山口県の郷土料理に「うずめ飯」という品目がある。一見、ご飯にただ出汁を掛けた具のないお茶漬けに見える。ところが、ご飯の下には、新鮮な鯛や野菜が隠して敷き詰められているという具合である。この食べ方の起源については、質素倹約を強いられた江戸時代に、贅沢しているのを余人に悟られないため、あるいは具材が粗末で他人に見られるのが恥ずかしかったためといった理由が伝えられている。さらに給仕する時や食べる時は、伏し目がちにするといった習わしも伝えられている。随分な気の使いようである。
また「幽霊寿司」なる品目もある。折詰の蓋を取ってみると、真白いすし飯しか見えない。しかしご飯の下には、新鮮な魚介類がびっしりと隠して敷き詰められているという塩梅である。こちらは食べる人へのサプライズという意味合いがあるのだろうか。いろいろ料理の起源は想像できるにしても、それぞれご当地の料理というものは、ご飯をきちんと食べられることへの感謝と喜びが込められているようにも思える。
今日の聖書個所はヨハネによる福音書の21章前半のテキストである。この福音書は20章の末尾をもって、閉じられていたが、後の時代の誰かが、教会に伝えられた伝承を付加したものと思われる。確かにわざわざ付加したくなるほどの明るく、生き生きした伝承である。元々漁師であった弟子たちと復活の主イエスが、ガリラヤ湖のほとりで再会する場面である。
ヨハネ福音書は、「夜」あるいは「昼」といった「ことば」によって、今がどのような時、そして事態なのかを象徴的に語ろうとする。ここでは3~4節「その夜は何も取れなかった。既に夜が明けた頃」云々。「夜」が過ぎ、白々と夜の明ける頃、「黎明」に、弟子たちは主とお会いするのである。
漁は早朝、暗い内に行われるものである。魚が腹を空かせて岸近くに回遊して、エサを探す時を狙う。ところが、このくだりは、非常に細やかな心遣いで人間の心と、神のみこころを対比して描いていると言えるだろう。一方で「夜、何も取れなかった」、つまり目ぼしい成果や結果が全く見えなかった、得られなかった。落胆やら失望に捉えられている弟子たちがいる。もはや夜が明けて来ている。しかし彼らの魂は未だ夜の闇に捕らわれているのである。本当はもうすでに朝の光はすぐにも射そうとしているのに、その気配に一向に気づくことがない。神のみこころの中にあっても、人間の心がそれに向けられない有様が、この時を表す「ことば」によって、暗黙の裡に語られているのである。ところが、もう一方で、まさにこの「何も取れなかった」時に「主イエスは水辺に立たれる」のである。
復活の主との出会いを語るテキストの中で、これほど魅力的な話はないだろう。ガリラヤ湖の朝の光の中、弟子たちと復活の主が再会する。そして一緒に朝ごはんを食べるのである。何と言う麗しい光景であろう。しかも、その朝食を整えてくださったのは、主イエスご自身なのである。焼き立てのパンと炭火焼き魚のシンプルなメニューであるが、主の手料理である。主はまかない人、調理人としても立ち働かれるのである。かつて「私作る人、私食べる人」というキャッチが物議をかもしたが、主は時に「シェフ」でもあったのである。
この麗しい朝ごはんの出来事の前に、こう語られている。ペトロは突然「漁に行く」と言い出す。所在無いままに、ただ呆然としている訳には行かない、体を動かして、何か気を紛らわしたいということだろう。家にじっと籠って、特に何もすることがなく、所在ないままに過ごすというのは、かえって苦痛なものである。弟子たちは堪らずに湖に舟で乗り出し、夜通し働いた。身体を動かすというのは、確かに心に対しても効用がある。
ある大学では、この期間の「自習課題」として「ラジオ体操第三をマスターして、その動きを映像で送りなさい」と指示しているそうである。外で身体を動かす、という生き物として当たり前なことが制限されるというのは、何と不合理なことだろう。勉強は何も頭だけで行うものではない。しかしむやみやたらに身体を動かせば、どうにかなる、何とかなる、というものでもない。
弟子たちは夢中で夜通し働いた、しかし「何も取れなかった」という。一生懸命が、無益に費えた。「骨折り損のくたびれもうけ」とはこのことである。しかし人生で「無益だった」という経験をすることは、決して「無駄なこと」ではない。「何も取れなかった」というところで、弟子たちは復活の主にお会いするのである。ここが今日のテキストの眼目である。
岸辺に立った復活の主は言う「子たちよ、何か食べるものがあるか」。この「食べるもの」とは、「おかず」というような意味合いで、「支えるもの、力つけるもの、滋養」、という付随的な意味がある。単なる食料と言う物質、ものを表しているのではない。「生命を支えるもの」が取れたか、という問いは、大切な問いかけである。あなたがたは、「生命を支えるもの」を見つけているか。それをどのように手にしようとするか。そもそもあなたがた人間の力で、それを獲得できているのか。
「生命を支えるもの」は、ひとえに神のものであって、神からやって来るもので、人間の努力やスキル、熟練によって得られるものではない。ペトロも網元の漁師、魚を取るプロの中のプロである。しかし、熟練の手のわざも「役に立たない」ということがある。「何もありません」。「なにもできません」。「真実の生命」の問題、自ら望んだのでもなく、不思議にこの世に生まれて、与えられた人生を生きて、死んで、さらにその先の問題に対して、人間の手の業の何と空しいことか。もし、人の努力で埋めることができないもの、人間の力でどうにもならないものに直面する時には、「ありません」と素直に神の前に降参しお手上げするしかない。人間がお手上げして、そこから始まる神のドラマ、出来事があるのである。
主は言われる「舟の右側に網を下ろしてみなさい」すると153匹の夥しい魚が獲れた。この「153」という数字に蘊蓄を巡らす人もいる。この時代、世界の民族が153と信じられていた、とか、その数字は「三角数」といって特別な完全数、三位一体を現わすとか言われる。本当はただ「たくさん」という意図であろう。無いないづくしの弟子たち、初代教会の中に。そのような復活の主の大いなる恵みが盛られる、それが「153」という数字なのだろう。そうした自分たちの無力さと、主イエスのみわざの間に、祝福の朝ごはんが始まるのである。
先般、79歳で亡くなった作家で自然保護活動家のC・W・ニコル氏は、好きな日本語の一つとして「いただきます」を上げていた。「常に自然に感謝して、畏敬の念を持つ姿勢が表現されてい」と、ここに日本文化の真髄を見ていたようだ。命をささげてくれた生き物や植物、それを育ててくれた農家や畜産家に漁師、それらを運んでくれた人、料理を作ってくれた人…。「いただきます」は自分が生きている世界への感謝ではないか、と著書『C・W・ニコルの生きる力』に書いている。
キリスト教は、その初めから「いただきます」の宗教であった。礼拝とは共に一つのパンをいただき、ひとつの盃から飲むものであった。主イエスのからだ血を、即ち復活の主イエスの生命を、分かち合うことで、共に生かされ歩んだのである。「いただきます」ここから弟子たちは歩み出した。私たちもここから歩み出すのである。