情をさらに複雑なものにしているといえる。独立後も、社会インフラの整備は遅れており、医療機関の乏しさ、栄養不良や不衛生な飲料水の摂取により、乳幼児の死亡率は非常に高いままである。先ほどの式文の「バヌアツの声」からも知れるように、教育や就労の困難さ、家族の健康管理や生活の資を得る困難さが、日常の問題として、特に女性に対して、のし掛かっているのである。

今回のバヌアツを覚えての世界祈祷日、主題は「堅固な土台の上に建てなさい」である。

24節「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」。このみ言葉から引かれた「固い岩の上に」「堅固な土台の上に」という合言葉は、正にバヌアツという国にふさわしい祈りであろう。バヌアツという言葉自体、メラネシア系の言葉「バヌア(土地)」と「ツ(立つ)」で「独立した、しっかりとした土地」という意味なのである。さらに先ほど紹介したこの国の歌の一節、「昔からの多くの伝統(生き方)が残り/また今、多くの新しい生き方も生まれている」、これは植民地時代以来、現代までもこの国の大きな課題として問われている事柄なのである。昔からある、根強く続いている生活のスタイル、やり方がある。例えば、今なお、貨幣によって経済活動が行われ、人々の生活が営まれている訳ではない。ほぼ自給自足農業と観光業、コプラや少しの農産物輸出で産業が構成されている。伝統文化と新しい生き方の間で、これから、自分たちは、どこに足を置いて、歩んで行けばいいのか。その模索が続けられているという。

今日の聖書個所には、こういう事も語られている「言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」。この地方では、海に囲まれた島国の宿命として、私たちの国も同じだが、毎年のように大きなサイクロンに見舞われる。「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて」は、年中行事のように起こって来るのである。特定非営利活動法人「難民を助ける会(AAR Japan)」の駐在員はこのように伝えている。「国の60%の人々が被災し、半数以上の建物が、一部損壊、もしくは全壊した。しかし、村の多くの家は、竹やタコノキという現地の木材でできた小さな家だったため、壁が潰れてその下敷きになって大けが、ということはほとんどなかったようです。また、素材が、自分たちの村で手に入るもののため、サイクロン後の再建活動も迅速でした。藁葺の簡素な家であれば、村人が朝からつくり始めれば、その日のうちに完成してしまいます。私が訪問したエファテ島のエトン村でも、損傷した家の木材を家の支柱から外して、使える木材を使って、ほんの1メートル横で新しい家を建て直している家族がいました。こうしたバヌアツの家づくりを地元新聞では、毎年のサイクロンに備えた『伝統の知恵』として紹介していました」。

大風や嵐で、家は吹き飛び、倒れるだろう。でも家はサイクロンが過ぎ、嵐が収まったなら、また立て直せばよい。ところが問題は、「どこに土台を据えるのか」なのである。今、バヌアツで一番の心配事は、「地球温暖化」の問題である。過剰な温室効果ガスの発散によって、海面が上昇する。小さな島国のバヌアツでは、土台そのものが海に沈み、なくなってしまう可能性すらある。しかし、そんなに遠くない未来において。「堅固な土台の上に」それはどこにあるのか。

主イエスは「わたしの言葉を聞いて、行う者は、岩の上に自分の家を建てた賢い人」と言われる。「バヌアツの声」で語っているモシーは、そのメッセージの中でこう告白している。「苦難の日々のただ中では、この神さまの愛を理解できません。家族は、わたしを守ってくれませんでしたが、神さまがわたしを守ってくださると信じました。この神さまへの信仰がわたしの中で大きく育っていき、人生の土台となりました。神さまが必要なものを与えてくださることを信じて、ほかの人たちとも分かちあっています」。

遥かな南の島国バヌアツ、と私たちの国は、決して無関係の間柄ではない。島国故に、自然災害に常に脅かされているし、地球温暖化の影響も、強く被る国でもある。そして何より、私たちもまたこれまでの、この国の伝統的なものと新しいものとの間で、うろうろしているのが現状ではないか。私たち自身もまた「どこに足を据えるのか、堅固な土台の上に立てなさい」と呼びかけられている。「神さまがわたしを守ってくださる。信仰がわたしの中で大きく育っていき、人生の土台となりました。神さまが必要なものを与えてくださることを信じて、ほかの人たちとも分かちあっています」。おそらくこの国に住む私たちも根本では、同じことなのだろう。壊れた家はまた建てればいい。しかし今、一体どこに足を置くのか、私たち自身が、鋭く問われているであろう。