祈祷会・聖書の学び ヨハネの黙示録21章9~21節

スペイン・バルセロナの人々に「神様はお急ぎにならない」の挨拶の言葉を生み出したサクラダ・ファミリア(聖家族)教会建設だが、現在の進捗状況について、次のように伝えられる。「1882年の着工から141年にわたり建設が続くサグラダ・ファミリア聖堂。一時はガウディ死後100年の2026年に完成予定とされたが、新型コロナウイルスは『未完の聖堂』の完成をさらに遅らせた。現在、建設は全体のどこまで進んだのか。聖堂の運営を統括する総責任者チャビエル・マルチネス(54)は『全体の約70%』と率直に語る。141年で7割だと、もう60年かかるペースだが、コロナの危機を乗り切った統括者は『最新技術で建設は加速しており、数十年もかからない』と断言。10年程度の可能性も示唆する。全体で最も高いメインタワーのイエスの塔は26年に完成予定。その後『栄光の正面』を手がけて全体で18本の塔と三つの正面がそろい、音と光の総合芸術の大聖堂となる予定だ。イエスの塔の内部デザインを担当する彫刻家の外尾悦郎(70)は『世界で唯一、イエスの魂の中に入れる教会になる』とその魅力を語る」(2023年6月22日付、東京新聞)。

確かに、この有名な教会堂が完成するのを、バルセロナの人びとばかりでなく、世界の多くの人々が待ち望んでいることだろう。いつかは完成する。但し、完成前にこう言っては何だが、いかなる神殿、大聖堂と言えども、人間の手になるものである。決して永久、永遠ではなく、いつかは崩壊し消え去る運命にある。紀元70年、ユダヤ戦争によってエルサレム神殿(ヘロデ神殿)は崩壊した。40年の年月を費やして、かのヘロデ大王が巨財をつぎ込み改築したと言われる大建造物であった。特に真っ白な地中海産大理石の切り石で、贅沢に表面を飾られた美しさは近隣諸国の評判であったが、その名物大神殿も、根元から覆されたのである。この出来事によって、ユダヤ人は離散の民(ディアスポラ)の民として、「神殿」の宗教から「書物」の宗教へと歩みを変えざるをえなかったのである。

既存の神殿、信仰の具体的拠り所が亡くなったしまったときに、やはり人は問うのである。神殿とはいかなるものか、見えざる神の住まいには、どんな意味と意義を持つものなのか。黙示録が書かれた当時、ユダヤ戦争の勃発によって、エルサレム神殿はその基礎までも破壊された。それを著者のヨハネは知っている。彼もまたここで「神殿」の意味を問うているのである。

ヨハネばかりでない、旧約の預言者で、壮麗なソロモンの神殿の崩壊を目にしたエゼキエルもまた、「神殿」とは何かを問わざるを得なかった。どんなに贅を尽くし、壮麗な建築物であろうとも、所詮、地上の、有限な人間のつくる建築物なのである。「バベルの塔」の物語のように、頂を天に届かせようとしても、その野望ははかなく費える。エルサレム神殿も同じであった。バビロニア帝国の攻撃の前に、あっけなく崩壊したのである。

エゼキエル書40章以下に、「新しい神殿の幻」と題された預言の言葉が記されている。やがて建てられるべき新神殿の有様、構造や寸法が非常に詳細に記されている。パース、設計図が書けるほどのち密さである。特徴としては、完全シンメトリーの構造で、広々とした造作である。ところがこの神殿は、人間には建てることが出来ない。それはタテ、ヨコの寸法は記されているものの、肝心の「高さ」について、何も言及されていないのである。「高さ」がなければ、およそ立体にはならない。なぜエゼキエルは高さを記さなかったのだろうか。どう思われるか。

タテ・ヨコは、地上で生きる人間の現実の世界の象徴である。「高さ」こそ神の神たるゆえん、その象徴であろう。神の高さを、その高みを、人間が自分のものとすることはできない。実に聖書では、神殿は神の「住まい」、ではなくして「神の足台」なのである。主イエスは「祈りの家」と言われた。祈りこそ神の高みへと向かうものである。だからエゼキエルはあえて「高さ」を記さないことによって、人間はまことの神殿を建てることはできない、と暗に語っているのである。

このエゼキエルの考えを引き継いで、ヨハネもまた「神殿」とは何かを考えている。ヨハネはエゼキエルの考え方をさらに一歩進めている。今日の個所では、新しい再建されるエルサレムについての言及がある。ここでもまた色彩感豊かに、その麗しさを表現する。もっとも、大祭司の胸にかけるエポデ(胸飾り)を拡大し、町一面に広げたような塩梅ではある。律法では、大祭司の権能と掌握、とりなしの象徴として、イスラエル12部族を宝玉によって象徴的にあらわしたものである。それがエルサレムの町全体が、エポデであるという。つまり元々、神殿の中という小さな場に仕えた大祭司の働きは、今や世界全体に広がるのであり、大祭司という人間の役割は必要のないものとなる。なぜならキリストこそが大祭司であり、神の国こそが神殿なのだから。

22節にこう語られる「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである」。実に大胆な発言である。ローマ・ギリシアのヘレニズム世界は、大きな神殿がいくつも建てられていた。神殿あってこその宗教、信仰であった。各神殿毎に縁日があり、その日に決められた宗教儀礼をおこなうことが共同体の務めであった。それでは自分たちはどのように信仰を守っていくのか。エルサレム神殿のなき今、教会は新しい神殿を建てるべく、努力すべきなのか。答えは「否」である。キリスト者はもはや「神殿」は必要としない。さらに「大祭司」をはじめとする宗教的ヒエラルキーも必要がない。23節「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」、子羊こそ真の光。フランスのテゼ共同体が最初に建てた会堂は、程なく手狭となって人があふれたという。そこでブラザー・ロジェがしたことは、会堂の後ろの壁を壊して取り払い、サーカスのテントを後ろにくっつけて広げたのである。会堂とテントの間に隔てはなく、開かれて、光と風と人の行き交う空間、それはヨハネの視点の具体化でもあるだろう。

サグラダ・ファミリアの彫刻家、外尾氏は語る「初めはガウディばかりを見ようとしていた、そうして見えなくなっていた、他の多くの人と同じように。やがて気づいた、ガウディを見るのではなく、ガウディが見ていたものを見ればよいことに。ガウディと同じ視点に立ち 同じ方向に目をやった時に、ガウディの肉体が辿り着けなかった、未来、が見えた」。私たちは壮麗な建物、大伽藍にどうしても目が行く。しかしそれを超えて真に見るべきものがある。それは主イエスの歩まれた道であり、そのみ言葉である。