説教『誘惑に打ち克たれた主イエス』(マルコ1:12~13)

2017年2月12日           主日礼拝・説教要約
説教『誘惑に打ち克たれた主イエス』(マルコ1:12~13)

◎先週は、雪がちらつく日もあり、寒い一週間でした。今週から2月の後半に入りますが、寒さに十分気をつけてお過ごしください。昨日は2月11日ということで、西東京区主催の信教の自由を守る日集会に出席しましたが、人権を守ることはキリスト者の使命であり責任であると語られました。私自身、その責任を再認識した次第です。

◎今日も聖書の御言葉から新たな命を受けて参りましょう。取り上げる聖書の箇所は、マルコ1:12~13です。前回は、洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を宣べ伝えたこと、そして、主イエスがそのヨハネから悔い改めの洗礼を受けられ、神の祝福を受けられたことを見てきました。今日の箇所はそれに続くもので、洗礼を受けられたイエス様が霊によって荒野に導かれ、サタンから誘惑・試練を受けられた場面です。今日は、マルコ・マタイの二つの福音書を取り上げ、誘惑とはいかなるものだったか、いかにして主が誘惑に打ち克たれたのかを見ていきます。

◎主イエスは洗礼を受けられた後、すぐに霊に導かれて荒野に行かれます。「霊によって」とは「神の導きによってということです。主は神に導かれて荒野に連れて行かれます。荒野とは生きるに厳しい所、生きるか死ぬかの過酷な場所です。ではなぜ、そのような命を脅かす過酷な所に主は連れて行かれたのでしょうか。それはサタンの誘惑・試練を受けるためです。しかし、なぜ、主はサタンの試練を受ける必要があったのでしょうか。それは救い主としての自分の使命を知る必要があり、また、その使命を果たすために何が重要なのかを知る必要があったからです。そして、それは同時に私達のためでもありました。なぜなら、救い主としての使命は、私達を救うことにあったからです。それは私達にとって真の救いとは何かを知る機会を与えました。また主の戦いはサタンの誘惑・試練を受け続ける私達に対して、それとどう対処し、どう乗り越えていったらいいかを教えることになり、さらにサタンの誘惑・試練に勝利された主イエスこそが私達に対する助けであることが明らかになりました。

◎それでは、どのような誘惑を主は受けられ、退けられたのか。そのことを詳しく書いているマタイ福音書4章の記事を通してそれを見ていきましょう。第一の誘惑は、40日間、断食されていた時、サタンが来て「神の子なら、これらの石をパンに変えて見ろ」というものでした。40日間の断食という極限状態の主にそのような誘惑が襲います。この誘惑は、神から与えられた力を神や人類のためではなく、自分のために用いて見よという誘惑であり、また、多くの飢えた民衆にパンを与えるのが救い主の使命ではないかという誘惑であったと言えます。

◎それに対し、主は答えます。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる、と書いてある」と聖書・申命記6章の言葉をもってその誘惑を退けます。「日毎の糧を今日も与えたまえ」という主の祈りにもあるようにパンは必要です。しかし、パンと並んで、パン以上に必要なものが人間にはある。それは神の言葉であるというのです。人間の肉体を養うのは食糧ですが、人間の心・魂を養うのは神の言葉、神の愛・恵み・命です。そして、人間が生きるのはただパンのためだけでなく、神のため・他者のためでもある。この時、主は自分がもたらす救いはパンではなく、神と人類のための真の救い・魂の救い、神と和解し、神と共に生きて行くために必要な救い、すなわち、罪の赦しであることをはっきりと認識されたのではないでしょうか。

◎第二の誘惑は、聖なる都エルサレムの神殿の屋根の端に主を立たせ、「神の子なら呼び降りて見よ。そうすれば天使たちが助けてくれる」というものでした。これはどういう誘惑か。第一に人々の前で目に見える奇跡を行い、人々の驚きと賞賛と栄光を求めようとする誘惑と言えます。しかも、「天使が助けてくれるだろう」とあるように、神の助けを期待して飛び降りて見ろということですから、第二に神を試みる誘惑と言えます。私達の心の中には神がいればうまくいくはずだし、神がいなければうまくいかないはずだ、どちらか試してみようとする思いがあります。苦しいことが続くと神はいないと考える人もいます。加藤常昭牧師は「瀬踏みの信仰」と書いておられますが、浅瀬かどうか瀬踏みをしながら川を渡るように神様を試しながら生きていないか反省させられます。

◎そのような誘惑に対して主は「主を試してはならない」と答え、誘惑を退けます。私達は愛する者の愛を確かめようとして愛を試すことがありますが、それはしてはならないことです。愛することは信じることだからです。神様は私達を愛しておられます。その神の愛を信じるなら神を試すことはできません。主の愛は確かなのです。

◎第三の誘惑は、サタンがこの世の繁栄を見せて、もし私に平伏すならこの世のすべてを与えようという誘惑です。この世の栄華・繁栄は実に魅力的です。私達はそれに心を奪われ、それが手に入るならサタンに平伏しても良いと思うことがあります。そのような誘惑に対して主は「退け、サタン!あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と答え、サタンを退けます。主は断固として主に従う決意をもって誘惑を退けたのです。主はサタンと闘い、最後は十字架上で命を捧げ、サタンに勝利されました。主は、このサタンの誘惑に打ち克ちご自分の使命を明確にされたと同時に誘惑に打ち克つ勝利者であること示されました。この主が私達を助けてくださるのです。