「『ありがとう』は魔法の言葉」と言われる。この表題を付されたある書物の惹句に、こう記されている「ありがとうと口にすると、なぜか心が潤ってくる。緊張がほぐれる、ストレスが消える。笑顔が生まれる、元気が出る。ありのままの自分を素直に受け入れ、まわりの人のことも受け入れて、人生のすべてがいとおしくなる」。結構づくめの「魔法の呪文」である。まったくその通りと思うので、わざわざお金を払って買って読んでみる、という気持ちにはならないが。
この「ありがとう」の語源について、こんな説明がされている。「ありがとうの語源は々あり、有り難しという形容詞の有り難くという連用形がウ音便化してありがとうとなった。 ありがとうを漢字で書くと有り難うとなり、有ることが難しいとなる。字の通りあることが難しい、あることが滅多にないという意味も持つ。つまり、滅多にないことに対して感謝していう言葉であった。ポルトガル語でありがとうという意味のオブリガード(obrigado)が『ありがとう』の発音に似ていることからありがとうとなった説もある」(文教大学)。
1549年、この国にキリスト教が伝来した年とされる。目に見えるもの、見えないもの、これまでにないさまざまな外国の事物がこの国にもたらされた。そして鎖国政策と共にやがて消えて行ったかに見える。そういう中で、言葉が残る、その言葉を互いに掛け合いながら人間関係を作っていく、そういう生活の営みが残り続ける、「ありがとう」その一つであったとしたら、実に興味深いことだ。
最近こういう文章を読んだ「これは『グレートジャーニー』で知られる探検家で医師の関野吉晴さんがエチオピアを訪れた時の話だが、先住民のコエグ族の村は、誰かが腹を満たす一方で誰かが腹をすかせているようなことがない社会だったという。食料や物が平等に行き渡っているだけではない。知恵や技術についても出し惜しみしないことが社会通念となっていて、例えば、関野さんが医師として診察や治療を施しても、誰も『ありがとう』とすら言わないのだという(佐野誠「不平等の処方箋」)。
今も世界は広い。こういう話を聞いて、どう感じるか。「ありがとう」のない社会、思いやりのない、無情な、冷たく殺伐とした人間関係が支配しているように感じられる。あるいはそれ程生活に追い詰められて、余裕のない生活が繰り広げられているように思われる。確かにそういう一面はあるだろう。ところがこの社会で働かれた関野医師はこう説明するのである。「専門知識や専門技術を持っているのなら、人のために役立てるのが当たり前。当たり前すぎて、感謝さえも必要としない社会なのだ」。「人と人とは支え合って当たり前、ましてや普通の人が持てない特別な才能や技術は、広く皆で共有し、分かち合って当たり前」という通念が支配している社会というのはどうか。その通りなのだろうが、余りに極端すぎると私たちは感じる。それでも、そうしなければその地で生き抜いて行けない、「切実」な求めがあるということである。
今日の聖書個所、ヤコブ書2章の冒頭部分は、この手紙の中でも舌鋒鋭い部分である。ここで用いられている用語をいくつか拾い上げるだけで、容易にそれが知れる。1節、そして9節「分け隔て」、従来の訳では「えこひいき」「かたよりみる」と訳されていた。どの訳語も、多少なりとも柔らかい印象を与えようとはしているが、「偏見」という意味の悪意の込められた用語である。さらに4節「あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」。ここではもっとまっすぐに、「差別」という用語、「悪意ある決定」というまことに強い言葉が使われていることを、頭に入れておく必要があるだろう。世間の弁明でよく「それは『差別』ではなく『区別』である」というようなまやかしを一刀両断にするような勢いである。
ここで用いられている用語もそうであるが、はらんでいる問題をさらに具体的に示唆する論拠もまた、あからさまである。非常に具体的な譬えが語られる。2節「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席(長椅子)にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もと(地べた)に座るかしていなさい』と言う」。ここまで露骨な差別が、そのまま教会内で繰り広げられていたとは想像したくないのだが、まるで目に見えるように迫真的に語られているので、複雑な思いにさせられる。教会の中に身なりの良い金持ちと、みすぼらしい身なりの貧しい人がいる。これらの人々に対して接する態度が全く違う、これをどう考えるか、と問いかけているのである。だから、現代のある聖書学者(田川健三)がこういうコメントを記している「古代の文書であそこまで厳しくものを言い得た人の手になる文書が存在するということは、現代人にとっても貴重な財産である」と。
実際にパウロの手紙には、教会の中で社会階層的グループが出来て、仲間内だけで勝手に食事をしているので、ある人々は満腹し酔っぱらっているのに、ある人々は腹をすかせたままで所在なく佇んでいるような状況で、「主の晩餐」つまり礼拝をひとつになって守ることでできない、と伝えられているのである。礼拝をそこに集まる人々がひとつになって守ることができない、となればすでにそこは「教会」ではないだろう。
今日の聖書個所、段落の終わりには、強い言葉で叫ぶように語られている。13節「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです」。一見、「因果応報」に聞こえる言葉なので、どうしても私たちには、「裁き」という言葉ばかりが気にかかるのだが、この文章の主要な言葉は「憐れみ」の方なのである。もちろん「情け」を軽んじる人は、自らも「情け」とは無縁の生き方になるだろう。ところが「憐み」とは、人間関係を表す言葉というよりは、神の本質を表す用語なのであることに注意したい。神は、「裁く」から神なのではなく、「憐む」からこそ、神なのである。
旧約で最も何度も繰り返される言葉こそ「憐み」である。原語は「ヘセド」、「哀れみ、慈しみ、悲しみ、共感」そして「愛」全体を表す言葉である。「憐れみ」において、神は私たちと共にいてくださるのである。だから「憐れみ」を捨てたり、無視したりする者は、知らず知らずに、神を自分の生きている場所から追い出してしまうのである。教会に、「憐み」がなくなってしまったなら、そこには人間の裁きだけが残るであろう。
主イエスは、十字架の上で叫ばれ、息を引き取られたという「わが神わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」。神の裁きの行きつくところが、このみ言葉にすべて表されている。神はその裁きにおいて、み子すらお見捨てになるのである。そして御子に裁きの刃を向けることで、私たちに憐れみを遺してくださった。その十字架で現わされた憐みから自分を切り離したら、私たちはどこに行けばよいのだろうか。「愛は正しさに勝ち誇る」というのである。あなたの信仰に、愛は息づいているか。愛が死んでいないか、私たちにとって、重い問いかけである。
最近、巷間で「目のみえない白鳥さん、アートを見にいく」というドキュメンタリー映画が話題になっている。白鳥健二さんは生まれつきほとんど全盲の方である。しかし白鳥さんは、20年以上美術館に通い、アート鑑賞を続けている。手で触って楽しむ芸術はあるが、大抵、「美術」とは目で見て鑑賞することが主眼で成り立つ芸術である。白鳥さんはどのように鑑賞するのか。生まれつき、ほとんど目が見えなかったものの、映画やテレビなどを聞いて楽しんでいた白鳥さん、20代のころデートで初めて美術館を訪れ、彼女に展示物を説明してもらい、展示されている絵画についてあれこれ会話することで、楽しい時間を過ごしたという。そのことがきっかけで「視覚障害者らしくないことに挑戦したい」と、美術館に通うようになったという。彼は言う「僕自身、美術好きじゃなくて、美術館好きなんですよね。美術館に行って誰かと会話しながら、その場を共有できるのか、できないのか。そういうのを含めて、体験が楽しいと思っているんです」。映画の共同監督である川内有緒氏の同名の著書にこういう文章がある。「見えないひとと見えるひとが一緒になって作品をみることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて『対話』という旅路を共有することだ」。
ここで「生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて『対話』という旅路を共有することだ」という言葉に、深く心が捉えられる。教会が行おうとしていることは、まさにそれであるだろう。教会には見えない主イエスのみ言葉がある。また見える聖餐のみ言葉がある、その見えるもの、見えないものとの交わり、すべてをひっくるめて、神と人との対話の旅路を共にするのである。ここにあるものは、「憐み(愛)は、裁き、捌き(区別、差別)に打ち勝つ」という事実である。