祈祷会・聖書の学び ミカ書3章1~12節

「灯台下暗し」という諺がある。この「灯台」とは、海岸近くにあって沖を行く船に難波しないよう合図を送る「(回転)灯台」ではなく、灯明台(とうみょうだい)のことで、昔、 部屋の中を明るくするために火を点して置く、少し高い台のことで、この台の直下は灯りが照らさず薄暗いことから生まれた物言いという。そこからの喩えで、他人事については、よく分かっているが、 こと自分自身の事になると、全く不明であるという意味に用いられる。引いては、自分が身を置く場所のすぐ近くでは、いろいろ利害や損得が絡んだり、いらぬ忖度がなされたりするので、本質的な事柄があいまいにされたり、問題が有耶無耶にされがちという意味にも転じた、と理解できるのではないか。

上州、群馬県の安中の教会に長く牧師として仕えた柏木義円(1860~1938)がひとりで創刊し、459号にわたって毎月刊行され続けた『上毛教界月報』という名の個人雑誌がある。政府の宗教政策、すなわちキリスト教への介入・利用へ鋭く警鐘を鳴らし、臣民教育に真向から反対し、社会主義思想等が取り上げられる中で、非常に独自で際立ったキリスト教的論評が打ち出されている。とりわけ半封建的・帝国主義国家への批判を、足尾鉱毒事件や廃娼問題を初めとする当時の社会問題、時事問題についての舌鋒鋭く論じているので、しばしば発禁処分をも被るのであるが、そうした鋭利な社会批評は他に例を持たない。柏木氏の人となりは、地方に居住する一介の牧師であり、終生、地域への宣教に働いた人である。決して中央のアカデミズムやジャーナリズムに、身を置き、幅を利かせた人ではないし、却って距離を取って労した方であるが、どうしてそのように鋭い慧眼を得ることができたか。個人的天分や研鑽によるところが大にしても、やはり地方に在住したからこそ、時代を見抜く目、いわば”glocal(global+local)”な視野を持ちえたと言えるのではないか。そして何より、聖書はまさにそのような”glocal”な見地から思考がなされているから、という風には考えられないだろうか。

旧約の預言書のひとつ「ミカ書」は、7章からなる小預言書である。著者とされる預言者ミカは、冒頭の但し書きによれば、モレシェト出身で、預言者イザヤと同時代人であるとされ、大体、前735年前後の間にその活動がなされたと考えられる。彼の活動はエレミヤ書26章17~18節にも記載されている。イザヤと同じ時代に、預言者として活動した人物であるとはいえ、イザヤがユダの都エルサレム出身で、神殿の祭司(エリート)という身分であったのにひきかえ、ミカは、ガト(少年ダビデが倒したペリシテ人の武将ゴリアトの出身地)近郊のモレシェト出身の田舎者であった。そうした生育環境からすれば、「無学なただの人」と思われる一人の平凡な人物が、預言者として立てられ、活動したという事実、またその肉声を隔世の時代に生きる私たちが耳にしている、という事実は、極めて不思議な印象を受ける。

古来、パレスチナの有力な都市のひとつであり、後に南王国の首都となり、ソロモンが荘麗な神殿を建てたエルサレムならば、宮廷に王家や貴族、高級官僚の子弟のための教育機関(知恵の学校)、神殿には祭司を養成する神学校が備えられてもいただろう。他方、ペリシテの人々の居住地に近い小農村は、どうだったであろうか。村の人々が集まる寄り合い所に、村落共同体の成員が一同に会し、長老の采配によって村の取り決め、夫役や年貢のとりまとめ、あるいは秩序の維持等が計られていっただろう。そういう会合の中で、若年者は社会の仕組みや生計の方法を学び、さらに生活の知恵を習得して行ったと思われる。そういうアカデミズムとは全く無縁の生活の中に生きていたひとりの人間が、今日の聖書個所のような言葉を語っているのである。この辺りの事情を深く思いめぐらす必要があるだろう。

今日の聖書個所、3章は、この預言者らしい息吹が、非常によく伝わって来る部分である。ごく大雑把に言えば、王国を治めていた為政者たちと、彼らを取り巻く祭司や預言者たちに対して、容赦ない辛口の批判の言葉を浴びせかけているのである。即ち、2節「善を憎み、悪を愛する者/人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。彼らはわが民の肉を食らい/皮をはぎ取り、骨を解体して/鍋の中身のように、釜の中の肉のように砕く」。これらの激しい言葉から、中央集権国家となったイスラエル・ユダ王国が、どのような体制で地方の町や村の住民たちに臨んだかが、如実に伝わって来る。「人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者ら」、生々しく武骨で真っすぐな語り口であるが、こういう部分に、この預言者の生きている生活が滲みでている。野獣が、その獲物を貪り尽くす有様に似て、これほどのリアルな表現で、暴力と圧政を強いた権力たちの姿を告発する言葉は、他に見当たらない。言葉の調子の激烈さこそが、この預言者の一番の特徴と言っても過言ではないだろう。余りの語調の激しさに、当惑したのだろう、後代の編集者たちが、「回復の預言」を加筆するほどであった(例えば2章12~13節、4章)。

また横暴な権力者たちを取り巻き、そのおこぼれに与ろうとする預言者たちの姿は、巧みな戯画のように皮肉交じりに記されている。「彼らは歯で何かをかんでいる間は/平和を告げるが/その口に何も与えない人には/戦争を宣言する」。まるで預言者が「犬の振る舞い」のように喩えられているが、それは犬に失礼である、犬の方が余程礼儀正しい。

田舎出身のミカがどのような経緯で預言者となったか、また中央にいる為政者や指導者たちとどのように関係を持ったのかを確認する材料は乏しい。エレミヤ書中の言及から考えれば、ただモレシェトという狭い地域でだけ活動したとは考えにくい。おそらく、地方の町村にあっても、中央権力からの重圧は、無視できないものであり、民衆の悲鳴を背にして、彼は声を上げざるを得なかったのだろう。「わたしは力と主の霊/正義と勇気に満ち/ヤコブに咎を/イスラエルに罪を告げる」。ここにイスラエルの真の預言者の心意気が伝わってくる。ひとりの地方預言者の挙げた熱い声に対して、中央がどう反応したかは定かではないが、「主が我らの中におられるではないか/災いが我々に及ぶことはない」という嘯きに、彼らの高ぶりを知ることができるだろう。「それゆえ、お前たちには夜が臨んでも/幻はなく/暗闇が臨んでも、託宣は与えられない。預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。神が答えられないからだ」。イスラエルにとって、「神の言葉が消える」とは決定的なことである。聖書の民はみ言葉によって立てられる。み言葉が失われる時が、彼らの終わりなのである。絶えずそれだけを見て預言を行った預言者の目を思う。上州、安中で一介の牧師として生活したかの人は、この国が雪崩を打って戦争へと転げ落ちていく中にあって、全くぶれることなく「非戦」を語り続けた。ここに時代を越えて働く、神のみ手があるだろう。