明治期の作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品集『骨董』(1902年刊)の中に、「夢を食うもの」と題された小品がある。伝説上で、「獏」という動物は、人の夢を食べて己の食物とし、悪夢(凶兆)を吉に変える能力を持つと信じられた。ある晩に、獏がふらりとやって来て、何か食べ物はないかと所望する。丁度、怖ろしい夢を見て、目覚めたばかりだったので、早速その夢の内容を告げて、獏に悪夢を食べてもらおうとする。
自分は寝台の上に横たわっている。その姿を上から見ている。どうやら自分は死んだらしい。自分自身を見ている内に、亡骸が奇妙な変化をするのに気が付く。顔が伸び縮みしたかと思うと、突然、カッと目を開き、こちらを睨みつけたかと思うや、起き上がり、自分に飛び掛かって来る。力は拮抗して、中々打ち負かすことができないばかりか、却って自分自身の方が劣勢となり、あわや殺されようかと思う寸前、ふと神仏の名が口から発せられる。すると不思議なことに、いつの間にか手に一丁の斧が握られており、それを使って化け物と化した自分自身を粉々に打ち砕く。このような怖ろしい夢を食べてもらうよう懇願すると、獏は言う。「わたしはめでたい夢は食べません。自我の怪物を、神妙の斧で滅ぼすとは、上々吉の夢です」。そして獏は再び去って行く。
この話は、不気味だが、心理学的に非常に興味深い点を含んでいる。怪物となって襲い掛かる自分自身と必死に抗う。しかし、もう少しで打ち負かされようになる。その時、不可思議な外からの力が与えられ、その助けによって、危機を脱し、安きを得る。これは子どもが大人になっていくプロセスで、誰も無意識のうちに行っている作業を、物語によって可視化したものではないか。つまり「夢」という形で、成長途上の心の内の嵐が、表出されたのである。人間は、魂の深みに、一番のほんとうを隠し持っており、時に、そこに空気の入れ替えのために、普段閉じているふたが開かれる、するとそれが「夢」という形を取って外に出るのだ、と説明することもできるだろう。
人間は毎夜「夢」を見ている。しかし目が覚めた時には、大抵、奇妙奇天烈なその内容を忘れている。しかし時に、目覚めても鮮やかに記憶に残る、印象的な内容があるものだ。だから現代の精神分析や心理学というような、学問の営みがまだ乏しい古代社会において、
「夢」は人間を超えた存在からのお告げ、神託であると見なされ、事の吉凶を占う縁とされたのである。聖書にも、登場人物が夢の中で、神の幻や啓示に出会う場面が、いくつも描かれている。
マタイのクリスマス物語にも、「夢」は物語の展開上、重要な役割を果たしている。降誕の場面を描いた絵画をよく見ると、多くの絵画で父ヨセフが暗い顔をして、目を瞑り、そっぽを向いている構図が多いのに気づく。降誕劇ページェントでも、主役のひとりマリアには台詞も多く、非常に目立つ役柄であるが、もう一人の主役、ヨセフは、出番だけは多いものの、「とんとんとん宿屋さん、どうか一晩とめてください」以外、ほとんど台詞もなく、黙ってただ立っているだけ、という印象である。
これは画家が等しく、ヨセフを疎んじているという訳ではない。虚ろな表情を描くことによって、彼が「夢を見ている」様子を暗示しているのである。聖霊によるマリアの受胎を告げられた時から、主イエスの降誕、そしてヘロデによる新生児の虐殺、さらにエジプト逃避に至るまで、彼の行動、そして聖家族の足取りはすべて、父ヨセフの見た夢のお告げによって、決定付けられるのである。
なぜヨセフが夢を見るのかと言えば、マタイという、神の救いの出来事の成就を強調する福音書記者が、旧約との関連を強く意識しているからである。ヨセフと言えば、まずユダヤ人が思い起こすのは、創世記37章以下に記される「ヨセフ物語」である。父ヤコブの偏愛を受けて育ったゆえに、兄たちに妬まれ、エジプトに奴隷として売られ、紆余曲折の末、ファラオの右腕、宰相に成り上がり、飢饉に悩むイスラエルの危機を救った英雄である。そしてこのヨセフは、「夢見る者」として、夢解きの賜物を与えられた人物なのである。だからナザレの大工であった父ヨセフもまた、「夢見る者」として描かれるのである。
降誕物語において、ヨセフは「夢見る者」であり、夢によって行くべきところ、歩むべき目標を与えられる。神は、必ず自らのみこころを、示し、あらわされるのである。それは、ユダヤ人、ヨセフだけにとどまらない。はるばる東方からやって来た博士たちにもまた、「夢」によってお告げを与えるのである。「ヘロデのところへ帰るな」との夢のお告げによって、彼らは別の道を通って帰って行った、と伝えられる。夢は確かに、はかなく、虚しく、虚ろなものかもしれない。しかし神はそのはかないものを用いても、新しい道、別の道を開かれるのである。もはや彼らは、以前のような異邦の学者たちではない。
聖書において、信仰者は、ヨセフ(旧約の、そしてナザレの大工の)に典型的なように「夢を見る者」なのである。「夢」であるから、今の現実から見るならば、風変わりで、奇妙で、常軌を逸すると評価されることもしばしばであろう。しかしその夢が告げる「神の言葉」は、常に、人間の思いを裏切り、人間の心に思いも浮かばなかったこと、「石工に捨てられた石が、隅の頭石になった」というような、「人の目には不思議に見える」というような出来事を指し示すのではないか。
正月になると、この国では初夢の縁起物として「一富士二鷹三茄子」が語られる。そういうめでたさもいいが、もっと壮大な夢を自由に広げる心を持ちたいものだ。かつてこのような夢を語ったひとりの人がいる。「私には夢がある。いつの日か、不公平と抑圧という灼熱の炎にさらされているミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスへと生まれ変わるという夢が。私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が」。これは1963年8月28日「ワシントン大行進」の際にM.L.キング牧師によってなされた演説「私には夢がある」(I Have a Dream)の一節である。この「夢」は残念ながら、世界に未だ実現してはいない。しかし神はこの「夢」を捨ててはおられないだろう。「夢」によって博士たちが「別の道を通って行った」ように、私たちもこの「夢」を共有して、いままでの道ではない、「別の道」を歩みたいと願うものである。