「失敗なんかしちゃいない。上手くいかない方法を700通り見つけただけだ」、発明王トーマス・エジソンの言葉である。背後に仕事その他で、いろいろ上手くいかなかった経験があるのだろう。負け惜しみのようにも響く。
就職の面接で、「あなたの失敗経験を話してください」とよく質問されるそうである。皆さんならどう答えるだろうか。人間、誰しも失敗の経験を持つ。就活の対策本にはこうアドヴァイスがされている。「この質問に対して、ただ『失敗の経験』だけを語ってもだめだ」。つまりそこからどうしたのか、何を学んだのか、いわゆる「危機管理」や「リスク・マネージメント」に通じる発想ができるかどうかを見ようとしているのだ、と書かれている。もっとも、人生における失敗とか成功とか、何を指しており、何をもってそう判断するのだろう。「失敗」がだめことで、ない方がいい、「成功」がよいことで、あるべき姿、といってしまうには、余りに短絡的すぎるだろう。
さてこういう文章がある。この土地で「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。私の過去20年も同様でした。決して自らの信念を貫いたのではありません。専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。
この文章は、もう天国の住人となったペシャワール会、故中村哲氏が、生前、自分の半生を振り返って記したものである。ご自身を宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』に準えて語っておられる。「自分のやりたいことがあるのに、次々と招かれざる客が現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、準備不足でとうとう当日になってしまう。てっきり上手くいかず、叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。私の過去20年も同様でした」。スケールは違っても、私たちにもそのような記憶がどこかにあるのではないか。
今日はコリントの信徒への手紙二6章からお話をする。パウロの手紙の中でも有名な個所であるし、それ以上に彼の本音、リアルな心情(やはり格好つけているにせよ)が、素直に語られている文面である。彼一流の「パウロ節」と言ってもよい、彼らしい言葉の調子である。ひとつは、パウロは一つの事柄を説明するときに、思いつく限りの語彙をちりばめて語るという癖がある。5節以下「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉」、パウロは当時の知識人として、さまざまな語彙を駆使して語ることのできる能力を持っていたことが分かる。過去に、数々の苦難の襲う中で、それに飲み込まれ、潰されることなく、数々の「良い実」が結ばれて来た、そのことを多彩な言葉を用いて読者に強く印象付けようとする。
もう一つの癖は、自分の生き方、あり方を語る際に、逆説を多用する点である。8節「わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています」。この部分は文語訳以来「名訳」の誉れ高い個所ではある。ところが問題は、「ようで」と訳されている部分である。原文にはこの語はない。元々の文章は、正反対の事柄を表す言葉が、単純に結び付けられているのである、敢えて直訳してみれば「嘘つきで正直、無名で有名、死にかかって、生きている、罰せられ殺されず、悲嘆して喜び、貧乏人で金持ち、無一物で、無尽蔵」。このように矛盾する正反対の用語を、そのままくっつけて、これまでの、そして現在の自分の姿を示そうとするのである。
共同訳の「ようで」という言葉が入ると、「そう見えるけれども、本当はそうでなく、その実態は」という風に、真実を隠して、仮面をかぶって、生きているかのように、受け取られる恐れがある。確かにパウロはコリントの教会の人々、特に反感を持つ人からこう評されていたことは事実であろう「彼の手紙は重々しいが、(実際、会ってみると)、外見は弱々しく、話もつまらない」。こう陰口をたたかれて、この陰口を逆手に取って、ここで語っているのである。パウロはどんな困難も、つらさも苦にせず、ひるむことなく、前に進んで行けた人ではない。嘘つき呼ばわりされ、どこの馬の骨かと軽んじられ、投獄され、(病や事故や拷問で)何度も死にそうになり、悲嘆に暮れ、窮乏することもしばしばだった。しかしそこで起こって来たことはなにか。「嘘が真実を引き出し、死が生命を育み、悲しみが喜びを生みだし、貧乏が大きな財産となり、無一物が無尽蔵となる」という出来事であった。
彼は自分の人生に生じていることの背景を次のように語るのである。6節以下「忍耐において、艱難において、危機において、真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている(口語訳)。」ひとことで言えば人間的に見て、人間の押し付けるいろいろな物差しから見て、良いときにも、悪いときにも、どちらのときにも、信仰者として神の奉仕者としての自分自身のまことが示されている、というのである。人間の目から見て条件の良いときも悪いときも、うまくいくときいかないときも、成功も失敗もすべて、神のはたらきの時だ、というのである。成功ばかりか失敗もまた恵みのうちにある。神が働かれるなら、今日がどんな日であろうと、今日、恵みの日、今日、救いの日である。もし、神の働き、というところから人のやっていることを見るなら、そんなものすべて失敗であろう。しかし逆に失敗に働かれる神があるなら、人間の失敗は、神の成功へとつながってゆくだろう。
最初に紹介した中村氏の文章は、このように続く。「幾年か過ぎ、様々な困難―日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、という現実を突きつけられると、どうしても去ることが出来ないのです。無論、なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります。よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、『こんな筈ではなかった』と思うことの方が普通です。賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません」。
「天から人への問いかけ」、中村氏は「古臭い言葉」と言われるが、人生の中で繰り返しこうした問いかけ、神からの、主イエスからの問いかけを受けて、私たちは生きているのであるし、その拙い応答の上に、思いがけないドラマを紡ぎ出してくださるのが、神のみわざであるだろう。自分の人生を成功とらえようが、失敗と受け止めるにせよ、私たちの目の前には、主イエスの十字架が描き出されている。主イエスのこの地上の生涯は、十字架に釘付けられ、血を流し、「エリエリレマサバクタニ」と叫ばれ、失われた。しかしその悲劇と絶望の中にこそ、神は復活の生命を備えられるのである。