2015年 8月30日 主日礼拝(小林則義牧師)・説教要約
説教『よきサマリア人』(ルカ10:25~37)
◎ 私は神学生の時、川崎戸手教会という教会で教会実習をいたしました。この教会は多摩川の河川敷に立 てられた教会でした。実にみすぼらしい教会でした。しかし、そこは確かに教会でした。「エクレシア」としての教会、信じる人の集まりである教会、キリストの体としての教会でした。何故、河川敷に教会が立てられたのかというと、その河川敷に在日韓国朝鮮の人たちが住んでいたからです。かつては羽田沖に住んでいた人たちは、そこを追われ、その多摩川の川崎戸手地区の河川敷に住み着いたのです。戦後何年たっても、在日韓国朝鮮の人たちはいろいろな面で差別をされてきました。そこに住まざるを得なかったのです。河川敷ですから、台風が来るとたちまち家は床下浸水、床上浸水です。時には流されてしまいます。日本人は、まだ在日韓国・朝鮮の人たちだけでなく、中国・アジアの人たちに根強い差別観があると思います。そこに教会を立てたのは関田寛雄という牧師です。牧師として在日韓国朝鮮の人たちの差別と共に戦ったのです。
◎ 今日は「よいサマリア人」のたとえ話をご一緒に学びたいと願っています。このたとえ話の背景にも厳しい差別の問題がありました。そのひとつは、もちろん主イエスに対する差別です。そして、もう一つの差別は、サマリア人に対する差別です。同じように旧約聖書の神を信じようとするサマリア人に対して、お前たちは純粋ではない!混血だ!不純だ!ユダヤ人はサマリア人に対しては徹底的に差別を加えていました。
◎「よいサマリア人」のたとえ話は、エルサレムからエリコに下る道での出来事です。エルサレムからエリ コまでは約27㌔です。1日の旅であると言われています。その道は下り道です。そして、大体、そこを歩くのはユダヤ人です。この傷ついて、倒れている、人間は同胞であるユダヤ人であるのが暗黙の了解です。
最初にやって来たのは祭司でした。この人は傷ついている同胞を見て、反対側を通り過ぎて行きました。これは私の隣人ではないと決めたからです。次にやって来たのはレビ人でした。レビ人も神殿に仕える律法の専門家です。彼も傷ついている同胞を見て、これを無視し、反対側を通り過ぎて行きました。彼もこれは私の隣人ではないと決めたのです。次に来たのがサマリア人です。このサマリア人がたとえ話の中で、傷ついている見ず知らずのユダヤ人を助けるのです。サマリア人はユダヤ人から差別されていました。差別されているサマリア人が差別しているユダヤ人を助けたのです。主イエスのたとえ話は、具体的で強烈です。
◎ 主イエスはたとえ話の最後の36節でこう言われました。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」みなさん、隣人とは誰でしょうか?多くの人は隣の家の人や友人知人を隣人だと思っているかもしれません。自分を愛するように自分の隣人を愛する。その隣人とは誰でしょうか?隣人とは、この人は私の隣人だ。あの私の人は隣人ではない。と自分で決めるものでしょうか?そうではありません!自分で選択するものではなく、自分がなさなければならないことをなす人が隣人なのです。たとえ行きずりの人でも、たとえ差別されていても、自分がなさなければならないことをなす人が隣人なのです。だから隣人は愛によって生まれるのです。隣人は親切によって生まれるのです。
◎ 三重大学に小さな聖書研究会がありました。その聖書研究会のメンバーがキリスト教の講演会を持つことになりました。そして講演会のビラを配りはじめました。それを受け取った一人のキリスト教が大嫌いな学生が、講演会を妨害するために出て来ました。講師の話が終わると立ち上がり、ありとあらゆるくだらない質問を並べて、講演会のよい雰囲気をぶち壊しました。それから毎週、この学生は聖書研究会の集まりに来ては、妨害を続けました。ある昼休み、この学生は、学生会館の屋上で聖書研究が祈祷会をしているという案内を見つけます。ひとりの男子学生が涙を流しながら祈っていました。「喜んであんな馬鹿なことをしているはずがないと思います。心は寂しいに違いないと思います。神様、どうかあなたの愛が分かるようにしてください。」次に女子学生も泣きながら祈ったそうです。「神様、あさっても聖書研究会があります。どうかあの学生が今度もやって来ますようにお願いします。」じっとその祈りを聞いていた、その学生は心を激しく動かされました。突然、彼は声を上げて泣き出しました。彼は後でこう言っています。「彼らは、何か月にもわたって、集会を妨害してきた自分のために、泣きながら『また来るように。あさってもまた来るように。来てくれるように』、そう祈っている祈りを聞いて、自分は神の愛が分かった!それは、自分の人生で初めて出会った、種類の違う愛だった!これが神の愛か、キリストの愛かと自分は感動をした」と。その学生はその場でイエス・キリストを信じてクリスチャンになったそうです。これは三重大学の聖書研究会のメンバーにとっては信じられない出来事でした。しかし、これは現実に起こった出来事でした。みなさん、あなたの隣人は誰でしょうか?あなたの隣人は誰ですか?しばらく黙祷をしましょう。