かれこれ20年以上前、教会の有志と共に沖縄を訪れた。毎年、夏休みになると、かつて教会で共に礼拝を守り、その後、様々な事情で他住している古い友人を問安する旅を行っていた。今では懐かしい思い出である。懐かしい友人との再会、という目的の他に、私たちには沖縄でどうしても訪れたい場所があった。それは「伊江島」である。そこへは沖縄本島の本部からフェリーに乗って数十分で到着する、メキシコの帽子、ソンブレロのようなユニークな形をしている島である。
伊江島観光協会の案内にはこう記されている。「1945年(昭和20年)4月16日から21日まで、伊江島では『六日戦争』と呼ばれる日米の激しい戦闘があった。日本軍約2000人、村民約1500人がこの6日間で戦死した。 戦後数十年たった今も、米軍基地の面積は島の35%を占めたままである。 1953年、米民政府は沖縄全県下で農民の土地を接収したため、伊江島でも真謝区、西崎区に始まり、1955年からはブルドーザーで住宅を壊し、農作物を焼き払った。 島民は全県を歩きこの島の惨状を世論に訴え、沖縄の土地を守る『島ぐるみ』闘争の導火線となった。 1961年には『伊江島土地を守る会』を結成。『団結道場』を建設し、戦いを引き継ぐ多くの青年を教育した。 戦後、土地返還闘争の先頭に立ってきた阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんが、自分の土地を売って開いた反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』には、 戦争中の生活品や遺品、米軍の銃弾などが記録・展示されている」。この案内に記される阿波根氏が私財を投じて開設した、反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』を訪れ、是非ともその足跡に触れたかったのである。彼は非暴力に徹した平和運動家として「沖縄のガンジー」とも称された人である。沖縄戦の体験者であり、ご子息は沖縄本島で戦死されている。
資料館の玄関わきの壁に、このように記されている。「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ(聖書)、基地を持つ国は基地で亡び 核を持つ国は核で滅ぶ(歴史)」。そして館内に展示されているのは、サトウキビ栽培などで暮らす島民が戦後、米軍の強制土地収用に抗った「土地闘争」を今に伝える写真や旗のほか、おびただしい数の米軍演習地で拾い集めた砲弾の残骸、薬きょう、パラシュート、鉄条網など。これらの資料はすべて「伊江島土地を守る会」をつくり土地闘争の先頭に立った阿波根氏が、島内の接収された土地から、ひとつ一つ自らの手で拾い集めたものであるという。銃弾や演習での使用品など、あまりに膨大な数に驚かされる。そして、この人の生の根底にあったのが、ひとつの聖書のみ言葉、「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」、この聖書一句が、生涯を貫いていることを知って、愕然とさせられた。
今日の聖書個所は、主イエスがユダの手引きによって、祭司長たちによって捕縛される場面である。この時、「大勢の群衆も、剣や棒を持って」、やって来たと言うのである。彼らに対して「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった」と主イエスは発言されている。「公生涯」と称されるように、主イエスの活動は公然と皆の目の前で、大っぴらに行われていたから、武力とは無縁の活動であることは、すでに周知のことだったろう。その丸腰でまったく無防備の人に、「大勢の群衆も、剣や棒を持って」対すると言う所に、人間の性情、特性が良く表れているだろう。
いや祭司側ばかりか弟子たちもまた、武器を持って応戦しているではないか、と言われるかもしれない。「そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした」。しかしこれも窮鼠猫を噛む、という具合に、弟子の数はたかだか十一人、多勢に無勢であることは、明白である。しかし、弟子たちもまた最低限の武器を身に付けているのである。ここで注目するのは、全く武器を帯びていないのは、ただ主イエスひとりだけ、という事実である。これが何を意味するのか。
大勢の群衆が、剣や棒を持って、主イエスを取り囲んでいる。弟子たちも、剣を握りしめている。武器を持っていないのは、主イエスただおひとり。ここに私たちの世界の有様が凝縮されているようだ。どうして私たちが剣を持つかというと、結局、怖いからである。死にたくない、滅びたくない、自分の命を救いたい。そういう考えに凝り固まる私たちは、武器を持てば敵はひるんで襲ってはこないだろう、自分の命を救えるだろうと考え、恐れの中で武装をするのである。しかし、それでも恐れが解消するかと言えば、なくならないばかりか、相手への不安、もっと強い武器を有しているのではないかという憶測から、恐怖はさらに募り、怯えの中で立ち尽くすのである。私たちの心の最も深いところにあるのは、結局、恐怖でしかないのである。武器を取ることで恐怖はなくならない。
そして、そのような恐れのとりこになっている人間たちの真ん中に、ただひとり、剣を持たぬ丸腰の神の子が立っているのである。これは私たちへの問いかけであり、警告であり、裁きであり、もう一つの道、剣を取るのではないあり方の啓示である。結局のところ、「どんなきれいごとを言っても、この世の中は剣の力によるしかない」、という集団幻想的観念を、主イエスは自らの生きる姿で、ひっくり返して見せられるのである。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」。しかしこんな姿勢を、私たち自身が自らの生き方としてなしうるのだろうか。
阿波根氏は、接収された自分たちの土地の返還を求める闘争の際に、このように心得を記し、そして彼と行動を共にする島民も、それに倣ったのである。これも「ぬちどぅ宝の家」の壁に記されている。「反米的にならないこと」、「怒ったり、悪口をいわないこと」、「耳より上に手をあげない」「ウソ偽りを絶対に語らない」「布令、布告など誤った法規にとらわれず道理を通して訴えること」「人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優(まさ)っている。破壊者である軍人を教え導く心構えが大切である」等、11項目にわたる陳情規定を明文化して、自分達の土地を返還するように粘り強く訴え続けたのである。その結果、動かない山が、わずかずつだが動いたのである。
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」、これは歴史が証しする真実である。しかしこれを生きようとする人は多くはない。しかしこうした生き方を選び取った人々がいて、現実にこのみ言葉を生きたのである。この世界が、何とか、どうやらこうやら今も保たれているのは、主イエスの祈り、さらにこのみ言葉を生きる人たちの祈りではないのか。この祈りを共にすることから、まず始めよう。