説教『やがて来る神の国を待ち望む』(ルカ17:22~37)

2015年 6月21日            主日礼拝・説教要約
説教『やがて来る神の国を待ち望む』(ルカ17:22~37)

stam_007

◎ 6月第3主日、聖霊降臨節・第5主日を迎えました。梅雨らしい天気になってきました。梅雨はややうっとうしい所がありますが、アジサイを初めとする花々は私達の心を慰めてくれます。この梅雨に咲くアジサイは何かを象徴しているように感じます。今日取り上げた御言葉にある「再臨の時」「終わりの時」「救いの完成の時」は苦難の中に生きる私達にとって絶対的な希望です。今日はこの再臨の時の心備えを心に刻んで参りましょう。

 

◎ 前回は、ルカ17:20・21を取り上げ、神の国は今ここにあること、ここに始まっていることを学びました。
しかし、神の国はまだ完成していない。世には悪と罪が残り、多くの人が苦しみ悲しみの中にあるのも事実です。私達は将来への希望がなくては生きていけません。聖書によれば、やがて再臨の時、救いが完成する日が来ることが約束され、「主よ、来たりませ」という信仰も告白されています。では、神の国はいつ、どのようにして来るのか、どのようにその日に備えたらいいのか。今日はそのことを、御言葉を通して心に留めて参りましょう。

 

◎ 今日の箇所はやや長く、分かりにくい所ですから、前半と後半に分け、それぞれからメッセージを聞いて生きましょう。まず、前半部分、17:22~25を見て行きます。冒頭の17:22では、主が語りかける対象が弟子達に変わっていることが分かります。弟子達とは私達のことです。主は私達に向かって語りかけます。「あなたがたが人の子の日を一日だけでもみたいと望む日が来る」と。人の子の日とは再臨の日です。主は、やがて迫害の時・苦しみの時・苦悩の時が来て、必死に主の再臨を望む日が必ず来ると言われます。そのような時に注意すべきことがある。それはデマを飛ばす人が必ずいると言うことだ。そのような風評に惑わされてはならないと注意します。では、主はいつ、どのようにして来るのか。それは「稲妻がひらめく」ように突然来る。思いがけない時、思いがけない形で来る。だから、いつ主が来てもいいように常に再臨の日に備えておきなさい、と言うのです。

 
◎しかし、その際、心に留めておくべき大事なことがあると付言されます。それは、「人の子が必ず多くの苦しみを受け、今の時代の者達から排斥されることになっていること」、つまり、主の受難、十字架の苦しみが必ずあるということです。主は、ご自分が十字架と復活の出来事を経て昇天し、再臨することを告げるのです。では、なぜ、主はご自分の受難のことを告げるのでしょうか。それは、十字架こそ私達が裁かれるべき裁きをご自分が代わりに受けられた裁きであることを知らせるためです。再臨の時の裁きはすでに主が受けてくださった。そこに平安があります。さらに、主が自ら苦しまれたことは、これから迫害され苦しむことになる弟子達にとっては大きな慰めであり、励ましであり、希望であるからです。ヘブライ書に「イエスご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受ける人達を助けることができる」とありますが、主が苦しまれたことは、弟子達とキリスト者達にとって大きな慰め・励まし・希望になるのです。これが前半部分で告げられているメッセージです。

 
◎次に後半部分、17:26~37を見て行きます。ここでは、まず、ノアの洪水のことが語られています。人々は、ノアとその家族が洪水に備えて箱舟を造っている時にも自らの生き方を反省し、悔い改めることなく罪と悪の中に生きていたために洪水によって滅びた。また、アブラハムの甥ロトが間一髪の所で悪の町ソドムの滅亡から逃れた。それと同じことが起こると警告されます。つまり、いつまでも悔い改めることなく悪と罪の中に生き続けるなら、滅びること、主に裁かれることが告げられるのです。主の再臨は突然来る。それに備えて私達に対して罪と悪から離れ、悔い改め、神に立ち帰れと主は告げるのです。ペトロの手紙Ⅱ3:9に「主は一人も滅びないで皆が悔い改めるように、忍耐しておられるのです」とあります。主は、今、私達のすべての者が悔い改めて、神に立ち帰るのを忍耐して待っておられるのです。私達はそのことを世の人々に伝えていかなければなりません。

 
◎さらに17:31以下では、常に再臨に備えて、この世の物に心奪われることなく、未練を残すことなく、ただひたすら主を待ち望めと教えます。再臨の時、家財道具を取りに行くことも、家に立ち寄ることもしてはならないと言われます。ロトの妻が家のことを心配して後ろを振り返ったために滅びたことを忘れてはならない、この世の物に心奪われることなく、ただひたすら神に・主イエスに心を向けよと教えるのです。「自分の命を生かそうと努める者はそれを失い、それを失う者はかえって命を保つ」。自分の命を愛しすぎ、大事にし過ぎるとかえって命を失い、神のため・隣人のために自分の命を捨てることによって、かえって真の命、永遠の命を得ると言うのです。前回お話したマザーテレサのように、命を捨てることによって真の命を得ることを心に留めましょう。

 
◎最後に不思議な言葉があります。「死体のある所にはハゲタカも集まる」。これは当時のことわざのようで、「わたしを心から慕い求める者達の所に私は必ず行く」と主はおっしゃっている。主を心から慕い求めるなら、必ずイエス様は来られる。だから安心していい。主が来られる日を心から待ち望みなさい、喜びをもって待ちなさいと教えるのです。再臨の信仰は、私達にとって喜び・感謝・落ち着き・ユーモアに満ちた真の希望なのです。