説教『神の言葉に生きる人』(ルカ11:24~28)

2014年4月27日             主日礼拝・説教要約
説教『神の言葉に生きる人』(ルカ11:24~28)

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◎4月最後の主の日を迎えました。今、新緑の美しい季節を迎えています。昨日からゴールデンウイークが始まりましたが、1年で最もさわやかな季節の中、有意義な休みとなりますようにお祈りいたします。
先週は、イースター・復活祭を迎えて礼拝と祝会、墓前礼拝などを捧げました。主イエスのご復活により罪の赦し、罪と死に対する勝利、復活の命・永遠の命への信仰を確かなものとすることができました。
それでは、そのような復活の信仰に生きる私達は、この地上でどのように生きることが求められるのでしょうか。今日は、そのことを聖書の御言葉を通して学んでいきたいと思います。今日の御言葉はルカ11:24~28です。この箇所からイエス様が語られる大切な2つのメッセージを聞いて参りたいと思います。
◎前回の11:14~23には、主が口を利けなくする悪霊を追い出し、口の利けなかった人の口が利けるようになったこと、群衆が驚嘆する中でそれは悪霊の頭ベルゼブルによって追い出したのだと言う者がいたこと、それで主は悪霊の力によってではなく神の指・神の働きによって追い出したことと今や神の国が近づいたことを告げられたことなどが書かれていました。その後に続けて語られたのが11:24~26です。ここには、人から出ていった悪霊は休む場所を求めて砂漠をさまようけれど出てきた人の所に戻っていくこと、そして、その人の心がきれいに掃除してあり、飾りつけまでしてあったので悪霊は7つの霊を連れて入り込み、その人の状態が一層悪くなるということを主自ら語られたと書かれています。これは一体、何を意味しているのでしょうか。それは、たとえ悪霊が追い出されたとしても、悪霊が去った後、心が空のままだと、今度はさらに悪い霊がやってきてその人の心の状態を悪くする。だから、悪霊が追い出された後、空になった心に神様・イエス様を迎えなければ、さらに悪い霊に支配される。心の内に神を迎えよ、イエス・キリストを迎えよ。そのように主が警告を与え、人々に教えられたことを意味しています。
◎私達の心とはどういうものか。それは何かを入れる容器・コップのようなもののように思えます。その中には幼い頃から与えられ、身に着けた愛情・感情・欲望・知識・思想・体験・夢・目標など様々な物が入っています。他方、心は家や国のようなもので、何かによって治め・統制するものでもあります。何によって治めるか。それは第一に自分自身と言えますが、いかに自分が弱く頼りないか自分自身が良く知っています。では、私達を常に正しく治めるのは誰か。それは尊いご計画の下、私達を愛と恵み、祝福をもって創造された神様であることを聖書は教えています。私達の主権は私にではなく神にある。そして、自分の主権を神に委ねることが信仰であると言えます。聖書には神を主と呼んでいます。主とは主人、主権者を指します。新約ではイエス様を主と呼びます。そのように神様・イエス様を私達の心に主人として迎えること。そのことがなければ、どれほど心を清く、美しく飾り付けても私達の心は悪魔・悪霊・この世の勢力に支配されてしまう。だから私達の心に神様を、イエス様を主として迎えよ。そう主イエスは教えるのです。これが今日のみ言葉においてイエス様が私達に伝えようとしておられる第一のメッセージです。
◎それでは、神様・イエス様を私達の心に主・主人として迎えるとはどういうことでしょうか。そのことが書かれているのが、11:27~28です。ここでは一人の女性が突然、声高らかに「何と幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と主をほめたたえたといいます。主が悪霊を追い出し、異論に対して反論した言葉に心打たれたのでしょう。それに対し主は「むしろ、幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人である」とおっしゃったと言います。この言葉をさきほどの11:24~26につなげれば、神様・イエス様を心の主として迎えるとは、神の言葉に聞き、それを守ることだとおしゃっているように聞こえます。神の言葉に聞き、それを守ることこそ、神様・イエス様を主として迎えることなのです。しかし、神の言葉に聞き、それを守ることはできるでしょうか。例えば、山上の説教で主が「敵を愛しなさい」と教えられましたが、それは実行することができるでしょうか。それは実に難しいことです。では、どうすれば神の言葉を実行することができるのか。それは堂々巡りのように聞こえますが、私達の心にイエス様を主として迎えることによってです。自分の力ではなく、主により頼むこと、そうすればキリストの霊である聖霊が私達を導き、神の言葉を実行することができるようにしてくださいます。神様・イエス様にすべてを委ねることができた時に神様・イエス様は私達を神の言葉を行える者にしてくださるのです。
◎ナチスの支配に抗議した告白教会が宣言したバルメン宣言には「イエス・キリストは我々が聞くべき神
の唯一の言葉である」とあります。イエス・キリストを我が真の主として迎えることが我ら信仰なのです。