この国のとある補聴器製造会社が、毎年「今年、心に残った音」の調査を実施している。皆さんは、「今年の音といえるもの、何が心に残っているか」と問われて何と答えるか。もっとも多かった答えは「緊急事態宣言により、閑散とした繁華街・観光地などの静けさ」であった。今年の状況を反映している。普通なら歓声や怒号のような激しい、感情的な「音」、あるいはい音楽芸術の美しい「音色」が上げられるところであるが、「静寂」あるいは「沈黙」が、「音」として捉えられた。久しく忘れていた「Sound of Silence」をもう一度発見したということだろう。人間には、懐かしい音、心にずっと残り続ける音というものがある。愛唱歌などはその典型である。他の記憶が乏しくなっても、いつまでも心に「残り続ける」音、歌というものがある。
世界中の人々によって、最も多く歌われている歌は何か。クリスマスになると必ず歌われる「きよしこのよる」である。今や300の世界中の言語や方言で歌われている。讃美歌をまったく知らない人でも、この曲だけは歌えるほどである。
ザルツブルク近郊のオーベルンドルフの町に、聖ニコラウス(サンタクロース)という名の教会があった。この有名な曲は、1818年の12月24日のクリスマス・イヴの礼拝に、そこではじめて披露された。このかわいい歌がどうして生まれたのか、伝説のように今に伝えられている物語がある。大事なクリスマス礼拝を前に、教会のオルガンが壊れてしまったので、急遽、ギターで伴奏できるように、この歌が創作された、というのである。間違いではないが、もう少し深い背後の物語が、この歌の歌詞には秘められている。原詩は、「静かな夜(Stille Nacht)、聖なる夜(Heilige Nacht)」と詠い出される。なぜ「静かな夜」なのか。
その教会のオルガン奏者フランツ・グルーバーと、この教会の牧師ヨーゼフ・モールの二人が、その年のクリスマスを前に語り合った。「オルガンの調子も悪いし、いかめしい歌ばかりだと気が沈む。いっちょうギターの伴奏で、子どもと大人とがいっしょに歌える、楽しい歌があればなあ」と牧師が言うと、オルガニストのグルーバーも「近頃、戦争の話題ばかりのこの暗いご時世にゃ、そんな明るい歌がぴったりだ」とばかり、二人はすぐさま意気投合し、まもなく小さなかわいい歌ができた。それが「きよしこのよる」であった。いつ戦争の砲火が、この地に押し寄せて来るやもしれない。また血が流され、いくつもの命が奪われるのか、人々は息をひそめて、不安におののいている。「静かな夜」とは、戦争の不安におびえ、ふるえ、おそれに満たされている人々の心に、慰めと励ましを祈っていると言えるであろうか。
聖書全体で「恐れるな」というみ言葉が、365回語られていると言われている。人間、一年365日、いろいろなことに恐れながら暮らしている、ということか。恐れても仕方ないのだが、不安を抱えて生きているのが人間であるし、逆に怖いものなどないかのように、虚勢を張って生きているのも、人間である。今日のテキストにも、同じみ言葉が告げられる。
夜、ベツレヘムの羊飼いたちが、夜通し、羊の番をしている。すると彼らの周りを光が照らし、神のみ使いが現れて、彼らに告げる。「恐れるな、わたしはあなたがたに、大きな喜びを告げる」。神は、恐れながら生きている私たちに、大きな喜びを告げる。神を信じて生きるとは、いろいろなことに恐れながらも、いつも神の大きな喜びの知らせを聞いて、安心し、神の「大丈夫」の中で生きることである。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。この知らせを聞いて、羊飼いたちは、ベツレヘムの馬小屋に駆け出していく。彼らは家畜小屋まで走ってやって来て、天使の知らせが本当であることを、目の当たりにした。そして自分の居場所に帰りながら、人々に自分たちが見たことを、大胆に語ったというのである。ここから最初のクリスマスの出来事が、全世界に伝えられていったのである。
恐れや不安の中で、神の喜びの音信が響く。それを聞いて、人間は自分の場所から立ち上がり、走り出して、神のなされた不思議な働きを見る。さらにその喜びの知らせを他の人々に伝える。それはクリスマスの度毎に、ずっと続いてきたのではなかったか。
「きよしこのよる」、本当は、あのクリスマスに一回こっきりだけで、歌われるはずだったささやかな讃美歌、それが、この歌を聴いて感動した「歌手兼旅商人」の口から口に歌い継がれて、まもなくヨーロッパ中にひろまり、やがて全世界にまで伝えられ、大人も子どもも、人々の口に歌われるようになった。今、コロナ禍の中での「静かな夜」にも、この歌は人々の心に、確かな喜びを告げ、響いているであろう。