「必要に応じて」使徒言行録4章32~37節

夏の強い陽射しが降り注ぐ季節、パラソル(日傘)を差して歩いている人が多い。最近は「男もすなる日傘」ということで、「日傘男子」なる言葉も生まれているらしいが、屋外の暑さ対策だから、誰が差しても快適なら、余計なお世話である。

随分昔のこと、「もしも月給が上がったら」という歌謡曲が流行したという。「もしも給料が上ったら/わたしはパラソル買いたいわ/僕は帽子と洋服だ/いつ頃上るの いつ頃よ/そいつがわかれば苦労がない」、詩人、作詞家のサトウハチロー氏の手になる作品という、晩年は「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」等、よく知られた童謡を世に送った人だが。1937年にレコードが発売された。この年は7月7日の盧溝橋事件をきっかけに、この国と中国の間の戦争、いわゆる日中戦争が勃発した。戦時下、おそらく給料は上がる見込みはない、それでも「パラソル買いたいわ」との希望が吐露されている。この歌は4節まで詞が紡がれるが、段々、願望が膨らんで、最後に行きつくのは「お風呂場なんかもたてたいわ」と歌われて閉じられる。当時の庶民のあこがれを、直に伝えている。

去る5月13日、質素な生活ぶりから「世界で一番貧しい大統領」とも呼ばれてきた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領の訃報が伝えられた。享年89歳であったという。その一年程前、最晩年にこの国の某放送局(NHK)のインタビューに答えて、こう語っている。「わたしの生活は質素です。毎日少しずつ、1日に3時間から4時間、畑を耕しています。シンプルな暮らしの方が好きなのです。これは『多くのものを必要とする者が貧しいのだ。なぜなら、その限界を知らないから』という、古い哲学に基づいています。私たちは、欲求を満たすために、人生の時間を費やさなくてはなりません。もし“欲求”が無限に拡大するとしたら私たちには時間がなくなり、それだけで人生が終わってしまうでしょう(2024年2月6日 “世界一貧しい大統領” が語る「真の幸せ」とは?)。欲望、欲求の肥大は、「(自分の)時間を奪う」と語っているが、人間は時間内存在のものであるから、時間を奪われるとは生命を喪うことに等しい。この人ほど程、人間生活の真の豊かさについて考え、語り、その語ったところを自ら生きた人もいないだろう。

さて今日は使徒言行録4章32節以下から話をする。まず32節「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」。初代教会に集う人々の有様が記されている。「すべてを共有していた」。この記事から、社会経済学者のマックス・ウェーバーは、「原始共産制」の典拠がここにあると主張する。現代の聖書学者たちは、「教会の相互扶助に関わる個別的な伝承を、ルカが理想化、一般化して『全員』の生活の特徴として描き出したと思われる」と説明する。但し、このテキストのすぐ後に記されるのは、「土地の代金」を誤魔化し、過少申告して教会に捧げた夫婦の話やら、「食べ物の分配」への不公平、不平不満が、やもめたちから発せられた、というような、正反対の話、負の情報も伝えられている。確かにここに生きて動いているのは人間であるから、大なり小なり、いろいろな問題を抱えて、時には転んだり、ぶつかったりしながら日々を過ごしていたことだろうが、何とか「相互扶助(助け合い)」によって、教会は拙いが、確実に一歩一歩の歩みを進めて行ったのであることは間違いない。

この伝承をこの国のかつての向こう三軒両隣の庶民の暮らし、そして地方の農漁村に今も息づいている生活ぶりと引き写しても、その実情をリアルに理解できるかもしれない。「米、味噌、醤油」、毎日の食べ物の基本であるが(聖書の世界なら、麦、オリーブ、ぶどうだろうか)時として切れて足りなくなる。すると隣の家に行って少しばかり融通してもらう。時には勝手に上がり込んで、無断で拝借することもある。しかしいただきっぱなしではない、自分の家の畑で取れた野菜をいくらか、隣家の玄関先に勝手に置いて来る。するともらった方も、その日に釣れた魚や、港でたくさん安く求めて来た魚を、お裾分けに届ける。それが毎日の日課のようにして繰り返される。どちらも支え合い、分かち合いという具合には大仰に考えてはいないが、そういう共に生きる生活が、地域に根付いている。簡単に言えば、そうしなければ、生きて来れなかった人々の暮らしの姿がこれなのである。

東北大震災の後に、仮設住宅で新たな生活を営み始めた人々が、もっとも困難を感じた点は、このようなあたりまえの相互扶助の関係が絶たれてしまったことだという。向こう三軒両隣は、もはや以前の隣人関係ではなくなっている。復興という事業は、家、建物、道路や構築物といったインフラだけではなく、人と人との関係の回復や安心までを含んでいる小さくて壮大なスケールを持っている。そして教会はまさにその歴史の初めから、関係、それは人と人との関係のみならず、神と人との関係の回復の道を探って来たのである。そしてその一端が、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」という言葉に象徴されているだろう。

「相互扶助」の中身について、より詳しくルカは報告してくれている。34~35節「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」。ここでまず「貧しい人がいなかった」という言葉が注目される。「貧しい」とは、資産の額、その多寡を示唆する言葉ではない。何となれば、現在の全世界で、1%の人たちが、世界の富の40%近くを所有している。そしてその額は、コロナを経てさらに倍増しているという。「経済学者のトマ・ピケティ氏はベストセラー『21世紀の資本』で20世紀に分配政策が進められるようになったのは『二度の大戦による破壊と大恐慌が引き起こした破産』がきっかけと分析した。再び広がる貧富の差を縮小するには『次の大戦を待つしかないのか』と各国の不作為を問いただした」(2024/8/11「毎日新聞社説」)。世界一貧しい大統領がしばしば口にする言葉、「『多くのものを必要とする者が貧しいのだ。なぜなら、その限界を知らないから』」という古い哲学、こそが貧しさの本質を言い当てているだろう。満ち足りることの欲望、それに突き動かされて、ひと時も平安を得られない状態こそが、「貧しい」ということなのである、と。

35節後半に「その金は必要に応じて、おのおのに分配された」という文言が見える。「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」という共産主義的プロパガンダを連想させるような言葉である。自発的に献げられたものが、必要に応じて再分配されたというのだが、この「必要」という言葉は意訳であり、本来は「欠乏、欠け、乏しさ」という意味の用語である。教会の人々が、まず一番大切に、丹念に見ようとしたものが、何であったのかがこれから理解できるだろう。そして分かち合うことの本当の意味が、ここから理解されるのではないか。

人間は誰しも、自分自身では満たすことの出来ない「欠け」や「欠乏」「乏しさ」を抱えて生きているものである。金銭やものだけが人の生命を支えているではない。ホセ・ムヒカ氏が、「富を求めるより、もっと大切なことがあります。人生の時間をそういうもののために使ってほしい」と語る所以である。生きとし生けるものは、自分の生命の中に、空虚を抱え、それを誰か他のものから、満たしてもらうしかないように、創られているらしい。だからルカがこのように初代教会の様子を伝える時に、初めに32節「信じる群れは、心も思いもひとつ」と語るにはちゃんと理由がある。「ひとつ」とは、皆が同じ意見で、異論や反対がなかった、というのではない。「ひとつ」とはちょうど、村の中央に水の湧き出す泉、ないし井戸がひとつあって、その水を必要に応じて、自由に汲んで飲むことができる、ということである。ひとり一人皆が、その水につながって生かされている。生命を支えるものだから、誰もその井戸を自分のものと言い張ることはないし、水が枯れてしまうような使い方、飲めなくなるように汚くすることもないだろう。欠乏、欠けが補われ、乏しさを覚える人がなくなる、貧しい人がいなくなるというのは、本来こういう事である。

ムヒカ氏の遺言とも言える言葉をもう少し味わいたい。「われわれは時代の変わり目にいます。ひとつの世界が去り、別の世界がやって来ます。しかし去る者はまだ去っておらず、来る者はまだ来ていない。だからこそ、今は多くの矛盾を抱えた不確実な過渡期の時代なのです。小さなスマホを持って抽象的な虚構の世界を生き、新しい物を買うためだけにぼんやりと生きることもできます。あるいは、情熱という自分の人生に満足感を与えるもののために生きることもできます。若い人は科学や研究、スポーツ、さまざまな分野で挑戦ができます。文章を書くことも、絵を描くこともできます。サッカーでも良いのです。これだということを何かひとつ持つのです。もし買い物の代金を払うために働いて、働いて、年を取るまで働き続けたら、最後に大きな疑問が生じます。『私の人生は何だったの?』と。」

この「ひとつ」こそ、目には見えないが、確かに私たちと共に生きておられる主イエスである。私たちの欠乏や欠けは、主イエスによらなければ、満たされる術はない。主イエスが働いてくださるからこそ、教会には、「わが杯はあふれるなり」ということが起こるのである。