「今日、実現した」ルカによる福音書4章16~30節

こういう話を聞いた。「二頭のニホンザルの間でケンカが起きた場合、他のサルがどちらか一方、だいたいは、群れの中で優位な方に加勢するそうだ。負けた方はつらかろう。ゴリラの場合はどうだろうか。ケンカが起こりそうになると、他のゴリラが二頭の間に体を割り込ませてうつぶせになることがあるらしい。メスや子どものゴリラがいきりたつオスの顔をのぞき込み、落ち着かせることもあるそうだ。ケンカにならない。山極寿一さんの『「サル化」する人間社会』に教わった。ゴリラはなかなかに『大人』である。せっかく見つけた採食場所を年少のゴリラに譲ることもあれば、レスリング遊びでは弱い相手に対し、大きなゴリラは手加減もするそうだ。ゴリラには他者に対する共感能力がある。言い換えれば、思いやりのようなもので、これによって、やさしく、配慮ある行動ができる」。

動物の生態についての研究は、人間自体を考える上で興味深いが、特に生物学的に近縁関係にあるとされる「サル」の研究は、我とわが身のあり方、有様を振り返らせる鋭い示唆に富んでいると言えるだろう。人間は、そして私はどうなのか、ニホンザルか、ゴリラか。おそらくどちらの面をも持ち合わせているのが人間なのだろう。

さて今日の聖書個所は、ルカ福音書の4章後半である。ここには著者独自の見解が色濃く表明されているといえるだろう。主イエスの公生涯のはじまり、宣教の発端を告げる記事である。「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」という劇的な宣言に続いて、他の福音書では、発端に「弟子たちの召命」の記事が置かれている。ガリラヤ湖の漁師であったシモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟が、主イエス自らから呼びかけられて共に働く弟子となる。そして主イエスの一団が、あたりを巡回して宣教のわざが開始される。これは初代教会の「教会の宣教」の理念が強く反映しているであろう。主イエスは、たったひとりで、一人ぼっちで活動されたのではない。そのように教会の働きは、「ひとりのがんばり」によってなされるのではなく、共に労苦するところにその要がある。確かに「ひとりの働きは」、その一人がいなくなれば、空しく費えるのである。

ところがルカだけは、宣教活動の始まりを、主イエスの故郷、ナザレの会堂(シナゴグ)でのひとりの活動として描くのである。もっとも他の福音書もまた、例外なく「ひとりぼっちのイエス」を描いているが、それは荒れ野の寂しいところに行ってひとり祈る主の姿であり、ついにエルサレムで人々に捨てられ、弟子たちからも裏切られ、ひとり十字架を背負い歩む姿に、焦点が合わせられるのである。つまり他の福音書は、ひとりの主イエスを、十字架を強く意識する中で主張するのに対して、ルカは、主イエスの働きの初めから終わりまで、主イエスを「ひとり」として描こうとするのである。

古代は、個人、個の自覚が乏しく、極めて集合人格的な感覚が強かったと指摘される。つまり思考する際に、「わたしはこう思う」ではなく、「わたしたちは、皆は」という判断だけがすべて、「それでは世間が許さない」、という感覚である。「皆は、世間は、どう考えるか」、という強固な思考の枠組みの中で、「この人を見よ」と、たったひとりの人を指し示し、「この者を誰というか」と問う、しかも「あなたは誰というのか」、と「わたしひとり」に問いかけた教会の営みは、古代社会においては極めて例外的なものであったと言えるだろう。ルカはこれを主イエスの生涯の最初から最後まで、即ち、飼い葉桶に始まり、常に人々の間にあって働き、寝食を共にし、み言葉を語り、病の人々を癒し、ついに十字架に付けられて無残に取り去られたあの方の、生涯すべてを通して、あなたは誰というのかと、問いかけているのが、この福音書の著者なのである。

私の恩師が口癖のように語っていたひとつの言葉がある「ひとはひとりだ」。還暦を過ぎた頃に、長年連れ添われた伴侶を亡くされ、その後十年余り、お一人で過ごされて来た。衣食住の日常生活を整え、そして牧会の働きをひとりでこなされていたから、この言葉には実感が込められていたように思う。ある時の同窓会の会合での懇親会で、ひとりの弟子がこう語った「教会では、そのひとりがこわされていくんですよ」。「ひとはひとり」、しかし「ひとりがこわされる」、これは人間というものの両面を抽出する洞察なのであろう。

私事で恐縮だが、新年早々の入院、手術にあたって、皆様に心配をおかけし、またいろいろ励まし、慰めをいただいたことに深く感謝を申し上げたい。いつも病気の方々のために祈る務めに置かれている者が、逆に「祈られる」立場に身を置いたとき、「祈りの幸い」を身にしみて感じ、あらためて「祈り」について目を開かれる経験をさせていただいた。患部を摘出する手術では、2つある内のひとつ、手前の部分は比較的容易に除去することができたが、奥の部分には、手こずったようである。予想よりも長時間に及んだので、麻酔が覚め意識が戻った中、医師はじめスタッフが4人ほど、私の身体を押さえつけるようにして、幹部と格闘されていた。手術の終わりには、主治医が「頸の皮一枚でつながった」と冗談めかして評されたことに、その大変さをあらためて思いやった次第である。

ひとりの生命というものは、そんなにも多くの方々の支えや奮闘、懸命な手助けによって保たれているという事実がある。病院では一人の生命のために多くの助力者が手助けをしている。しかし依然として、病気の痛みを直に感じ、術後の苦痛を忍ぶのは、患者本人、その人ひとりなのである。痛みに呻いても、喚いても、「わたし」が味わわねばならないのである。その痛んでいるひとりに手を伸ばし、何とか共にあろうとするのが、病院という場所なのだろう。病院ならば病が癒えれば、そこを後にするが、教会はずっとずっと、「ひとはひとり」だけれども、「そのひとりがこわされる」場所であり続ける、ということなのだろう。

主イエスがナザレの会堂に入って来られた。狭い世間のこと、「ただ者ではない」という噂はすでに巷間に広まっていたのだろう。長老からシナゴグでの礼拝で最も重大な務め、聖書朗読、解き明かしをするよう促される。律法に次いで権威のある預言者の書、しかもその第一人者イザヤの預言の巻物を手渡されると、主はその一節を読み上げたという。この個所は、もしかしたら主イエスの愛唱聖句のひとつだったかもしれない。それは自分自身を映し出す鏡のようなものである。皆さんの愛唱聖句もまた、いわば皆さん自身の分身ともいえる。没後にあらためて故人の聖句を眼前にすると、実にその人自身と一つになっていることを見出して驚くことしきりである。このイザヤの言葉も、主イエスの生涯に似つかわしい章句である。「貧しい人に福音を告げ知らせるために」、聖書でいる所の「貧しさ」とは、金銭的に欠乏、貧困を表すばかりでなく(当時の人々の生活からすれば、人口の95%以上は、貧困の中で暮らしていた)、「困窮」とは経済的ばかりか、生老病死さまざまな側面で、困り果て、どうにもならない事柄を抱え、立ち往生している状態を表す用語なのである。そして、旧約では人間の最も基本的なあり様は、「苦しい息づかい」(ネフェシュ)から派生した用語「困窮」という言葉に、端的に示されているのである。

だから後に記される「目の見えない人、捕らわれ、圧迫されている人」も皆、「困窮」した状態に置かれていると理解されるのである。そのように困り果て、弱り果てた人々に、福音、即ち「喜びの音信」が告げられる、喜びの回復がもたらされる、という言葉は、まさに主イエスの公生涯を通じて表された出来事であるし、救い主とは何か、ナザレのイエスとは誰なのかを、雄弁に指し示す表象であるだろう。イザヤの言葉に託して主イエスは人々に語るのである「わたしはあなたに喜びを告げる」。

ところが今も昔も、み言葉自体、つまり本質ではなく余計な事柄ばかりに目が向き、詮索したがる輩も多いのである。「こやつはナザレのイエスではないか、ヨセフの息子だ、大工の子だ、もし救い主なら証拠を見せよ」。主イエスがキリスト、救い主であるとは、み言葉より他に、確かめる術はない、外見や、生まれ育ち、ましてや癒しや奇跡のわざすらも、証明ではない。み言葉がすべてなのである。それを見ることなしに、聴くことなしに、主イエスが誰かを言うことはできない。あなたはこの方を誰というのか。

サルもまた、強い者、有力な者に尻尾を振り、味方に付こうとする輩がいるかと思えば、怒り憤る者の前に身を乗り出して、その顔とじっと見つめてなだめようとする者もいる。それぞれ目の前の存在を、それぞれに受け止めて日々の営みを生きている。この世の中は、強い者、有力な者の思い通り、計画通りには決してなって行かないのである。自分自身の人生すらも、思い通りにはならず、上り坂、降り坂、まさかの坂を辿らねばならないのである。目の前に立ち現れてくる出来事を、どう受け止めるのか。

病床に臥せながら、またこんな文章を読んだ。俳人の夏井いつき氏が、こんな心構えを書いていた。「何が起こってもひとまず肯定する。起こったことは仕方ない、転んだ事実も変わらない。それで一句できれば得した気分」。その文章のタイトルは、「日々是『肯(こう)』日」であった。

「何が起こってもひとまず肯定」も、ただそれだけを実行しようとするなら、中々に至難の業である。「仕方がない、変わらない」と達観できるならそれに越したことはないが。だからこの俳人は、「それで一句できればもうけもの」、と俳句に事柄をおいかぶせ、委ねるのである。私たちはそこに何を当てはめるだろうか。やはり「そこに主イエスがおられるから、もうけもの」というのが、正直な思いだろう。福音によって、喜びを回復してくださる主が、確かにおられるのである。私にとっても、このことを深く感じさせられた、この年の始まりであった。