説教『預言者としての教会の務め』(エゼキエル33:10~16)

 

◎今日・明日と今年度の教会修養会が開催されます。今年度の主題は「鶴川北教会の目指す教会」です。このテーマについて、既に2回にわたって話してきました。1回目は「神の御言葉に立つ教会」と題して、私達の教会が立っているプロテスタントの信仰、「聖書のみ」「信仰のみ」について、さらに「恵みのみ」「キリストのみ」の信仰に立っていることを確認し、これからもこの土台に立ち続けるべきことを話しました。2回目は「世と人に仕える教会」と題して、教会は、頭とするイエス・キリストがそうであったように「世のために」生き、また、「世と人に仕えて生きる」べきことを話しました。キリストの体である教会は世と人に仕えることを再確認しました。今日は、3回目として「預言者としての教会の務め」と題して、教会の3つ目の柱についてお話します。

◎教会は預言者としての役割を持っています。預言は旧約聖書の中でも重要な位置を占めています。預言者の多くは紀元前9世紀から6世紀の分裂王国時代、神に背き、偶像崇拝に走った時代に登場しています。最初の預言者と言われるエリヤは、BC9世紀、北イスラエル王国のアハブ王の時代に登場し、バアル崇拝・偶像崇拝と闘いました。イザヤ・エレミヤ・エゼキエルなどの預言者は、BC8世紀から6世紀、南ユダ王国が衰退し、滅亡に向かう時代、神に背き、神の教えを忘れ、偶像崇拝を繰り返していた時代に王や民に神の言葉を語り、神に立ち帰るように警告を与えました。国や王、民が誤った方向に向かう時には警告・裁き・審判の預言・言葉を語り、国が敗れ、捕囚の民となり希望を失った時には希望・救い・救済の言葉・預言を語りました。特にエゼキエル書33章において預言者は「見張り」として民の命の危機に際し命を守るべく警告を与えることが語られています。

◎教会と信仰者は、この預言と「見張り」の務めを与えられています。鶴川北教会では、これまでも「教会と社会・政治との関わり」について話し合って来ました。教会の中には、教会では政治の問題を語るべきではない、関わるべきではないという考えがありますし、教会では政治・社会の問題は二次的・副次的問題だと意見があります。それが正しいかどうかは聖書を見るほかありません。旧約聖書においてはどうか。それは預言者の務め・働きを見ると分かります。例えばエレミヤ・エゼキエルといった預言者は、南ユダ王国の王に向かってバビロニアの攻撃に対して降伏するように告げます。エジプトに頼ろうとする王に対して、神にのみ依り頼み、これまでの罪を悔い改めて降伏するように告げます。預言は政治・外交の問題に及んでいます。なぜなら、聖書の神は、天地創造の神であり、この世界と歴史を支配する神であり、神の支配はこの世界の全領域に及んでいるからです。

◎新約聖書はどうか。イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と教えました。皇帝のものと神のものを分け、混同してはならないと教え、また、皇帝のものを神のものにしたり、神のものを皇帝のものにしにしてはならないことを教えています。バルメン宣言の第1項は私たちが服従すべき唯一の神の言葉であるイエス・キリスト以外のものに従うことを拒否しています。当時のヒトラー崇拝への拒否を表しているのです。また、パウロはローマ13章において「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだ。権威者はあなたに善を行なわせるために神に仕える者」と書いています。ここにはこの世の権力が相対的なものであり、神に仕える者であり、役割と限界があることが示されています。従って、この世の権力が間違ったことをしたら批判し正さなければなりませんし、間違ったことを強いるならそれを拒否し、抵抗すべきです。

◎フィリピ書2:10には「天上のもの、地上のもの、地下のもの、すべてがキリストの支配の下にある」とあります。キリストの支配と主権はこの地上のすべての領域に及んでいます。政治と宗教、信仰と社会の間に境界線はありません。政治・社会においてもキリストの支配にふさわしくなければ批判し正さなければなりません。キリストの支配とは、愛と自由の支配、平和と和解の支配、恵みと祝福の支配です。この世がキリストの支配にふさわしく、愛・自由・平和・和解・恵み・祝福が支配していなければならない。そのために教会とキリスト者は、常に政治・経済・社会のすべての領域を見張り、正し、キリストの愛と平和を実現して行かなければなりません。

◎十年誌の巻頭言に、鶴川北教会が目指す4項目の第3項「教団の戦責告白の方向性を大切にし、アジアの課題を担い、国家や社会に対しても否を否と言いうる自由にして抵抗的な教会でありたい」が掲げられています。1941年に設立され戦争に協力した教団の罪責を担い、再び戦争が起きないように「見張り」の務めとこの世の課題を担い、平和を守り、実現することは鶴川北教会が目指してきたものです。特に「見張りの務め」として、平和・人間の尊重・自然の保全の務めを担っていかなければなりません。第4項には「約束と成就という旧新約聖書の信仰に立ち、地上的な政治体制やイデオロギーを絶対視せず開かれた態度で対話し、この世の課題を担う教会でありたい」とあります。これからも聖書の信仰に立ちつつこの世の課題を担う教会として歩んで参りましょう。