「なぜおやつは『おやつ』と言うのか」、テレビのクイズ番組の質問である。江戸時代頃まで、日本人の食事は朝と夜の1日2回であり、それでは間でお腹が空くので。エネルギー補給のために、中食、あるいは小昼等と呼ばれる「間食」を、旧時刻の「八刻」(やつどき)午後2~3時に取るようになった、それが「おやつ」の起源とされる。
子ども時代はすぐお腹が空くものである。胃が小さいから一度に沢山は食べられないので、小分けにして食べるということもあるだろう。南国の暑い地域では、食物が傷みやすいので、食事は少しづつ一日に何回も食べ、強い胃酸の消化作用によって、食中毒を防ぐという知恵によって暮らしている地域もある。そこでは食事は、いつもおやつを食べているような感覚である。縄文時代には、おやつには栗、柿、桃などの果物のほか、一口大に押しつぶして焼いた山芋や里芋などが食されていたようだ。やがて縄文時代の後期に稲作が始まると、餅やせんべいに近いものが口にされるようになった。さて皆さんは、子ども時代には、どんなものを「おやつ」として食べていただろうか。
主イエスの時代のパレスチナでは、通常、農民は朝食を取らず、夜明けと共に家を出て、耕作地あるいは農園に向かったが、さすがにお腹が空くので、昨夜の残り物のパンやオリーブの漬物を、少しばかりかじりながら歩いたとも言われている。路上でスナック菓子を食べる要領である。早朝に仕事を始めて、日が高くなる頃には作業を終えて、家に帰り、家族で昼食のお膳を囲み、一日の内もっともきちんとした食事を摂り、その後昼寝をしたり、おしゃべりを楽しんだり、しばらく休憩するという生活様式だったという。昼下がりになって、小腹が空いたなら、旬の時期なら、「いちじく」「ぶどう」「ざくろ」を生食し、それ以外の季節なら乾燥させた果物やナッツ類を食べたことだろう。
今日の聖書の個所、23節で「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた」という。旧約の律法では、他人の畑に無断で入って、手でその穂を摘んで食べても、罪にはならず、かえって収穫後の落穂も、すべて拾い集めてはならず、畑に実ったすべての穂を、刈り取ってはならない、と定められている。「貧しい人々のため」と但し書きが添えられているが、その背景には、古代の食の現実が反映していると思われる。即ち、手軽に食物を求められる商店や食堂など、存在していない時代である。やはり緊急避難的な役目を果たすものや手段が人間には必要なのである。何か口に入れることのできるものが少しでもあれば、もうちょっと頑張れるのが、人間であり、少しのことが状況を切り開く力ともなるのである。問題はその「ちょっと」があるかないか、である。
実った麦の穂を摘んで、どうするのか。手でもんで種を出し、ただそれを口に入れて噛むのである。小腹が空いて何となく口寂しい時に、ふと行なってしまうパレスチナの民衆の慣わしなのだろう。麦の粒にはグルテンが含まれているから、口に含み噛み続けて行くと、粘り気のあるガムのようになる。大しておいしいものではないだろうが、始終、腹を空かせている子供たちには、格好の「おやつ」であったろう。ただ小腹を満たすためではなく、友達の間で、どちらが速く口の中でガムにすることができるか、競い合って、遊びにもするのである。
主イエスと共に行動する弟子たちは、まるで子どもである。皆、子どもの頃の自分に戻って、こんなささやかな楽しみに打ち興じているのである。主イエスと共にいることが、こんな無邪気な安心と安らぎを生み出すものとなっている。時は「安息日」である。神は創造のみわざの終わりに、「安息された」という。それを記念し、その安息に人もまたあずかることが、「安息日」の制定である。子どもの頃に戻って打興じるこの時の弟子たちの様子は、まさに「安息日」にもっともふさわしい振る舞いではないか。
ところで、子どもの遠足のような、この微笑えましい主イエス一行の道行きを、ファリサイ派の学者が非難したというのである「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」。「麦の穂を摘むこと」は、「刈り入れ」や「脱穀」に相当するから、それは「労働」であるとみなされ、安息日には禁じられている行為である、という。この非難に対して、主イエスは次のように返答されるのである。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
ここで福音書記者のマルコ、あるいは主イエスご自身に遡るのか不明だが、記憶違いをしている。このダビデにまつわる出来事は、大祭司「アビアタル」ではなく「アビメレク」の時が正しいのであるが、そんなことに目くじらを立てるのも、ファリサイ派と同じ態度だろう。もしかしたら、わざと間違えて見せたのかもしれない。すぐに上げ足を取りたがる輩も多いのだから。
昔から「背に腹は代えられぬ」というではないか。たかが「空腹」というなかれ。ジャン・バルジャンのならいではないが「人はパン一切れのために罪を犯す」のである。いくら聖別された聖なる特別なパンであろうとも、パンはパンである。生命が「空腹」によって、危機に瀕しているなら、そのパンを食べることも、何の差し障りがあろうか。あなたがたが尊敬してやまない、古のダビデの逸脱はどうなるのか。この個所を読むたびに、仏壇に供えられていた「牡丹餅」を思い出す。
「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(口語訳)、主イエスの精神、そして態度は、極めて明瞭簡潔である。おそらく複雑でもって回ったような込み入った理屈は、正しいのかもしれないが、少なくとも「生命」を膨らませるような力はないであろう。「単純」は決して「安易」と同意語ではない。「安息日」が「人のため」であるのだとすれば、それにふさわしい在り方は、他人任せにはできず、自分自身が決めなければならないのである。だから「いかに休むか」は、最も大きな「自己責任」とも言えるだろう。聖書の自己責任とは、「行為」の是非ではなく、「安らぎ」の如何に関わるものである。「人の子は安息日の主である」という言葉は、二重性を持っている。「人の子」は、私自身を指すとともに、主イエスをも指し示している。子どものような無邪気さで、麦畑を歩いて行く弟子たちの、その先頭に立っているのは、主イエスなのである。やはりまことの「安息」は、主が共にいて歩んでくださるからこそなのであろう。