説教『もし愛がなければー伝道・奉仕・交わり』(Ⅰコリント13:1~3)

2014年10月12日                  教会修養会・主日礼拝・説教要約
説教『もし愛がなければー伝道・奉仕・交わり』(Ⅰコリント13:1~3)

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◎ 10月第二の主の日を迎えました。今日と明日は教会修養会となっています。台風のために明日の修養会は延期になりましたが、今日は一日目の話をします。今年の修養会のテーマは「もし愛がなければ―宣教と奉仕、伝道・奉仕・交わり」となっています。私が鶴川北教会に赴任して以来、この6年間、修養会において伝道・奉仕・交わりについて深く学んできましたが、この3つは密接につながっています。それで、この3つを総合的に考え、取り組んで行きたい、という思いで今年度の課題としました。今日は、その3つの課題を一つずつお話した後、最後に、それがどのように深く関係しているかをお話したいと思います。
◎ まず伝道について考えてみましょう。伝道(ミッション)とは、宣教(ケリュグマ)より広い概念で、福音を宣べ伝えるだけでなく、福音を根付かせ、信仰を育てることを指しています。伝道こそ教会がなすべき第一の使命・課題であり、教会は伝道の拠点と言えます。その伝道において何が最も大事であるか。
それは伝えようとしている福音・救いを体験し、その味を知っているということです。金城学院大学の深井智朗先生が神学生時代の漬物販売のアルバイトの体験から販売する対象・漬物の味を知っていることが商売のコツであると書いていますが、伝道も伝える福音の味を知っていることが大事です。伝道とは救われた喜びを証言することです。使徒言行録でも伝道者ペトロとパウロは自分の救いを何度も証言しています。そして、その救いは挫折から始まりました。ペトロもパウロも挫折の中で主イエスに出会い、その愛に触れて立ち上がりました。讃美歌・アメイジング・グレイスの歌詞にはこうあります。「驚くべき恵み。それは私のような悲惨な者を救ってくれた。かつては迷いの中にあったが、今は見出された。多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、帰るべき家にたどり着いた。恵みが私をここに連れてきた。これからも私を導いてくれるだろう」と。挫折からいかにして主に救われたのか。その救いを証言することが伝道です。
◎では、どのようにして伝道したらいいのでしょうか。第一は、先ほどお話したように福音を証言することによってです。家族・友人・知人・同僚など身近な人に証言すること、自ら証言することが難しければ教会の礼拝に連れてくることです。第二は、奉仕することによってです。主の愛を受けた者がその愛をもって他者に奉仕する。特に身近な人に奉仕すること。言葉だけでなく、その行為と生き方によって伝道していけます。第三は、交わることによってです。神様・イエス様を通して、また、主の愛をもって交わる。相手への敬意と尊敬の念、愛をもって豊かな交わりを築くことで主を伝えていくことができます。伝道とは一方的にするものではなく、自分にも相手にも注がれている愛と恵みを共有することによってなされていきます。Ⅰコリント9:23にあるように「福音に共にあずかる」ことによって、また、それを目標にすることによって伝道はなされていき、福音の恵みはより多くの人へと広がっていくのではないでしょうか。
◎次に奉仕について考えてみましょう。奉仕もまた教会とクリスチャンにとって大事な課題です。では、奉仕する・仕えるとはどういうことでしょうか。2010年に「隣人に仕える」をテーマとした教会修養会で本田哲郎神父は、隣人を愛することは難しい、愛するより大切にすると言った方がいいと言われました。
そして「隣人に仕える」とは、押し付けないこと、隣人の願っていることを知り、それが実現するように努めること、隣人を大切にすることだと教えてくださいました。ボンヘッファーは「奉仕は自分が低くされた所に生まれる」と書いていますが、相手の下に立ち、相手の良き所を尊敬し、相手を尊重することが大事です。主イエスが私達の下に立って仕えてくださったように、低くなって仕えていきたいと思います。
◎最後に交わるとはどういうことでしょうか。キリスト者の交わりは、キリストにおける、キリストを通しての交わりです。人間の思いや理想によってではなく、神の築かれた土台における交わりです。また、
人間の感情や思惑によってはなく聖霊の働きによって築かれる交わりです。人間の直接的な交わりというより、神様・イエス様を介在した交わりがキリスト者の交わりです。そのために神との交わりを常に大切にし、祈りによって神とつながっていることが必要です。神との交わりの上に人との交わりが築かれます。
◎以上、伝道・奉仕・交わりについて考えてきましたが、その3つに共通することがあります。それは、Ⅰコリント13章にあるように、愛がなければ無意味だということです。愛のない私達には愛が必要です。そのためには私達は主の愛を受け続けなければなりません。今年度の目標聖句にあるように、私達はブドウの枝です。主イエスと言う大きな木につながって主の愛と恵みをたっぷり受け、その愛によって伝道し、奉仕し、交わることが必要です。主の豊かな愛を受け、この3つの業に一緒に取り組んで参りましょう。