「人々の中に」ヨハネによる福音書12章1~8節

最近「テレ」という言葉がよくマスコミから流れて来る。「テレワーク、テレフォン、テレビジョン」等の言葉には、「テレ」というギリシャ語の接頭辞が付けられている。この「テレ」とは「離れた」という意味である。遠く離れたところでも、「音が聞こえ、映像が見え、仕事ができる」、とは現代文明の縮図である。現代世界では、仕事において空間上の距離は問題にならない。すぐ近くに居るように、地球の裏側の人とも情報をやり取りし、映像で顔を見ながら会議ができるのである。しかし「距離が離れた処」では、知りえない、共に、すぐ傍にいることで、ようやくわかる真実があるのではないか。

こういう文章がある。今はどうか知らないが、朝早く長崎線の列車に乗ると、魚や練り物などを抱えた行商のおばさんたちをよく見かけたものだった。昔は行商人がやってくると、買い物の場に子どもを同席させたという。彼らはモノを売るだけでなく、いろんな土地を回って得た世間の情報を教えてくれる存在。「市の風に当てた子どもは強くなる」といわれ、見知らぬ世界に目を開く貴重な機会でもあった(加藤秀俊『暮らしの世相史』)

「市の風に当てる」とは言いえて妙だと思う。その場に、共に居合わせることで、初めて知ったり、学んだり、味わったりできるものがあるというのである。それによって人間が強くなる、つまりものに動じなくなる、知恵が身につく、井の中のかわずでなくなる、というのであろう。そこに居合わせることで初めて知ることができるものがある。

今日はヨハネ福音書12章の「香油注ぎ」の物語である。主イエスが十字架に付けられる直前に、「香油・スパークナルド」を注がれた、という話は、4つの福音書どれにも出て来るが、細かい所を比較すると、随分の違いがある。ルカ福音書は、それがベタニア村の「マルタ・マリア・ラザロの家」での出来事ではないと判断している。油を注いだ人物も、ヨハネは「マリア」だが、他の福音書は名前が記されていない。ルカは「罪の女」として語られる。さらに油を注いだのも、「頭」であるとか「足」であるとか、「足」を涙で濡らし、その後、香油を塗った、と記すものもある。細目は違うものの、ある女が、主イエスが十字架に付けられる前に、香油を注いだ、というのは、事実であろう。

「メシア・救い主」という言葉は、旧約では「油注がれた者」という意味である。古代のイスラエルでは、王や大祭司がその地位に就任するときには、頭への「油注ぎ」の儀礼が行われた。「油」と言っても、てんぷら油や食用油ではない。高価な匂い油である。良い匂いを放つもの、お香や香油は、まずぜいたく品であり、晴れの場にふさわしい雰囲気づくりには欠かせなかった。香りは目に見えなくても、隅々にまで広がっていく。良い香りが匂い立つと、心が喜びに浮き立ち、慰められるのである。香りは思い出とも結びついており、懐かしい匂いは、その時の記憶までも呼び覚ます。皆さんにそういう経験はないか。

ここではマリアによって「ナルド」の香油が注がれたという。現在でもこの香油は、手に入れることが出来る。小さな小さなひと瓶で、一万円ほどの価格で売られているようだ。スパークナード」、物の本には、こう記されている。北インド、チベット、ブータン、中国などの高度3千~5千Mの山地に自生している。山の斜面や草原、泥炭地帯に分布する。草丈は1mほどで、小さな緑の花を咲かせる。スパイクナードの効果効能としては、心への効能があるとされ、心に静けさをもたらしてくれる。この世の中に常にある試練や苛立ち、苦悩から超越し、私たちに平和と落ち着きを与え、安定をもたらしてくれる香りである。そして献身的に自分の道を進むこと、周りへの貢献や愛情をもたらしてくれる、という。この解説はどうも、主イエスの十字架を意識して語られている節がある。

ヨハネ福音書では、この高価な香油について、「三百デナリオン以上」という金額、労働者の1年分の賃金と同等であると見なしている。これを惜しげもなく、足に注ぎかけて、髪の毛で拭った、というのである。頭ならまだしも、足に塗布したとは、イスカリオテのユダでなくとも、もったいない、浪費だ、もっとましな使い道があるだろう、という気になる。そのくらい私たちの発想はせこいのだ。どうして注いだのが「頭」ではなく「足」なのか。「頭」ならば、旧約以来の王や大祭司の即位の儀式の焼き直しのようで、余りにも月並みである。主イエスは、そんな人々の前に大きな権力をふるい、人々の心を威圧する方ではない、とヨハネは考えたのだろう。それよりも私たちのこの病める世にやってきて下さり、私たちが行き来し、生活する同じ場所を歩み、そして十字架への道をためらうことなく歩んだ主の足、おそらく泥やほこりにまみれ、汚れた足こそ、神の子の栄光にふさわしい、と考えたからなのだろう。

イスカリオテの「正論」、貧しい人に施せば、もっと有益だったろう、との言葉は、実は私たちの心をそのままの表出ではないのか。「貧しい人々はいつもあなた方と共にいる」、すぐそばにいるのだから、心や思いを共に味わうこともできるだろう。主イエスがもうすぐ取り去られる、十字架に付かれる、今共に、すぐそばにいるのだから、主イエスの痛みや辛さを思いやることができるだろう。しかし人間は、そんなことよりも、物事の価値をすぐに金銭に置き換えて判断するのみである。痛みや辛さ、みじめさへの共感でなくて、経済的な利益を愛に置き換えるのである。ユダを責めることはできない。

ユダに責められたマリアに対し、主イエスは言われる「この人のするままに」。今あるままに、マリアばかりでない、マルタも人々ために夕食を準備し、もてなしのために黙々と給仕をして立ち働いている。さらにラザロもそこにいる。彼は一言も口をきいていない。また何か行動を起こしているのでもない。ただ「イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた」と語られる。この聊か長々と訳される用語は、元々は一語である。「寝そべっていた」。当時の習慣では、会食は寝そべって取っていたと言われる。ギリシャの流儀では、ふるまいや御呼ばれの宴席ではそうだった。主イエスと共に、くつろいで、安らいで、そこにいるのである。一言も言葉を発しないが、ラザロの存在そのもので、どこに一番の安心や寛ぎがあるのかを、無言の内に証しているのである。証とは語られる「言葉」だけによるのではない。主イエスと共にいることこそが、最も大きな証なのである。マリヤに語られたとされる「あるがままにさせなさい」というみ言葉は、実はこの三人すべてに語られていることではないのか。

長崎で原爆に被爆した歌人、竹山 広さんは阪神大震災の時、「居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ」と詠んだ。たまたまそこに居合わせたばかりに、不測の事態に巻き込まれ、犠牲になった人を悼んだ名高い一首である。災害を振り返ったとき、だれもが思うのかもしれない。あのときここにいなければ…もしもその時間でなかったら…助かる命もあっただろうにと、予告もなく訪れる厄災のたびに思う。たとえ人知の届かない「天運」だと言い聞かせても、「なぜ」の思いは消えない。しかし他方、そこに居合わせなかったら、決して知ることのなかった、事実や出来事というものがあるのではないか。不運や不幸もまた、唯一無二の人生の折節なのである。

マリアは主イエスが十字架に付けられるあの前の晩、たまたまそこに居合わせて、主イエスの足に油を注いだ。主イエスの心をわたしの心として、自分にできることをそこでしたのである。偶々そこに居合わせた、それだけで、唯一無二の出会いがそこに起ったのである。そういう時を神はひとり一人の人生に備えてくださる。だから「この人のするがままに、あるがままに」と私たちを受け止められる。それを金銭で計ることはできない。