説教『主イエスにつながって生きる』(ヨハネ15:1~17)

2014年5月4日             主日礼拝・説教要約
説教『主イエスにつながって生きる』(ヨハネ15:1~17)

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◎今朝もさわやかな朝を迎えています。5月最初の主の日を迎えています。今日も御言葉を通して神様の豊かな命に与りたいと思います。今日は、先週の教会総会で採択された今年度の目標聖句「わたしは真のぶどうの木、あなたがたはその枝である。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」を取り上げ、この聖句に込められている意味とイエス様の思いを共に分かち合って参りたいと思います。そして、この聖句をそれぞれの信仰生活の、また、鶴川北教会の目標として参りたいと思います。
◎この聖句はヨハネ福音書15章の言葉ですが、15章はイエス様が十字架を前にして取られた最後の晩餐の席で弟子達に語られたイエス様の最後の教え、いわば遺言とも言える教えが語られています。今日は、目標聖句を含む15:1~17までを取り上げ、ここから3つのメッセージをお伝えして参りたいと思います。
◎まず最初に取り上げたいのは15:1と15:5の言葉です。15:1には「わたしは真のぶどうの木、私の父は農夫である」とあります。ぶどうはユダヤ地方では良く栽培される果物で、主にぶどう酒の材料になります。ぶどう酒は貴重な飲み物であり、その芳醇な味わいは人々に喜びを与えました。ぶどうは神の命・恵み・祝福の象徴です。イエス様は自ら父なる神が植えられた「真のぶどうの木である」と語り、15:5では「あなたがたはその枝である」とおっしゃっている。つまり、私達はイエス様という豊かな木につながる枝であり、イエス様の中に流れる豊かな水・養分をいただいて葉が繁り、花が咲き、実をつける。私達はイエス様から神の命・愛・恵み・祝福を受け、豊かな実を結ぶというのです。しかも、「私は真のぶどうの木」とおっしゃっているように、イエス様こそ本当の実を結ぶぶどうの木であると宣言しておられるのです。イエス様と私達の関係は「木と枝」の関係である。私達はイエス様としっかりつながっており、その一部である。「羊飼いと羊」以上に密接な関係にあることを語っておられるのです。それほどイエス様の愛は強くて深い。それほど深い恵みの中に生かされていることを知るのです。これが第一のメッセージです。
中国の熱河伝道に赴いた澤崎堅造は「キリストと私を十字架の釘が一つにつないでいる。キリストは私を聖霊の釘によって一つにし私を負いたもう」と書いています。キリストと私は一つに結ばれているのです。
◎そのようにイエス様と私は木と枝のように一つに結ばれていることを踏まえた上で、イエス様はさらに、「わたしにつながっていなさい」と命じておられます。これが今日の第二のメッセージです。つまり、イエス様と私達との関係は木と枝という深いつながりの中にあるけれど、その関係に安住せず積極的・主体的に「イエス様につながっていなさい」とイエス様は命令しておられるのです。私達が豊かな実をつけるには、日々、いや、一瞬一瞬、イエス様につながっていることが求められている。辛い時、悲しい時、苦しい時、試練の中にある時、絶望の淵にある時、誘惑の中にある時、いかなる時も主イエスから離れず、つながっていることを主は求めておられるのです。では「主につながる」とはどういうことでしょうか。
主は、15:9で「父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛してきた。私の愛に留まりなさい」と教え、
15:12では「私があなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」と教えておられます。つまり、主につながるとは主の愛に留まり、その愛によって互いに愛し合うことなのです。もちろん、私達は罪人であり、愛のない者です。しかし、主は驚くべきことにご自分の方から「私もあなたがたにつながっている」とおっしゃってくださっています。主が私達につながってくださっているからこそ、私達も主につながることができるのです。この主の命令は喜ばしい命令です。主につながって生きること、主の愛に留まり、互いに愛し合うことは大きな喜びです。これが、主が教える第二のメッセージです。
◎最後に第3のメッセージは、私達はすべてイエス様の木につながっている枝同志、主を仲立ちとした兄弟姉妹であるということです。ここに教会に集う者の交わりの基礎・土台・動機があります。人間的な感情や好悪、考え・意見が教会の交わりの基礎ではなく、主という木につながる枝であることが教会の交わりの土台なのです。そして、主は枝同志が愛し合うことを命じておられます。互いに愛し合うとは、互いに仕え合うことでもあります。つまり、主の枝同志であることが教会の奉仕の土台なのです。さらに、主イエスを仲立ちとして交わりは教会の外にいる人々まで広がっています。バルメン宣言の草案を作成したカール・バルトは「我々はヒトラーのためにもイエスが死なれたことを忘れてはならない」と言いました。世のすべての人が主イエスの救いの対象・神の愛の対象である。これを伝えることが伝道です。今年度の教会の課題は交わり・奉仕・伝道です。その根拠と意味は今日の目標聖句にすべて込められているのです。