説教『無神論国家のクリスチャン』(シュエ・エンファン先生)

2014年7月27日             アジア・アフリカ礼拝・説教要約
説教『無神論国家のクリスチャン』(シュエ・エンファン先生)

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◎中国のキリスト教の歴史は7世紀の「景教」に溯りますが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。1400年の間、キリスト教と中国文化との接触、衝突、融合が4度にわたって断続的に行われました。つまり、第1回目は唐の時代の「景教」、第2回目は元の時代の「也里可温」教、第3回目は明朝末から清朝初頭にかけてのイエズス会をはじめとするカトリックの宣教、第4回は「プロテスタント」の宣教でした。プロテスタントの宣教の始まりは1807年、ロンドン宣教会のロバート・モリソンの広州上陸にまで溯ります。清朝政府は、アヘン戦争の敗戦によりイギリスを始め、諸外国との間で一連の屈辱的な諸条約の締結を強いられました。キリスト教の布教権も条約の締結に伴って、次第に確保されるようになったため、1917年までに宣教師らは続々と中国に上陸し、布教活動に力を注ぎました。他方、国家主権が侵害され、屈辱的な条約に苦しむ中国人は、欧米の帝国主義とその文化に強い抵抗を示していました。
◎1949年の中国の建国は中国キリスト教史の転換点です。それまでにカトリック信者は約320万、プロテスタント信者は70万余りでした。建国後、中国共産党は共産主義国以外の外国勢力を徹底的に排除しました。在中国の宣教師ら及び外国の宣教団体は中国から撤退し始め、外国の保護を失った中国人キリスト者たちは国内で孤立し、非常に苦しい立場に追い込まれました。中国のキリスト教は1950年9月、諸教派のリーダらにより「三自宣言」を発表しました。三自とは「自治・自養・自伝」の三つの自立を意味します。「自治」とは政治的自立、中国人自身で教会の運営に当たること、「自養」とは財政的自立、中国人自身の力で教会を支えること、「自伝」とは、外国人宣教師でなく中国人自身の力で宣教することです。各地の教会において三自革新運動の組織が続々と結成されかした。三自とは、社会主義中国の教会の主題でした。
◎その後、教会の規模は縮小させられました。その困難に追い討ちをかけたのが、中国全土を席巻した文化大革命(1966~1976)の開始でした。文革中、「宗教は人民のアヘン」と認識され、国民の宗教活動を迫害しました。教会を奪われたクリスチャンたちは、秘密裏に集い、礼拝を守りました。文革終息後、党の宗教政策は大きく改善されて国民の信教の自由が認められるようになりました。文革の苦難を味わい、精神危機に直面した中国人は新たな価値観を求め、多くの人々がキリスト教の教えに耳を傾けました。
1980年代後半、キリスト教ブームが起こり、クリスチャンは破竹の勢いで増加する傾向にあります。現在、中国のプロテスタントの教会は、三自愛国運動を強力に推進することを通して、キリスト教を「洋教」から脱皮させ、中国人に受容できる宗教にする努力を注いできました。今は、中国の状況の中でイエス・キリストに従うこと(土着化)が、最も大切にされています。
◎私の父は牧師で、60年以上も咸陽教会と歩みを共にしてきました。文革が始まった時、国内の他の教会同様、咸陽教会も例外なく閉鎖されていました。父は肉体労働で家族を養い、毎日祈っていました。1983年、工場や住宅に転用された教会の土地を一部取り戻して、まず待ちに待った礼拝堂を建て、5人の信徒と礼拝を再開しました。その後、2回増築を行い、現在、咸陽教会は、2500人の教会員を抱える教会にまで成長しました。こうした流れは、父の教会だけではなく、中国全土の教会で起きていることでもあります。使徒言行録 2章41節には、「ペトロの言葉を受け入れ人々は洗礼を受け、その日に三千人程仲間に加わった」とあります。今の中国の教会の発展ぶりは、まさに初代教会の様子を呈しております。
◎今日、中国の社会では改革開放に伴う副作用とも言える、貧富の格差拡大、心の健康など、さまざまな社会問題が山積しています。また、物質的な豊かさを猛烈に追求する一方で、役人腐敗や国民道徳意識の低下も懸念されています。こうした局面の打開のために、中国共産党は、調和のある社会の建設への協力を各界に呼びかけています。そうした中で、宗教が持つ社会の調和促進の働きを積極的に発揮するよう、宗教団体は政府からも期待を寄せられています。今日、市民権を勝ち取った中国人クリスチャンたちは、行動によって信仰を体現する方法で、社会の中で自らを証し、その存在感を示すチャンスを生かしていくことができれば、更に歓迎され、中国社会を潤す泉となるでしょう。文化大革命を経た、20世紀最後の20年間を中国のキリスト教復興期とすれば、これからの21世紀は発展期を迎えるのではないでしょうか。
今日、中国と日本はアジアの未来と平和の実現に向けて大きな役割を担っています。両国のキリスト者はこれまでの友好関係を大切にし、多方面にわたる交流を進めていくことが求められています。今、教会は中国の地で再び復活しました。これは信仰の勝利ではないでしょうか。復活の主は生きておられるのです。