説教『真に恐るべき方は誰か』(ルカ12:1~7)

2014年7月13日             主日礼拝・説教要約
説教『真に恐るべき方は誰か』(ルカ12:1~7)

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◎7月第2主日を迎えました。先週は大型台風が日本列島を縦断しました。長野県では土石流の被害もあり、犠牲となられた方もおられました。被害に遭われた方々のことを祈りに覚えて参りたいと思います。梅雨もあと少し、梅雨が明けると猛暑が待っています。どうか体調に十分気を付けてお過ごしください。
◎ 今日も御言葉を通して主の深い慰めと平安、豊かな命と恵みを受けて参りましょう。今日取り上げるのは、ルカ福音書12:1~7です。短い箇所ですが、実に深い内容を持っています。結論としては、「この世の人々を恐れるな。ただ真に恐るべき方・神のみを恐れて生きよ。そこに真の自由と平安がある」ということです。今日はそのことを心に刻んで参りましょう。前回と前々回にわたってファリサイ派の人々と律法学者に対するイエス様の深い嘆きと痛烈な批判の言葉を取り上げましたが、この言葉の中に私達に対するイエス様の深い思いとメッセージ、そして、豊かな福音が隠されていることを知ることができました。
今日は、その深い嘆きと批判を受けて弟子達に語られたイエス様のメッセージを共に聞いて参りましょう。
◎まず、12:1を見ると、イエス様の周りに大勢の群衆が押し寄せていることが分かります。群衆が囲む中、イエス様が弟子達に向けて大事なことを教えられます。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」、そうおっしゃったと言います。パン種とは酵母菌のことです。パン種を入れるとパンはふっくらとしておいしいのですが、古いパン種を入れると全体がすっぱくなり食べられません。少しでも入ると全体が悪くなるものを指しています。その古いパン種とは偽善であると主は言われます。人間を悪くするもの、腐らせるものが偽善であると言うのです。11:39にあるように、外面はきれいに見えても内面は強欲と悪意に満ちている。これがファリサイ派の偽善である。この偽善に注意せよと教えます。ファリサイ派の人達にとっては心外だったと思います。彼らは律法の規定を守ることが信仰だと思っていたからです。しかし、イエス様は、彼らが律法を守っているのは神のためと言うよりも、自分を正しい人間・信仰深い人間に見せかけるためのものだと見抜いておられたのです。この偽善は誰の心にもあります。
◎だから私達は、人に見せかける生き方ではなく、神の前に正直にありのままに生きることが求められているのです。主はこう言われます。「覆われているもので現されないものはない。隠されているもので知られずに済むものはない。暗闇で言ったことは皆、明るみに出され、奥の間で耳にささやいてことは、屋根の上で言い広められる」と。神様にはすべてのものが見えており、聞こえている。そしてそれらはすべて明るみに出される。だから、悪いことを隠す生き方、秘密にする生き方ではなく、常に神の前に清く正しく正直に生きることが求められます。さらに、良きこと、正しいことも隠されたままで終わることはありません。特に福音は必ず明らかにされます。だから、大事なことは心の中を善に変えていただくことです。
強欲を愛に、悪意を善意に変えていただくこと。自分の罪を悔い改め、罪を赦され、神と和解し、神と共に生きて行くことが大事です。偽善ではなく、心の底から善意ある者に変えられることが求められます。
◎次に後半部分に入って行きます。前半で語られたことがさらに深められます。12:4にはこうあります。
「友人であるあなた方に言っておく。体を殺しても、それ以上何もできない者どもを恐れるな」と。主は、この世の人を恐れるなと教えます。主は偽善的に生きようとする私達の心の底に恐れがあることを見抜いておられます。私達は人から軽蔑され、批判され、迫害され、排除されることを恐れている。しかし、主は「恐れるな」と教えます。たとえ殺されても、それは肉体までのことで、魂までは殺されない。人は魂までは殺せない。だから、「恐れるな」と。その上で主は真に恐るべき方を教えます。それは「殺した後、地獄に投げ込む権威を持っておられる方」、つまり神様だけを恐れよと教えるのです。神だけが私達を地獄に投げ込む権威、つまり、私達の魂に対する絶対的・最終的な権威をもっておられる。恐るべき方は神のみです。「真理はあなたがたを自由にする」とあるように、この神のみを恐れていく時、私達はこの世の人を恐れることなく、自由に平安に生きることができるのです。「主を畏れることは知恵の初め」と言う言葉があるように、旧約では「神を恐れることが信仰」です。神への恐れが人間に真の自由を与えるのです。
◎しかし、主が「恐れるな」と教える理由はそれだけではありません。神様は5羽2アサリオン(200円)で売られる雀でさえ心の覚えておられる。それ以上に優れたあなたがたを神様は忘れるはずがない。いや、あなたがたは髪の毛一本までも数えられているのだ、それほどまでに神様はあなた方を心の覚え、愛しておられる。だから「恐れるな、安心せよ」と教えるのです。私達は神の深き愛に常に守られているのです。