説教「弱いからこそ助け合おう」(コリントⅠ12:14~22)

2017年6月11日  花の日・子どもの日全体礼拝・説教要約
   説教「弱いからこそ助け合おう」(コリントⅠ12:14~22)

◎6月の第2主日を迎えました。今日は「花の日・子どもの日」です。この日は、今から160年程前の1856年、アメリカのある教会で、子ども達を神様に捧げる礼拝を捧げた所から始まりました。そして、各家庭から持って来た美しい花々を地域の病んでおられる人や一人暮らしの高齢者、地域のために働く人たちに届け、心を慰め、また、感謝しました。美しい花々を咲かせてくださる神様に感謝すると共に、子ども達の信仰と人に仕える心を養う日として教会で守ってきました。私たちも先ほど、福音に家に行き、お花とカードをお渡ししてきました。

◎福音の家で「お元気にお過ごしください」「私たちは皆さんのことを忘れていません」「あなたは大切な人です」と呼びかけると、おじいさん・おばあさんは笑顔で応えてくれました。人間は老いていくと、次第に身体も心も弱くなります。でも、周囲の人達が慰め、励まし、声をかけてもらうと元気になり、生きる力が湧いてきます。考えてみると、人間は一人では生きていけません。みんなもお父さんやお母さんがいなくなったら、生きていけませんよね。誰かが助けてくれる、支えてくれる、慰めてくれる、励ましてくれるから生きていけるのですね。

 

◎今日みんなと考えたいのは、人間は強いのか、弱いのかということです。皆さんはどう思いますか。人間は強いか、弱いか、どっちでしょう。今の世界を支配しているのは人間ですから人間は強いとも言えますが、人間は熊やライオンには勝てませんから弱いとも言えます。私たちは、どういう時に弱さを感じるでしょうか。病気になった時、年老いてきた時、皆からいじめられて孤立した時、皆の前で緊張した時、誘惑に負けた時など弱さを感じます。しかし、人間は元々、弱く生まれてきます。牛や馬の赤ちゃんは1時間以内で立ち上がるのに人間の赤ちゃんは歩けるようになるまで1年近くかかります。暑さ・寒さに弱く、皆、病み、老い、死んでいきます。

◎そのように弱い人間はいかにして生き延びたのか、あるいは、強くなったのか。それには三つの理由が考えられます。一つは、よく考え、良く工夫して強くなりました。寒くなると火をたいたり、服や家を作ったりします。お腹がすいたら狩りに行き、種をまいて食物を得たりします。二つ目には、協力することで強くなりました。一人ではできないことが二人・三人いたらできます。大きな動物を狩り入れる時、米を作る時、家や建物を建てる時などそうです。三つ目は助け合うことで強くなりました。古くから人間は弱い人を助けて皆で生き延びてきました。人間には優しい心・思いやりの心・愛があるから互いに助け合い、皆で生き延びてきたのです。

◎聖書にも弱い人を助けなさいと教えています。コリントの手紙Ⅰの12章には「多くの部分があっても一つの体なのです」とあり、しかも「体の中でほかよりも弱く見える部分がかえって必要なのです」とあります。弱い人がいるから助け合い、思いやりの心が深くなります。家の中でも赤ちゃんがいると皆が優しくなります。また、使徒言行録20章35節では「あなたがたも働いて弱い人を助けるように」と教えています。働けない人がいたら自分が働いて弱い人を助けるようにと教えているのです。これはイエス様がそのように生きられたからです。弱い人を助けて生きる時、思いやりの心、愛の心が家庭や職場、地域、国、世界に広がり、平和が生まれのです。

◎最後に、弱い人達を一人一人助けて生きた人、マザー・テレサについてお話ししましょう。写真を持ってきましたが、この人です。マザー・テレサは、インドのカルカッタという大きな町の路上で死んでいく人達を助けた人で修道女・シスターといって神さまに生涯、伝えた人です。カルカッタという町には貧しい人達が大勢いました。お金がないために食べる物がなく、住む家もなく、路上で生活している人や、病気になって動けなくなった人たちもいました。誰にも声をかけてもらえず、そのまま死んでいく人達もたくさんいました。それで、マザー・テレサはそのような人に一人一人に声を掛け、助け起こし、「死を待つ人の家」に連れて行って、ゆっくり休ませ、食べる物を与え、飲み水を与え、病気の人を看病します。そのように一人一人を心から大切にしたのでした。

◎なぜ、マザー・テレサはそのようなことをしたのでしょうか。それは、神様がお創りになった人間を動物のように死なせることはできないという強い思いがあったからです。「あなたは神様が創られた大切な人、大切な神様の子どもです。あなたは神様にとっても、わたしにとっても大切な大切な存在です」、そう一人一人に呼びかけ、心から大切に介抱するのです。その時、その人はほほ笑みを浮かべ、ありがとう、といいます。その人は初めて人間として接してもらえたことを喜び、感謝するのです。そして、同時にマザー・テレサは、その人の中に苦しむイエス様を見るとも言っています。この人の苦しみはイエス様の苦しみ、この人のためにイエス様が苦しんでいる、イエスさまもこの人を愛しておられる。私も愛さなければ、そう受け止めて目の前の人を愛するのです。

◎私達の周りにも苦しんでいる人、悲しんでいる人、弱っている人がいるはずです。家族の中に、職場の中に、学校の中に、クラスの中に、近所や地域にも、また、国中に、世界中に助けを求めている人はたくさんいます。私達はそのような人達のことを心に覚え、声をかけ、助け起こし、共に助け合って生きて行きたいと思うのです。