「一同も元気づいて」使徒言行録27章33~44節

古い知人で、食欲旺盛、非常によく食べる人がいた。牧師の息子で、旧東ドイツ、ベルリンに留学してオルガンの勉強をするという経歴があった。一番の思い出は、共に飯を食ったことである。仲間と連れ立って食事に行く。大体、中華料理のような大皿料理が多かったが、皆が取り分けて余ると、皿は必ず彼のところに回される。彼はうれしそうに笑顔でそれを平らげ、次の大皿に向かっていく。皆、彼と食事をすることが好きであった。何だか無性に楽しかったのである。一緒に食べると、真夏の食欲不振の時も、釣られてなぜかすんなりお腹に入ってしまう、という不思議な現象が起きるのである。

初めて結婚相手の家に行って、挨拶をすると、一緒にご飯を食べて行くように勧められた。向こうのお父さんから「今日は、君に食前の祈りをしてもらおう」、と言われて、ハタと困った。近頃、祈っていないので、祈りの言葉が口から出てこない。しばらくしてふと口から出た言葉が「神様、長らくご無沙汰しており、申し訳ありません」であった。これには家族一同大爆笑となって、楽しい夕ご飯となった。それで結婚を認めてもらえた、という。食事というものは、生命と直結しているだけあって、人間の素顔が如実に表れる。

今日の聖書個所は、使徒言行録27章である。護送されるパウロが乗せられた船が、激しい嵐で難波し、大破、遭難するという話である。この個所はスリリングで非常に見事な筆致で描かれており、著者ルカの文章力のすごさが伺えるところでもある。彼は当時の船乗りの「航海日誌」的な描写手法を真似て、巧みに筆を進める。プロの船員よろしく、航海の実際の有様を、特に自然の猛威にさらされて、船に乗り合わせた人々の、慌てぶり、不安や狼狽の様子を事細かに伝えていく。それに加えて、接岸用の曳舟、4本の錨や海錨(シーアンカー)の投錨等(これは海流の中に投げ込んで船を安定させる凧のようなものである)、船の設備や航海上の技術等の事柄も併せて記して行く。ルカもまたパウロと一緒に旅をしていなければ、伝えられない情報であろう。

地中海というと、真青な海と空、対称的な白い入り江、海岸に立ち並ぶ真っ白い家並みという風光明媚の「リゾート」風景が思い浮かばれるが、それはその海の持つ一面に過ぎない。秋から冬にかけての地中海は、嵐に荒れ狂い、ベテランの船乗りでさえも恐れて決して船出はしない程だと言われる。しかしパウロが載せられた船の船長は、豪胆なのか無頓着なのか軽薄なのか分からないが、パウロ初め276人もの大勢の乗客を乗せて(結構大きな船である)、無謀にも出航するのである。

13節にこうある「その時、おだやかな南風が吹いてきたので、人々はこれ幸いと思い、錨を上げ、クレタ島の海岸にそって航行した」。海岸沿いの航行は、慎重さの表れであるが、「これ幸いと錨を上げ」、するとそこにユーラクロン、暴風が襲うのである。人間の思慮の底の浅さ、愚かさと自然の脅威はどこかでつながっている。嵐に翻弄されて、乗客は、絶体絶命の窮地に追い込まれる。さしもの船員たちも、接岸用の曳舟に乗って、自分たちだけ逃れようとする始末である。人々は何とか命だけは助かろうとして、積み荷を次から次に海中に投棄し、船を軽くし、沈没を防ごうとする。船の沈没を防ぐために、積み荷を投げ捨てる、それによる損害は、荷主と船主が折半して負担する、という制度は、ここギリシャから始まった商慣習であり、これが「損害保険」の始まりとされる。保険会社に「~海上」の名称が多いのも、ここから来ている。

ここでルカが伝えたいのは、こうした生命が左右されるような危機的状況で、何が最も大切で、何が生と死を分けるのか、ということである。33節「夜が明けようとする頃」、生死を分けるその時が訪れる。物事には、必ずふさわしい時がある。その時をしっかりと見定め、捉える必要がある。パウロは皆にこう勧める。「パウロは皆に食事をするよう勧めて言った、『今日で十四日、あなた方は待ちつづけて、空腹で過ごし、なお何も食べていません』」。パウロは言う「飯を食え」。「腹が減って軍ができぬ」というのである。確かに武士は、空腹で大事に臨むことはしなかったという。たとえ死を前にして、それが不可避であったとしても、茶漬けの一杯を腹に収めてから、死地に赴いたのである。パウロも自ら皆の手本のように、パンを裂いて食べ始めた。

36節に注目してほしい「そこで、一同も元気づいて食事をした」。ルカは非常に上手く伝えてくれている。人々は自分たちの抱える危機的状況に恐れおののき、食べることすらも忘れていた。食べたいという気持ちも、生きるために食べなければという切迫感も失っていた。本当の危機とはそういうものである。食事という「生存のための必要条件」すら忘れてしまう、ここに一番の危機がある。しかしルカは「食事をして元気を取り戻した」というのではない。よく読んで欲しい。「パンを裂いてむしゃむしゃ食べる」そのパウロの姿を見て、彼等は元気づいたのである。他人が美味しそうに食事をするのを見るのは、幸福感を与える、という。それは教会の原風景でもあろう。ここ数カ月の間それができなくなっているのが、一番の残念である。

但し、人々はただただパウロの食事する姿を見て、元気づいた訳ではない。「パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」。これは教会での皆が食事を共にするときの、典型的な作法であり、これが礼拝の中心でもあった。パウロが、絶体絶命の危機の中で、食事をしたのは、栄養補給「腹が減って軍ができぬ」という意味は確かにあるのだが、それ以上に、神の前に礼拝することでもあった。人々は、パウロの振る舞いと共に、その背後におられる神の働きを見たのである。その危機や苦難の中で、神は確かに居られ、働いてくださる。だから「元気づいた」のである。食事をすることは、実は、神の御前に口を開くことであり(口を開くのは無防備な姿をさらすことでもある)、それは神に心を開くことに通じる。実に神の救いはここから来るのである。

もう5年ほど前に、神のみもとに行かれたが、青森県の岩木山の麓で「森のイスキア」を営まれていた佐藤初女さん。心が疲れ切ってしまった方、または重いご病気を抱えている方を受け入れて、ただ寄り添い、問わず語りに話す、その話にじっと耳を傾け、手作りの細やかな仕事で、素朴ながら美味しい料理をやって来る人々に提供された。これといって言葉でアドバイスをするでもなく、あれこれ教示をするでもなく、質素だが、心の籠ったご飯を食べて、ゆったりと何もしない数日を過ごしているうちに、元気を取り戻して宿泊者は帰っていくのだという。ある自殺念慮にかられた若い人に、初女さんは、おむすびを作って手渡した。青年は、帰りの列車の中で何気にその包みを開く。すると、タオルに包んであるお陰で、ほんのりと温かい、まるで握りたてのようなおむすびが出てきた。食べると、米が生きているかのように、口の中で踊る。この青年は思った。こんなにも美味しいおむすび、しかも自分の為に手数をかけて、心を込めて握ってくれる人がいる。自分はひとりぼっちで、誰も自分のことなんか気遣ってくれないし、誰も愛してくれないと思っていたけれど、そうではないのだ。

人はただ食べるのではない。食べることで、その背後におられる生命の源である神に、出会うのである。だから「食べる」ことは、神に向かうことでもある。だから「元気づく」のである。