祈祷会・聖書の学び アモス書7章1~9節

作家の柳田邦夫氏が、こんな話題を紹介している。発達のしょうがいを抱えているお子さんが、小学校に上がる時に、これからの方向を定めるために、医師の診断を受けることになった。検査のために、医師はこんな質問をその子にした。「お父さんは男です。ではお母さんは?」。だれしも「女です」と答えるだろうし、その子の母親も当たり前のようにそう思っていた。ところが、その子の答えは、意表をつくものだった。迷うことなく、大きな声でこう答えた。「お母さんは、大好きです!」。柳田氏はこれに続けてこう語っている。「なんと素晴らしい答えかと、私は感動してしまったのだ。母親も、子どもが見かけの知識でなく、子どもにとっての母親の本質を言ってくれたことがうれしくてうれしくて、胸が一杯になったという」。(『人の痛みを感じる国家』)

アモス書は、紀元前8世紀の半ば、分裂したイスラエル王国の片割れ、北王国(エフライムまたはイスラエルと呼ばれた)で活動した預言者の言葉を収めた文書である。イザヤからマラキに至る預言者(記述預言者とも言われる)の中で、最も早い時期に活動した預言者と考えられている。この時、北王国を統治していたのは、ヤロブアム王、都はベテルにあった。

この7章が興味深いのは、アモスのプロフィールが、直接、自分の口から語られていることである。14節「わたしは預言者ではない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培するものだ」。アモス書の表題によれば、彼はテコアの牧者(家畜飼育者)であったと記されるが、古代世界では、牧畜だけで生計を立てることは難しい場合が多いから、農耕も牧畜にも従事していたのだろう。アモスは典型的な田舎の農民のひとりである。ここで、イスラエルの預言者がどのような人々だったのかを理解する、大きな手掛かりが示されているだろう。イザヤのように、エルサレム神殿の祭司として、中央官庁で働く知識人が、預言者としての職務を果たすこともあれば、アモスのように、一介の農民、恐らくは経済的には困窮することが多かったであろう階層の者が、預言者としての職務を果たすことがあったのである。つまり、イスラエルの預言者とは、血筋世筋によらず、身分や家柄によらず、職業や知性にもかかわりなく、ただ神の自由なみこころによって、選ばれ預言者として召された者たちであった、ということである。神の召命がすべて、なのである。

ところが同時に、彼は自らをこう宣言する「わたしは預言者ではない」。預言者ではない、とはどういうことか。アモスの時代には、「預言者」とは格別めずらしい存在ではなく、巷間の至る所に、自他ともに「預言者」を名乗る人々が、山ほどいた、ということである。

かつてこの国でも、正月元旦ともなると、民家の門口に立って、おめでたいことを語って回り、ご祝儀をねだる「萬歳」(漫才の起源とされる)を演じる人々がいた。イスラエルの預言者たちも、時代と共に次第に、そのような風潮を帯びて行ったのであろう。エレミヤによれば、「混ぜ合わせた酒について語ろう、という預言者は、民の説教者となるだろう」と皮肉を込めて預言者の堕落を論っている。現代流に言えば、プロやセミプロの預言者が、大きな顔をして国中を闊歩しており、金を貰って語るから、勢い、その預言の言葉も、聞く側におもねることになる。アモスはここできっぱりとそのような「偽」預言者との違いを、語っているのである。

さらにこれらの預言を語ったアモスに対して、ベテルの祭司アマツヤの言葉も興味深い。12節「先見者よ、行け、ユダの国に逃れ、そこで預言せよ、ベテルでは二度と預言するな」。自分たちにとって、都合の悪い批判を語る田舎者に、祭司は恫喝して沈黙させようとする。これもまた古今東西、世の姿の映しであるが、アマツヤの言う「先見者(ローエー)」とは、「預言者(ナービ-)」のより古い呼称であり、この祭司は、この朴訥で不器用なアモスに、古の預言者の姿を見たのかもしれない。この田舎者の一途な預言者が、どのくらいの期間活動できたのかは、知るすべはない。ある聖書学者は、三十分程度だったのではないか、と推察するが、アマツヤの恫喝のような権力からの圧力にさらされていたから、そう長くは語り続けることは不可能だったであろう。それでも真実の神の言葉は、残り続けるのである。

今日の個所では、まず第一の幻として、「いなご(サバクトビバッタ)の禍」が告げられる。大切な家畜飼料となる「二番草」を、バッタが食い尽くす、というのである。「王が刈り取った後に生える二番草」と語られるが、一番滋養豊富な「一番草」は、王がすべてかすめ取ってしまうとのアイロニーで、王の施政は、すべて容赦なく食い尽くすバッタと同じだ、と手厳しい。収奪、そんな政治ならバッタにもできる。

それに続く第二の幻では、「審判の火」が告知される。これはいわゆる「野火」のことであろう。乾燥がひどくなると、野山の草木が自然発火し、炎の海になってすべてを飲みつくして行く。時に野山ばかりか人家、田畑、村落をも飲み込んでいく。バッタの害と共に、恐れられていた災厄である。しかしこれらの災厄をもって、神は民を裁かれるのを思い留められた、という。それは預言者のとりなしの祈りがあったから。この激しい裁きの預言者は、同時に、人間の生きていく上での痛みや嘆きを深く知る「牧者」なのである。神はそのまことの心情を、決して軽んじられない。

しかし、第三の幻に語られるように、「主の下げ振り」が、イスラエルの家の真ん中に降ろされているという。「下げ振り」とは、糸に鉛で出来た重い分銅をつけた建設道具である。古代から今日まで変わらずに用いられているが、これを使うと、深さの計測、壁や柱が完全にまっすぐであるかどうかを確認する事が出来る。だからレンガやブロックを積む時によく使われている。「物が真っすぐで、正しく、正確かどうか」を測る道具である。神がそれを手にしておられる。神の「下げ振り」は「正義」を具体的に測る道具である。それは「あわれみの御業」と呼ばれる。神は、どんなときにも「あわれみ」によって出来事を起こす。憐みと慈しみこそが、神の大能である。その神のあわれみを、私たちが深く知って、心砕かれて、自分の心として生きているかどうか。それを測るのが、

神の「下げ振り」であるという。そこでは王ばかりでなく、ひとり一人の

人間が、深く問われるのである。神のあわれみを、知っているだろうか。