説教『神の御恩に感謝して生きる』(ルカ17:11~19)

2015年 5月31日              礼拝説教・要約
説教『神の御恩に感謝して生きる』(ルカ17:11~19)

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◎ 5月最後の主日を迎えています。教会歴で今日は三位一体主日です。先週の聖霊降臨日を迎えて、神が父なる神・子なる神・聖霊なる神であることが明確になったことを記念する日です。今日は、そのことも覚えながら礼拝を捧げます。さて、先週は暑い日が続きましたが、昨日も暑い日でした。その中で当番の方達が清掃をしておられました。その姿を見て深く感謝したのですが、いつもしていただいていることに感謝して生きるか、それともそれを当然のことに見なすのかでは随分、人間関係・生き方は違ってきます。
信仰生活も同じで、神の恵みに感謝して生きるか、そうでないかでは、随分、信仰生活の在り方が違ってきます。今日は、神の恵み・ご恩に感謝して生きることのすばらしさを共に味わって参りたいと思います。

◎ 今日の話は、イエス様がエルサレムに上る途中、ガリラヤからサマリヤに向かう際に入られた村での話です。重い皮膚病を患っている10人が出迎え、遠くから声を張り上げ「イエス様、私達を憐れんでください」とお願いしたといいます。重い皮膚病に罹った人は、律法(レビ記)の規定によると、祭司に診せ、そうだと診断されると「あなたは汚れている」と言い渡され、隔離されました。町や村、家族から離れ、自分達だけでひっそりと暮らしていたのです。だから彼らは遠くから叫ばねばならなかったのです。ここには重い病の故に世から離れ、差別され、世から捨てられるようにして生きていた人達の姿があります。
その叫びには、病による苦しみだけでなく、世から差別されながら生きる者の苦しみが込められています。

◎ イエス様は、その叫びを聞き、心動かされ、深く憐れみ、大声で「祭司たちの所に行って体を見せなさい」と言われます。律法では、重い皮膚病の人が治ったら祭司に診せ、治ったと判断されたら社会に復帰できましたので、主はそう命じられたのです。10人は主に命じられたように祭司の所に向かいます。そして、その途中で10人は病を癒されます。ここには病の故に苦しみ、叫ぶ人々の姿と、その苦しみに応えて深く憐れむ主の姿があります。ここまでが今日の話の前半です。しかし今日の話の主眼は後半にあります。

◎ 後半は、癒された10人の内、一人のサマリヤ人が自分が癒されたことを知り、大声で神を賛美しながら主の元に帰り、その足元にひざまずいて感謝したことが書かれ、主が「ほかの9人はどうしたのか」と問うた後、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われたことが書かれています。今日の話の重点はこの言葉にあります。ここでいう「信仰」「救い」とは何か。そこが重要なところです。

◎ では、この「あなたの信仰があなたを救った」と言われた「信仰」とは何でしょうか。これまで私達は、ルカ福音書を読んできましたが、8章には「12年間、出血が止まらなかった女性の癒し」の話がありました。群衆の中におられた主の後ろからその衣に触れて癒された女性の話です。そこで主は彼女に向かって「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。ここでの「信仰」とは、「イエス様に救っていただきたいと切実な思いでイエス様に近づいたこと、救いを求めたこと」を指しています。また、第7章では部下の病を癒してほしいと主の元に知人を遣わした百人隊長の話がありました。主に対して「ただ一言、おっしゃってください」と言葉を伝えた彼に対して、主は「これほどの信仰を見たことがない」と称賛されました。この「信仰」とは「主の言葉に対する絶対的な信頼と服従の姿勢」を指していると言えます。
◎それに対して、今日の17:19の言葉、「あなたの信仰があなたを救った」の「信仰」とは、「主に救われた救いを心から喜び、神を賛美し、主に感謝を伝え、主に救われた感謝と喜びの中に生きて行くこと」と言えます。今日教えられる「信仰」とは、そのことです。つまり、信仰とは、「神の救いと恵みを喜び、感謝して生きること」なのです。そして、「救い」とは、その信仰をもって神の恵みに感謝し、喜んで生きていくことだと言えます。この信仰こそ私達の信仰を支える根源的な信仰です。そして、この神の救いと恵みに対する感謝と喜びこそ、私達の信仰と信仰生活、そして、人生を力強く支える大きな力なのです。
◎加藤常昭牧師の説教の中に北海道家庭学校の谷昌恒校長の話が載っていました。谷先生は、私の人生にも大きな影響を与えてくださった方です。谷先生は、研究者の道を歩んでおられましたが、戦後、東京に溢れていた戦争孤児の姿に心動かされ、その子ども達を養い育てるために福島県に堀川愛生園を創設され、後に家庭学校の校長となった方です。その谷先生が、なぜ、そのような孤児達を養い育てる道に進んだのかと問われた時、「私を生かしているのは(今日の話にある)このサマリヤ人と同じ思いだ」とおっしゃったと言います。谷先生の心にあったのは神への感謝、イエス様への感謝の思いであったのです。信仰の根底には救われたことへの感謝と喜びがあります。この感謝と喜びが信仰の原点です。鶴川北教会の今年度の目標は「感謝、祈り、喜び」です。この感謝と喜びをもってこの1年も歩んで行きたいと思います。