説教『神の国は、今、ここにある』(ルカ17:20~21)

2015年 6月7日              礼拝説教・要約
説教『神の国は、今、ここにある』(ルカ17:20~21)

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◎ 6月最初の主日、聖霊降臨節・第3主日を迎えました。先週は後半から雨模様になりました。間もなく、 関東地方も梅雨に入ることでしょう。この6月は次週「花の日・子どもの日」を迎え、28日には創立記念日を迎え、教会の初心に帰り、新たな思いで歩むことになります。6月も良き歩みであるように祈ります。

◎ さて、今日も聖書の御言葉を通して主のメッセージを聞いて参りましょう。今日の箇所、ルカ17:20~21は短い箇所ですが、ここには神の国・神の支配がいかなるものかが凝縮して語られています。今日は、この御言葉を通して神の恵みが私達に、また、この世にいかに豊かに注がれているかを見て参りましょう。◎ 前回は、主イエスがエルサレムに向かう途中、ガリラヤからサマリヤに入られた時、ある村で重い皮膚病を負った10人が主によって癒され、一人だけが神を賛美し、主の元に帰り感謝したことが書かれていました。今日はその続きです。ファリサイ派の人々がイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねた。その問いにイエス様が答えられたと言うのが、今日のお話です。まず、考えておきたいのは、なぜ、ここで、ファリサイ派の人達が「神の国はいつ来るのか」と尋ねたのかということです。これはユダヤ人の問いでもありました。なぜなら、ユダヤ人の国は紀元前1020年から922年まで続いた統一王国時代の後、南北に分裂し、北イスラエル王国は紀元前722年にアッシリアに、南ユダ王国は紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされ、後、50年間の捕囚時代がありました。その後もユダヤ人はペルシャ・ギリシャ・ローマ帝国に支配されてきたのです。外国の支配が続く中、ユダヤ人は独立と自由、平和と繁栄を求め、やがて救い主の到来と共に神の国が来ることを待ち望んでいたのです。そして、イエス様こそメシア・救い主だと期待する人々もいました。そのような中で、ファリサイ派の人達はそのようにイエス様に質問したのでしょう。

◎ この問いは、現代に生きる私達の問いでもあります。今から2000年前にイエス様が来られたのに、この世には、いまだなお、悪・憎しみ・争い・苦しみ・悲しみ・罪が満ちている。自分も家族も多くの人も様々な困難を抱え、苦悩している。一体、いつ神の救いはこの世界に到来するのか。いつ、神の国はこの世界に実現するのか。
これは、現代を生きる私達の問いでもあります。「いつ神の国は来るのか」、これは人類の問いでもあります。
◎その問いに対して、イエス様はこう答えます。「神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにあると言えるものではない」と。イエス様は、神の国は目に見える形では来ない、目に見えるものではない、と言うのです。では、神の国とはどういうものか。主は答えます。「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」と。これはどういう意味でしょうか。これは以前の訳では「神の国はあなたがたの内にある」となっていました。岩波版の佐藤研訳では「神の国はあなたがたの現実のただ中にある」、本田哲郎神父訳は「神の国はあなたがたの身近に入り込んでいる」です。ギリシャ語の「エントス・ヒューモーン」をどう訳すか。「ヒューモーン」は「あなたがた」、「エントス」は英語でamong、whithinなどと訳されます。多くの訳と福音書全体から、ここは3つの訳に集約できます。「あなたがたの内に」「あなたがたの間に」「あなたがたのそばに、身近なところに」、この3つの意味でイエス様は神の国を語っておられると言えます。
◎では「神の国はあなたがたの内にある」とは、どういう意味でしょうか。それは、私達の内に注がれている神の霊・聖霊が生きて働いていることを指しています。その聖霊は私達に真理を示し、神の愛と恵みを豊かにしてくれます。私達が感情的になったり、悪いことをした時、聖霊は冷静にさせ、気づきを与え、良心の感覚を鋭くしてくれます。私達の内には神様が生きて働いておられる。その神の働きに自分を委ねる時、神の愛と平、正義が私達の心の中には神の国が築かれる。その意味で、神の国は私達の内にあると言われたのではないでしょうか。
◎次の「神の国はあなたがたの間にある」とはどういう意味でしょうか。「私達の間」とは、人と人との間、人間関係と言えます。神様は私達の間にいて、私達の関係を豊かにしてくださっているのです。昨年、教会の交わりとは神様・イエス様を通しての交わりだと礼拝の中で申しました。私達・人間同士の直接的な関係は良い時もあれば悪い時もあります。時に感情的になり、愛にも強弱があり、実に頼りないものです。キリスト者の交わりはイエス様を通しての交わりです。イエス様を介して交わる時、愛と赦、敬意と祝福をもって交われる。そのように神様・イエス様を介して交わる時、すばらしい交わりが生まれる。実に神の国は私達の間にあると言えます。
◎最後に「神の国はあなたがたのそばにある」とはどういう意味でしょうか。主は、野の花・空の鳥を良く見なさいと教えました。私達のそばにある野の花・空の鳥の中に神の恵みが溢れているのです。私達は、周囲の環境や人々、社会に不満を抱きますが、良く見ると神の恵みは溢れています。神の恵みに目を注いで生きる時、神の国はそこにあると感じるでしょう。主は、神の国は今、ここにあると教えている