祈祷会・聖書の学び ペトロの手紙一5章1~14節

毎日新聞4月8日付の「余禄」にこういう文章が記されていた。昔の寺子屋の絵を見ると、自由というか、雑然というか、実におおらかなものである。机の置き方もみんなばらばら、まじめに手習いをする子、いたずらや落書きに熱心な子、師匠の後ろで立たされている子……。今の「学級崩壊」に見えるが、それは黒板を背にした教師と向き合い、整然と並ぶ机で勉強する近代の画一的な「一斉授業」の固定観念のためらしい。寺子屋では個々の子どもに合わせた教育を師匠が考えて行う個別教授が基本だった。現に某師匠が弟子一人一人の必要に応じて作った62人分の個別学習カリキュラムが残っている。この寺子屋の教育の質の高さが、当時の日本を世界的水準を抜く教育先進国にしていたという(市川寛明(いちかわ・ひろあき)ほか著「図説・江戸の学び」)
明治の初期、多くの宣教師がこの国を訪れるが、風呂焚きをしている下働きの少女が、釜の火に照らして、雑誌を真剣に読んでいる姿を見て、この国の子ども達の識字率の高さに驚嘆したという話がある。その姿から、宣教師は日本での伝道が、非常に難しいものになるだろうことを予感したと言うのである。識字率の高さを支えたのが、実に寺子屋だったのである。
幕末には全国で1万5000もの寺子屋があり、その内1500ほどが江戸に集まっていたと言われる。当時の庶民は、7歳から12歳くらいの間を寺子屋で学び、読み書きができるようになってから奉公に出た。寺子屋の先生は、寺の僧侶、武士、浪人などが務め。授業料は寺子屋によって違いはあるが、高くても年間5分(約10万円)ほどだったとか。このおかげで、子ども達は読み書きの能力を身に着けたわけだが、その背後に、教える者の並々ならぬ苦労があったことも知れるのである。
ペトロの手紙は、紀元1世紀末から2世紀の初頭にかけて記された文書である、と推定されている。今日の聖書個所では、「長老」「若い人」「悪魔」というような単語が目に留まるが、これらの用語から、この手紙の背景、時代状況や教会の様子を読み取ることができるだろう。
「長老」は、文字通りには「年長者」を指す言葉である。王国成立以前の古代イスラエルには、それぞれの部族は「長老」によって指導され、率いられていた、と伝えられる。おそらくそれは、民の中から皆が信頼を寄せる人徳者が、その任に着いたのであろう。当然そういう人は「年長者」である場合が多い。
時代は下って初代教会が成立し、次第に多くの人々がそこに集まって来ると、どうしても人々のまとめ役、調整役、リーダーが必要になって来る。最初は主イエスを直接見知っていた直弟子が、その任に当たっただろうが、年を経て彼らが居なくなると,次第に教会員の中から、選ばれるようになったのである。教会は。古のイスラエルの伝統に倣って、指導者を「長老」と呼んだ。一方「若い人」とは直訳すれば「若年者」という意味であるが、「長老」に対比して用いられているから、「教会員」、つまりバプテスマを受けて群れに加えられた人々、という意味で、年齢的に特に「未熟」や「若い」ということではない。
まだ「牧師」や「司祭」と呼ばれる「教職」の制度は、はっきりとは確立していなかったのだろう。この手紙の著者もまた、自らを「長老」と称している。主のみ言葉は、各地方の教会を訪れる「巡回の伝道者たち」によって告げ知らされ、彼らから語られたみ言葉を、長老が中心となって、信徒たちと分かち合う、という中で教会の活動が営まれていたと考えられる。
7節に「思い煩い」という言葉が見える。人間は生きている限り迷い、戸惑うものだ。生きることには予習が効かないからである。この頃の「思い煩い」とは具体的に、何を指すのか。それは、教会が直面していた以下の事柄ゆえである。「悪魔」とどのように対峙するのか。これは後の時代の観念の「悪魔」即ち「神と敵対する悪の勢力」のことではない。新約聖書で「悪魔」とは、具体的にある「もの」を指している場合が多い。「ヨハネの黙示録」で非常にはっきりと描かれているように、悪魔とは「ローマ帝国」のことであり、さらにその帝国の頂点に立つ「皇帝」を指していると思われる。この時代、ローマ皇帝ドミティアヌスが、キリスト教を激しく弾圧したことが知られている。8節「ほえたける獅子のように、食い尽くそうと探し回っている」という記述は、当時の教会を取り巻く状況を見事に語っていると言えるだろう。だから「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と勧められているのである。
しかしそのために、教会は何ができるのか。ただ「自粛」の「掛け声」だけでは、人々は動かないだろう。ただ「忍耐」を語るだけでは、生きる希望は生まれて来ないであろう。「出口の見えない、いつ終わるとも知れない」ものに、そして「生命」が奪われるかもしれない「危機」に、どう立ち向かったら良いのか。そんな意図からこの書は記されている。
5節以下に、教会の「若い人」に対して「謙遜」の勧めが語られるのも、時には長老たちに、いろいろ小難しい議論が投げかけられたことが反映しているのだろう。今日でも教会では、おなじみの風景でもあるだろう。但し、「若い人」ばかりでなく、「長老」に対しても、「神の羊の群れの世話」(2節)を親身になって、欲得ずくを離れて行うことがまず語られている。始めに紹介した「寺子屋」の風景は、「自由というか、雑然というか、実におおらか」と評されている。人間をがんじがらめに縛り付ける雰囲気とは、一線を画されている。しかし決して放任ではない。世話をする者は、個々の子どもに合わせた教育を行う個別教授が基本だった。一人一人の必要に応じて作った62人分の個別学習カリキュラムが(今に)残っている、という。そういう中で、生活のための資質が養われたのである。初代教会の有様も、まさにそのようであったろう。
今日の聖書個所は、教会の生命がどこにあるのか。教会にできることはなにか。恵みはどのように表れるかを、はっきりと映し出している。これは教会にとってなくてならぬものでありつつ、どんな教会にも与えられている恵みであろう。ここに教会は立てられているのである。