説教『世と人に仕える教会』(マルコ10:16~4:5)

2016年10月2日   教会修養会に向けた礼拝2・説教要約

◎10月最初の主の日を迎えました。先月は、敬老の日礼拝・祝会や創立40周年記念講演会などがありましたが、祝福の内に終えることができました。10月は教会修養会や教会バザーなどがありますが、実りあるものになるように共に祈って参りましょう。今日は、世界の教会に集う兄弟姉妹が聖餐を共にし、主にあって一つであることを覚える「世界聖餐日」であり、また、世界に派遣された宣教師を覚え、世界への宣教を祈る「世界宣教の日」です。世界の教会と兄弟姉妹を覚え、世界中に福音が宣べ伝えられることを祈りつつ礼拝を捧げたいと思います。

◎さて、今日は教会修養会に向けた礼拝の2回目として「世と人に仕える教会」と題してお話をいたします。前回は、その1回目として「神の御言葉に立つ教会」と題してお話をしました。鶴川北教会はプロテスタントの教会として「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」の信仰に立って歩んできましたが、これからも神の御言葉に立ち続け、福音を宣べ伝えていかなければならないことを再確認しました。今日、お話することは、「教会は何のためにあるのか。教会の目的は何か」についてです。もちろん、教会は礼拝を捧げ、福音を宣べ伝えるところですが、それ以上に、教会とは本質的に何のために存在するのか。無教会の信仰を持ち、学校の教師を経て神学校に入った私にとっての大きな問いは「教会とは何のためにあるのか」ということでした。多くの神学書を読む中でその問いに明確に答えてくれたのが、神学者カール・バルトの『教会教義学』でした。バルトの答えは「教会は世のためにある」というものでした。その言葉に出会った時、目の前が開けていくのを感じたのを覚えています。

◎では、その根拠はどこにあるのか。それはイエス・キリストにあります。教会はキリストの体です。そのイエス・キリストは世の人々、特に世にあって苦しんでいる人達のために仕えられました。その主イエスは、今日の聖書・マルコ10・43~45において「皆に仕える者になり、すべての僕になりなさい」と教えておられます。また、ヨハネ13章でも主は弟子達の足を洗われ、あなたがたに模範を示したと言われました。キリスト者とは世の人に喜んで仕える者なのです。マルティン・ルターは、『キリスト者の自由』の中で「キリスト者とはすべての者の上に立つ自由な主人であり、また、すべての者に奉仕する僕である」と書いています。パウロも、コリントⅠの9章において「私はすべての人に対して自由であるが、すべての人の奴隷となった」と書き、信仰による自由と奉仕について書いています。パウロはローマの手紙において1~11章まで「信仰による救い」を、続いて12章以下で「信仰者として愛をもって生きる」ことを書いていますし、ガラテヤ書5章でも「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。愛によって互いに仕えなさい」と書いています。信仰者とは主イエスによって罪から解放された自由な人であり、愛によって他者に仕える人なのです。キリスト者とは「愛と自由の人」です。周囲にキリストの香りを放つ人です。家庭や職場、地域、世にあって「愛と自由」のキリストの香りを放ちます。仏教でいう「愛顔和語」、暖かい表情と穏やかで思いやりのある言葉の人、隣人に仕える人がキリスト者です。

◎教会も同じです。教会とは、イエス・キリストによって罪を赦され、救いを得、自由にされた者の集まりであり、同時に愛をもって世の人に仕える者の集まりです。神に仕えると同時に世の人に仕える者達の共同体です。この世と連帯し、この世の課題を共に担い、この世にあって困窮している人たちに仕える共同体です。カトリックの本田哲郎神父は、聖書の神もイエス・キリストも苦しむ人の苦しみと叫びと痛みに共感し、苦しむ人たちのもとへ出向かれ、救おうとされた、教会もまたそうでなければならない、と書いておられます。教会は神様によって世から集められた人々の共同体ですが、同時に、世と世に人に仕えるために派遣され、イエス・キリストを証しする共同体でもあります。世と世に人に仕えることによって、愛と憐れみの神を証しする共同体が教会なのです。

◎では、世と世の人に仕えるとはどういうことか。教会は世と世の人に対して何ができるのでしょうか。そのことについて私自身に示されたのは4つのことです。第一は、この世で生きていく上で困っている人達・困窮している人に対して、生活上の物質的な援助・助けをすることです。マタイ25章にあるように、飢えている人に食物を、乾いている人に水を、旅人の宿を、裸の人に衣を与えることです。ルカ10章の「善きサマリヤ人」は、道に倒れている人を手当てし、宿屋に連れて行って介抱し、宿賃まで出して助けました。そういう援助が必要です。第二は、様々な問題に苦しみ悩んでいる人、心の病を抱えている人に傍らに座り、耳を傾け、寄り添うことです。世にあって苦しみ悩む人の隣人になることです。第三は、この世の平和と和解のために尽くすことです。主は「平和をつくり出す人たちは幸いだ」と言われました。世の平和に尽くすこと、世の和解のために尽くすことが世に仕えることだと言えます。最後に第四は、祈ることです。カール・バルトは世に対する奉仕の第一に祈りを挙げています。祈りはすべての奉仕の土台です。私達はこれからも仕える教会を目指して歩んで行きたいと思います