◎9月最後の主の日を迎えました。雨の日が続いていましたが、今日は久しぶりに青空が見える日となりました。先週は、創立40周年記念講演会を持ち、樋野興夫先生から「がん哲学外来」についてお話を伺いました。その講演を通して世にあって苦しむ人々に寄り添いながら歩む教会の姿が示されたように思いました。これから目指す教会を考える上で示唆を与えるものでした。講演会のために祈り、労苦してくださった皆様に深く感謝します。
◎さて、10月9日・10日の教会修養会が近づいてきましたが、今日から3回にわたって修養会のテーマ「鶴川北教会が目指す教会」についてお話をして参ります。今日はその第1回として「神の御言葉に立つ教会」と題してお話をし、教会の拠って立つ基盤・土台・根拠は何か、そして、何を目指して歩むべきかを考えて参りましょう。
◎鶴川北教会は1969年3月、美竹教会の家庭集会から始まりました。翌年、礼拝が始まり、他の教会からも多くの会員を迎え、牧野信次先生を牧師に迎えて1976年に日本基督教団・鶴川北伝道所として設立されました。その後も、鶴川北教会は一貫してプロテスタントの教会として歩んできました。では、プロテスタントの信仰とはいかなるものでしょうか。それは「聖書のみ」「信仰のみ」という二つの原理を持つものと言っていいでしょう。鶴川北教会もこの二つの原理を持つ信仰を土台として歩んできました。今日は、この二つのこと、「聖書のみ」「信仰のみ」とはどういうことかを改めて深く学び、それを心に留め、私達の信仰を再確認したいと思います。
◎まず「聖書のみ」とはどういうことか。それは「私達の信仰、信仰生活、教会の拠り所は聖書だけである」ということです。日本基督教団信仰告白には、聖書は「教会の拠るべき唯一の正典」「神につきて全き知識を我らに与うる神の言葉」「信仰生活の規範」とあります。「聖書のみ」とは宗教改革者、マルティン・ルターが提唱したものです。カトリック教会が聖書のほかに「聖伝」(伝承や公会議の決定、教皇の教え・宣言など)を重んじたのに対し、ルターは、聖書を唯一の神の言葉として受け止め、聖書を信仰の唯一の根拠としてきました。聖書は文字以上の言葉、「神の言葉」です。そして、「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。言は肉となった私達の間に宿られた」(ヨハネ福音書1章)とあるように、聖書は「神の言葉」であるイエス・キリストを証言するものです。主イエスは、「十字架の言葉」(Ⅰコリント1:18)とあるように十字架によって私達をお救いくださった救い主・和解者・命の主です。鶴川北教会は「旧約聖書と新約聖書にあらわされた約束と成就の聖書の信仰に立つ」(牧野信次先生)教会です。鶴川北教会は、救いの到来を約束した旧約聖書とイエス・キリストにおいて救いが実現したことを証言する新約聖書の信仰に立っているのです。
◎宗教改革の口火を切ったマルティン・ルターは、1521年4月ウオルムス帝国議会に召喚され証言を求められた時、「私は聖書の言葉によって支配されている。私の良心が聖書に捉えられている限り、何物も取り消すことはできない。我、ここに立つ」と命を懸けて証言しました。ルターは聖書の証言する神の言葉に立っていたのです。1934年5月、ナチスと闘った告白教会は、バルメン宣言の第1項で「聖書において証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また、生と死において信頼し、服従すべき唯一の御言葉である」と宣言しました。鶴川北教会も聖書に証言された神の言葉に立っています。そのことをまず、心に留めておきたいと思います。
◎次に「信仰のみ」とはどういうことでしょうか。先ほども触れたように聖書の証言は、旧約において約束・預言されている救いはイエス・キリストにおいて実現したということです。「私達が救われるべき名は、(イエス・キリストという)名のほかに人間には与えられていない」(使徒4:12)というのが私達の信仰です。ルターは、修道院に入り、聖書研究をする中で福音を発見します。「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」(ローマ3:22)の言葉によって「神の義」は獲得するものではなく、神から恵みとして与えられたことを知ります。この福音の発見によってルターの闘いは始まりました。当時、救いを金で買う免罪符を販売していたカトリック教会に問題提起をし、救いはイエス・キリストへの信仰によって与えられるものだと主張したのです。「信仰のみ」とは人間の善行や業績、教会の儀式によらず、ただ主イエスを信じる信仰によってのみ救われることを言います。しかし、ローマ3:22は「イエス・キリストの信仰(真実)によって、神から与えられる神の義です」とも訳せます。つまり、「私達の信仰」ではなく「イエス・キリストの信仰・真実」によって救われたのです。その意味で「信仰のみ」とは「恵みのみ」「キリストのみ」と言い換えていいでしょう。その救いはこの世のすべての人に与えられています。だから、そのことを伝えるのが教会の務めだと言えます。従って、鶴川北教会が目指す教会とは、第一に「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」の信仰にしっかりと立ち続ける教会であり、第二にその救いの到来・福音をこの世の人々に伝える教会だと言っていいでしょう。