2014年6月8日 聖霊降臨日・ペンテコステ礼拝・説教要約
説教『力強い聖霊の働きと導き』(使徒2:1~14)
◎6月第二の主日を迎えました。先週、全国的に梅雨に入り、関東地方も一昨日・昨日と雨が続きました。
聖書には「祝福の雨」という言葉があります。雨によって草木や作物が育ちます。雨が降る度に神の恵みと祝福を思い、その恵みと祝福により私達の命も豊かに育まれていることを感謝して生きて参りましょう。
◎さて、今日は聖霊降臨日・ペンテコステとなっています。ペンテコステとは「50日目」を意味します。
出エジプトへと道を開いた過越しの出来事から50日目、モーセがシナイ山で十戒を授与された。そのことを記念する祭りがユダヤ教のペンテコステです。イエス様は過越し祭において十字架に架かり復活されましたが、復活後、40日間、使徒達と過ごされた後、天に帰られました。その昇天から10日目、復活から50日目に聖霊が降った。これを記念するのがキリスト教のペンテコステ・聖霊降臨日です。今日は、この日を記念して礼拝を捧げると共に聖霊が私達にも注がれていることを心に深く刻んで参りましょう。
◎最初に、使徒言行録2:1~11を通して、この日、何が起こったのかを見ていきましょう。2:1によると、この日、一同は一つになって集まっていたとあります。これは、主イエスが1:3~5で「エルサレムを離れず、前に聞いた父の約束されたものを待ちなさい。あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を受ける」と約束された言葉を信じて、人々が一つになって聖霊降臨を祈り待っていた姿を表しています。そこに聖霊が降ります。突然、激しい風が吹いてくるような大音響が天から聞こえ、それが家中に響き、炎のような舌が一人一人にとどまった。そして、一同は世界中から集まっていた人々の故郷の言葉で神の業、福音を語り始めたと言います。人々は自分の生まれ故郷の言葉で福音が語られるのを聞いて驚いたのでした。
◎この出来事は何を意味しているのでしょうか。これは聖霊降臨によって福音が全世界に向かって宣べ伝えられていったこと、つまり、福音宣教が開始されたことを意味します。聖霊降臨日と言えば、普通、「教会の誕生日」と言われます。しかし、聖書を読むと、既に人々は集まっていました。「教会」と訳されるギリシャ語は「エクレシア」といいますが、これは「集会」を意味します。この集会・教会は、主が復活された後、既に生まれていた。その教会に聖霊が降り、世界に向けた福音宣教が始まった。これが、聖書が教える聖霊降臨日の意味です。実際、この後の2:14以下では世界中から集まった群衆に向かってペトロの説教が語られています。主イエスが十字架に架かり、復活されたこと、このイエスこそ救い主である。この福音を実に力強く証言しました。その証言・説教に心動かされて主イエスを救い主と信じて洗礼を受けた人が3000人いたと言います。そこにはかつて主を裏切り、泣き崩れたペトロの姿はありません。あの弱きペトロが実に大胆に力強く証言している。ここに聖霊が降り、働いている姿を見ることができます。
この使徒ペトロやパウロなどの、聖霊による宣教によって福音は、全世界へと広がっていったのでした。
◎この宣教・伝道には大きな特徴がありました。それは、この宣教・伝道には万全の準備・体制・組織・計画・資金がなかったということです。あったのは、祈りと信仰、福音、そして、聖霊の働きでした。
初代教会の宣教を推進したのは聖霊だったのです。当時は伝道の困難な時でした。迫害・非難・攻撃の中でイエスこそキリスト・救い主であるとの宣教を進めていったのですが、その原動力は聖霊だったのです。
◎この後、聖霊によって福音宣教が展開されていったのですが、ここで聖霊の働きについて整理しておきたいと思います。ヨハネ福音書14章・16章や使徒言行録によれば聖霊には3つの働きがあると言えます。
第一の働きは、神の御心・真理を教え、それを人々に伝える働きです。2:14以下にペトロの説教が記されていますが、イエスこそ救い主だという福音こそ神の御心であることをペトロは証言しました。そのように証言させたのは聖霊です。ヨハネ福音書には「聖霊は真理の霊」とありますが、聖霊は真理の霊であり、弁護者である。大勢の権力者たちの前で堂々と証言できたのも聖霊の力であり、聖霊の働きなのです。
◎聖霊の第二の働きは、愛と平和をもたらすことです。聖霊はイエス・キリストの霊です。イエス様は愛に溢れた方であり、平和を実現した方です。敵意という隔ての壁を取り壊し、二つの物を一つにし、和解をもたらしてくださった方です。その聖霊が私達を愛と平和をもたらします。伝道者パウロがエルサレムに向かったのもユダヤ人教会と異邦人教会を和解させるためでした。聖霊は私達に和解をもたらすのです。
◎第三の働きは、私達を力強く導き、様々な試練や困難を乗り越えさせてくれることです。使徒言行録に描かれているペトロやパウロは、様々な試練や困難に直面しますが、聖霊によってそれらを乗り越えていきます。その聖霊は私達にも注がれています。この聖霊に導かれて力強く生きて行きたいと思うのです。