「だれのところに」ヨハネによる福音書6章60~71節

東北の大きな震災から9年を経た。青森の新聞がこう伝えていた。「東日本大震災から9年になるのに本県には、岩手、宮城、福島の被災3県からの避難者が2月時点で262人もいる。発災当時の約1200人からは相当減ったが、本県の親戚や知人宅に身を寄せる人たちが大半だ。まだ帰れないのか、もう帰らないのか。いずれにしろ、避難生活の支えになるのは周りの県民からの励ましだろう」。

エーリッヒ・フロムという思想家がいる。実存主義哲学者のひとりである。彼は「自由」を2つの面、2つの方向から理解する。まず「苦しみ、困難」からの自由。人間は苦しみの中で鍛えられると言うが、それにも限度があるだろう。知人で生真面目なあるキリスト者がいるのだが、若かりし頃、強い人間になりたくて、若気の至りで、「神様、我に患難辛苦を与えよ」と祈ったところ、苦しいこと困難ばかりが身辺に起こってきて大変なことになり、根を上げて、「神様もう止めてください」と涙ながらに祈ったそうであ。祈りは聞かれるのである。「強い人間になるために苦しみに耐えよ」というのは、倒錯した観念である。自分から求めなくても、苦しみは向こうから勝手にやって来るから、敢えて求める必要はない。

しかし、「あなた方を耐えられないような試練に会わせることがないばかりか、逃れる道も備えてくださる」というのも真実である。「~からの自由」とは、逃れる自由、逃げてもいいよ、逃れる道を探す自由である。しかし今度はそこから新しい課題が生じる。逃げたのは良いが、今度はどこに行くのか。災害で命からがら助かった。しかしそのままそこにいるわけにはいかない。避難所や新しい身の置き所、安心、安全な場所を見つけなければならない。人間、逃げるが勝ちとはいうものの、逃げて、それでお終しまいにはならないところが厄介である。それを「~への自由」とフロムは呼ぶ。「あなたはどこに行くのか」。

旧約聖書の士師記に興味深い話が伝えられている。ベツレヘム出身のユダ族のひとりの若者、どういう理由かはわからないが、故郷を離れて、あちらこちらふらふらと旅をしている。彼は言う「私は自分の住むべきところを尋ねて、さまよい歩いている」。非常に現代的ともいえる感覚だ。こういう物語が古代の文学にも語られることは、「わたしはどこに行くべきか」という問題を、人が常に抱え続けていることが分かる。年を重ね、住むところ、自分のなすべき仕事を持つようになるにしても、やはり人間はこの問いを持ち続けるものかもしれない。

今日の聖書だが、聖書の中でも極めて重要なみ言葉と思う。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」。その理由は、55節の主の言葉にある。「引用」、わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め、私たちはこの言葉は「主の晩餐」を指している、と知っているので、これは「比喩、隠喩」、つまりものの喩えであると了解している。ところが、ヨハネの時代、教会が迫害された理由のひとつが、実にこれだったのである。「教会は人の肉を食らい、人の血を啜っている」。妬みと悪意の籠った誹謗中傷だが、この噂、フェイクニースに扇動され、教会を迫害した人々も多かったのである。もっとも、教会もリアルさを追求して、パンを人型に成形したものだから、それも悪かった。ある子育て中のお母さんが語っていたことだが、「子どもは親の愛情を貪り食べて大きくなる」、聊かあからさまな喩えであるが、子供の生命や成長を支えるものが何であるか、見事に言い当てているように思う。あながち、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲め」というみ言葉も大げさな言い回しとも言えないだろう。

この「離れ去る」は、元の古巣に戻る、後戻りする、もとの生活に戻る、という意味合いの言葉である。ここにヨハネの教会の状況を読み取る学者もいる。簡単に言えば、教会に人が来なくなってしまった、のである。迫害か分裂か、あるいは飽きられたのか分からない。かつてこの国でも戦後まもなくキリスト教ブームというものがあった。その時には、教会に人があふれた、という。その頃教会に集った人は、いまどうなったのであろう。私は一度真面目にイエスに出会ったなら、キリストに触れた痕跡、名残というものがその人に残るだろうと思っている。

若い頃、内村鑑三に感化され、植村正久の基に洗礼を受けた作家、正宗白鳥は後になって、キリスト教や教会の悪口を、ひどくあしざまに語った人である。「洗礼のときに頭に水をかけられた。バケツいっぱいの水を持って、牧師にお返しに行こうか」とまで言う。しかし死の床で植村環牧師から、「祈れますか」と問われて、「アーメン」と唱和したという。彼はキリストの下から一たび、離れ去ったが、もう一度目覚め、帰って来たのかもしれない。あるいは、本当は心の底では、離れることはできなかったのかもしれない。なぜなら、教会の悪口は語っても、イエスのことは、決して悪く言っていないのである。他人の問題としてではなく、あなた自身もまた、教会に行かなくなったなら、どういう生活になると思うか。皆さんはどう考えるか。

イエスは言われる「あなたがたも離れて行きたいか」。何よりこの主の言葉を、自分への問いかけとして聴いて欲しい。あの兄弟も、あの姉妹も、あの友も教会から去っていった。あなたも離れて行きたいか、あなたがたは、もはやイエスのいない、信仰のない、もとの生活に帰ろうと願うのか。

このみ言葉に教会はすべてがかかっているといっても良いと思う。私たちは「教会は自由なところです」、と言う。献金も洗礼についてもそうである。それは私たちの信念や教会観、価値観から出ているのではない。それがどこに発しているか、この主のみ言葉である。一度信じたら、もうやめることは出来ません。死ぬまでイエスに従わなければなりません、というのとは違う。この言葉によって、主イエスは徹底的に人間の自由な決断を認めているのである。「多くの人々が立ち去って行った、あなたもそうしたいのなら、私は止めることが出来ない。強いて自分のそばに引き付け、縛ることは出来ない。あなたは離れることが出来る」。もっともこの言葉には、「そういうことはないだろうが」という深い信頼のニュアンスも含んでいる。しかし、私たちは常に「あなたがたも離れて行きたいか」というイエスの問いの前にある。

牧師の仕事のひとつに、教会に集う人々の最期を送る、という務めがある。これまで何人もの方をお送りした。それらすべての方が、今も懐かしい思い出となっている。それらの方々の中で、ご家族の全員の最期を看取るという機会を与えられたことがある。お子さんひとりとそのご両親である。そのお子さんは学校の教え子のひとりでもあった。そのお子さんは、小さい頃小児まひに罹って、少し身体が不自由であった。二十代の時に、尿毒症を発症されて、突然、何の前触れもなく天に召された。さらにその二年後、お父さんも、心筋梗塞で突然亡くなられた。ほんの数年のうちに、奥様ひとりが後に残されたのである。ヨブ記に「主は与え、主は奪う。主の御名は誉むべきかな」とあるが、そんな悟りきったことを、私はとても言うことが出来なかった。愛する人を次々に奪ったのは、他ならぬ神である。奥様を一人ぼっちにしたのも神である。その方自身はその後、深く心に病を負われた。その残酷なみこころ(?)の中で、ひとり病を負いながら生きて行かれたのである。そういう信仰など吹き飛んでしまって当然の中で、この姉妹は、キリストから離れなかった。教会から立ち去らなかった。否、キリストから離れられなかった。

「あなたがたも去ろうとするのか」と主に問われて、ペトロはこう答える「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょうか」。この応答の言葉はどこから生まれるのであろうか。熱心な信仰、真面目な祈り、熱心な奉仕、聖書の深い学びから生まれるとは思えない。ただ、主の十字架への歩み、十字架の苦しみ、十字架そのものにしっかりと目を据えたときに、自分と一つになって苦しまれる主イエスの姿が見えてくる。私の苦しみや悩み、それを苦しまれるイエス、そこから始めて「誰のところに行きましょう」という告白が、歩みが生まれてくるのであろう。

「わたしに従いたいと思うものは、皆、自分の十字架を負い、わたしに従ってきなさい」。人生の中で、イエスの衣にでも触れたものは、やはりそれぞれの人生の歩みで、このみ言葉が現実になってくる。人間、いろいろ自分の身の置き所、生きるべき場所を持っているように見える。しかし本当のところ、本当に行くことの出来る場所はどこか。行楽地に行って疲れ果てて、ああ自分の家が一番だ、というようなものではないか。主のおられるところ、それを置いて私たちに行くべき場所はない。