子どもの頃はやった遊びに何があるだろうか。今は家の中でコンピュータ・ゲームが主流だろうか。友達の家に遊びに行っても、それぞれのスマホやゲーム機に熱中して、顔も上げず、話すことさえしない、という光景もある。これでは何のために、その家に集まっているのか分からないが、一緒にいるという事実そのものが重要なのかもしれない。
私の子ども時代は、家の中で遊ぶと叱られるから、友達と外に行って何かをする、という塩梅であった。夏の今頃になると、カブトムシやクワガタムシを取りに行くのが常だった。良く取れる穴場のような場所があって、仲間内だけしか教えない、いわば情報の共有と秘匿、さらに漏洩の防止に努めたものである。ところが、その穴場の近くには、なぜか怖い老人が住んでいて、見つかると大声で脅されたり、時には追いかけられたりもした。そんな思い出話をしたところ、まるきり出身地の違う同年代の者が、「俺もそうだった」と同じ経験をしていることが分かって不思議であった。かの「怖い年寄り」は、全国を股にかけて出没していたのだろうか。本当は、遊びで危ないことを仕出かさないように、子どもを心配して、見守っていた人たちなのかもしれない。
子どもには楽しくても、厳しく叱られる遊びもあった。幼稚園頃には、なぜか落とし穴を作ることに夢中になった。空き地に密かに穴を掘り、小枝を穴の上に渡して、新聞紙を引いて、そっと土をかける。それが大人に見つかると大目玉を食らった覚えがある。なぜあんなに夢中になったのか。古代の狩猟本能が、無意識に息づいているからなのだろうか。
聖書にも、「落とし穴を掘る」という表現が散見される。これは「狩猟」目的というより、不穏な侵入者あるいは獣を撃退するための「罠」であったのだろう。そこから「落とし穴」はいつしか「策略を巡らす」ことの比喩とされるようになった。但し、聖書では「策略」は、神の目にあまり褒められた行為でなく、卑怯者の振る舞いとして理解されている。コヘレトの言葉10章8節にはこう記される「落とし穴を掘る者は自らそこに落ち、石垣を破る者は蛇にかまれる」。聖書もまた「人を呪わば、穴二つ」と語るのである。
「祝福」と「呪い」は、宗教の最も原初的形態と見なされている。古代の宗教は「呪術」と呼ばれる行為によって成り立っていたとされる。「呪術」というと、例えば「藁人形に釘打ち」のようにおどろおどろしく禍々しい行為のように感じられるが、おおざっぱに言えば「豊穣儀礼」のことを指している。自然は自分たちの命を支えてくれる糧をもたらす大いなる力である。但し、いつもそれが人間に都合よく働いてくれるものでもない。だから自然が豊かな恵みを与えてくれるように、祈願をすることが、「祝福」であり、自然が猛威や災厄をもたらさないように、祈願することが「呪い」なのである。つまり呪いの言葉(いのり)によって、自然の力を強めたり、撓めたりしようという試みが、「祝福」であり「呪い」なのである。いのりの言葉は霊となり強力に働きかける、と信じられたから、安易に発せられれば、思いもよらぬ禍をも、もたらしかねない、それ故「穴二つ」なのである。自らの発した言葉は、いつしか自分に戻って来る。
今日の個所は、ヘブライ書の掉尾「結びの言葉」と題されている。ヘブライ書は手紙というよりは神学論文と呼んだ方がいいが、パウロ書簡と同じく、手紙形式により構成されている。末尾には祝福の祈りが記され、その後、挨拶をもって閉じられている。この形式は、当時のキリスト教会の行っていた礼拝の流れにも準拠している。現代の礼拝でも、招きの詞から始まって、祈り、賛美、み言葉、説教(解き明かし)、祝祷、報告という具合に式次第は進行してゆくが、古代教会の礼拝も、大まかな点では共通している。そして教会宛書簡もまた、自ずとそのようなスタイルを取ったということであろう。パウロを始めとして新約中の文書は、教会の礼拝で読まれるべくして記されたのである。
さて特に21~22節の「祝福」に注目したいが、ヘブライ書ではかなり長めの祈りとして記されていることが特徴的である。既述のように、古代において「祝福」は宗教行為の定式であったから、新旧約聖書には、祝福の祈りが多く記されている。『讃美歌21』には、聖書の主な祝福の祈りが一覧になって記載されている(93‐7)。これを見ると、パウロの手紙に記されている「祝福の言葉」が、時代と共に膨らんで、その文言が豊かにされ整えられてきたと言えるだろう。もちろん「祝福」の祈りは、ユダヤ教の伝統の中から育まれ、キリスト教もそれを踏襲し、自らのものとして来た訳である。二コリント書13章13節の祝祷は、非常にシンプルなものであるが、三位一体の教理の萌芽をうかがわせる文言となっている。但し、これもパウロ独自の祈りという訳ではなく、初代教会がすでに行っていた祝福の祈りを、パウロもまた引用した、ということであろう。もちろんそっくりそのままではないにしても。
ヘブライ書は、新約の中で後期に成立した文書であるから、パウロの記している祈りと比べると、象徴的、観念的な文言が多く配置され、文章も長いので、それだけ教理の進展がこの背後に伺われる。ヘブライ書がその全体を通して語って来たことを、最後に短くまとめ上げたという風情である。しかしその中で「平和の神」という言葉が、特に私たちの目を引く。新約における祝福の祈りが持っている共通項は、「平和」への希求なのである。
古代イスラエルの時代から、挨拶の言葉になったほどに「平和(シャローム)」を求める祈りは、途切れることなく続けられてきた。復活の主イエスは、弟子たちに姿を現された時、「平和があるように(シャローム)」とまず声を掛けられた。これは単に、挨拶の言葉、決まり文句だからというのではないだろう。「平和を求める」のは、平和であるからではなく、平和がないからである。ヘブライ書の成立時代は、地中海周辺世界にあまねく「ローマの平和」がひろまり、その絶大な権力の前に諸国民はひれ伏したのである。それは「力による平和」の実現であったが、それですべて人間の問題が解決したかと言えば、かえって生きにくさや生きる目的の喪失が露わになったのである。時に迫害の波を受けつつも、キリスト教会に多くの人が足を向けたのは、やはりまことの平和、まことの安心を求めてのことだろう。「平和の神」とは、天地創造のわざの7日目に、神が安息されたことに由来する。「それは極めて良かった」とあるがままに安んじる神は、この日を祝福し、聖別されたという。「神の安息」、ここに私たちの平和の源がある。