2014年10月5日 主日礼拝・説教要約
説教『目を覚まして時に備えよ』(ルカ12:35~40)
◎10月最初の主の日を迎えました。今日は、世界の人達に福音が宣べ伝えられること、特に、世界各地で福音宣教のために働いておられる宣教師を覚えて祈り世界宣教の日です。また、世界の教会に集う信徒が一つの聖餐にあずかり、イエス様を主とする兄弟姉妹であることを覚える世界聖餐日です。そのような日に、横井千鶴子姉を鶴川北教会の会員・兄弟姉妹として迎えることができたことを心より感謝します。
◎先週は御嶽山の噴火によって大勢の方が犠牲となられました。自然災害は予期しない時に起こります。
災害を最小限にするためには「時に備える」ことが必要ですが、この「時に備える」ことは信仰においても大変、大切なことです。今日は、ルカ12:35~40を取り上げ「目を覚まして時に備えよ」と題してお話をしたいと思います。前回・前々回は「思い悩むな」「ただ神の国を求めて生きよ」というメッセージを聴きましたが、今日の御言葉は、それに続いて「腰の帯を締め、ともし火を灯していなさい」と教えています。12:35~38には、婚宴に出掛けた主人がいつ帰ってきてもいいように、僕たちは腰に帯を締め、ともし火を灯して主人を待てとあります。1週間近く続く婚宴からいつ主人が帰ってきてもいいように、時に備えて待てと言うのです。これは何を意味しているのか。それは、12:40に「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る」とあるように、イエス様が再びこの地上に来られる日が来る、それに備えよと言っているのです。主イエスは、この地上に救いを完成するために再び来られます。その再臨の時、終わりの時は思いがけない時が来る。だから、その日に備えて生きよと教えているのです。
◎この再臨信仰は、使徒信条にも「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」とあるようにキリスト教の信仰の大きな柱の一つです。しかし、この再臨信仰は真剣に受け止められているでしょうか。特に現代人には忘れ去られた信仰と言えるかもしれません。初代教会でも、イエス様がなかなか来ないことが問題とされました。しかし、イエス様が再び来るということは、イエス様ご自身が明言しておられました。マタイ24章では、苦難の後、「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」と語られています。この再臨信仰を強く持って世界に宣教したのが伝道者パウロです。パウロは手紙の中で「あなたがたは眠りから覚めるべき時が来ています。今や私達が信仰に入ったころよりも救いは近づいています。夜は更け、日は近づいた」と再臨の時は近いと書いています。この再臨信仰によって彼は困難な世界伝道への旅に出て行き、再臨信仰によって互いに愛し合って生きよと強調したのです。この再臨信仰は聖書の信仰に適っています。なぜなら、聖書の冒頭の天地創造の記事は、この世界は神様の意思によって始まったことを書いているからです。初めがあれば終わりが来ます。実際、聖書の最後、ヨハネ黙示録22章には「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、最初にして最後の者、初めであり、終わりである」という主イエスの言葉が記されています。終わりの日は来るのです。
◎しかし、終わりの日はなかなか来ません。それはなぜでしょうか。そのことについてペテロの手紙Ⅱの3:9にはこうあります。「ある人たちは遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです」と。20世紀を代表する神学者カール・バルトは、主イエスが来られた時から再び来られる時までの間を「中間時」と呼び、なぜ、中間時があるのかと問い、それは「イエス・キリストにおいて神との和解を与えられた被造物に場所と時間を与えて、和解の御業の収穫に参与させるためである」と書いています。神様は、お一人で救いの業・和解の業を推し進めようとしておられるのではなく、私達人間と一緒に神の和解の業を進めようとしておられ、福音を宣べ伝え、また、育て、収穫の喜びを共にしようとしておられるというのです。その意味で、中間時は「宣教の時」「信仰と悔い改めの時」「聖霊が働く時」であり、「教会の時」と言えます。なぜ、イエス様は来ないのか。それは、私達クリスチャンが、教会が、この世のすべての人々に福音を宣べ伝えるため、福音を伝えて、神様の愛と憐れみ、恵みと祝福をたっぷり受け、神様の子どもとして神様と共に、人々と共に感謝と喜びをもって生きて行くためです。
◎今日の御言葉は、イエス様は思いがけない時に来られるから、腰に帯を締め、ともし火を灯して待っていなさい、すると、主人が帰ってきて僕たちを食事の席に着かせ、給仕をしてくださると教えています。
私達には主イエスと再会し、主と喜びの食卓を共にする時が来るのです。ブルムハルト父子と共に「待ちつつ、急ぎつつ」、この世の務めを十分に果たしつつ、主の再臨を待ち望みながら生きて参りましょう。