「キリストを住まわせ」(敬老感謝礼拝) エフェソの信徒への手紙2章14~21節

俳人、小林一茶の句に、次の一句がある。「是がまあ つひの栖か 雪五尺」、漂泊の俳人とも呼ばれ、複雑な家庭の事情により、15歳から親元を離れ、流浪の旅を続けた人。この句は作者が50歳の時、当時の大都会、文化の中心、華やかな江戸の町から、一転、信州、現在の長野県柏原、雪五尺とは1メートル50センチ、まさに雪深い故郷に戻ってきた時に感慨と共に詠まれたものであるという。現在ならば「50歳」はまだ人生半ばだろうが、この時代は「ついの栖」に腰を落ち着ける年齢である。しかしこの時、彼が故郷に帰ったのも、「悠々自適」には程遠く、厄介な親の遺産相続問題を解決するためだったと伝えられる。皆さんは、この句から作者のどんな心情を汲み取るだろうか。人生の悲哀、達観、空虚感、あきらめ、あるいは泣き笑いか。

一茶の句は、平易で日常生活を詠うものが多いから、自由自在にこだわりなく奔放に作句したろうと感じられるが、やはりそこはプロ、推敲前のもとの句が存在する。「是がまあ 死所(しにどころ)かよ 雪五尺」。「死所」、さしもの一茶でも、この言葉はいささか直截的過ぎるきらいあると判断したのだろう、幾分柔らかく「つひの栖」に直したが、しかし本心はやはり「死所」という思いが強かったのだろう。自身の願いや思慕ではなく仕方なしに、ここに戻った、という風に。

ヨハネ福音書の終わりに、非常に印象的なやり取りが記されている。復活の主イエスとペトロとの対話である。主は彼に言われる「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて(きちんとした身なりで、あるいはおしゃれをして)、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」。「行きたくないところ」とは端的に「死に場所」のことである。一茶もそうであったように、私たちもひとり残らず、いつかそのような「死所」に身を置くことになるのである。そこは必ずしも自分の望む所であるとは、限らない。

今日はこの教会の敬老の日、教会の高齢者の方々を覚えて、感謝の礼拝を守る。今日はエフェソの信徒への手紙3章からお話をする。13節が区切りとなって、14節に連なっている。今日の聖書個所は、最初は「父(なる神)に祈ります」から始まり、末尾が「アーメン」という章句で閉じられているから、このパラグラフが「祈り」であることが分かる。本書簡は、けっこう文章の構成が凝っていて、全体が変化ある「楽曲」のように設えられている。1章の後半部分にやはり「祈り」が記され、それがぷつんと中断され、再び中ほど、今日の個所で「祈り」が繰り返され、そして最後に「祝福の祈り」が記されるという次第、まさに礼拝次第、そのものの流れであることが分かるだろう。一つの手紙の中に、み言葉と説教、賛美と祈り、という「礼拝」の要素をちりばめて、リズムを持った楽曲作品のように設えているのである。これを朗読していけば、そのまま礼拝を守っている風情となる。この手紙は、新約文書中、最も後期に書かれた書物の一つであろうと想像されている。やはり時代の推移とともに、次第に形式が整えられ、いろいろ工夫がなされてくると言うことだろうか。

ここで何が語られているか、この祈りの言葉は、実に「敬老」の日にふさわしい内容を持っていると言わざるを得ない。一番の鍵語は、19節「神の満ちあふれる豊かさ」という言葉である、日本語訳では幾分長い言い回しだが、元々は一語だけの単語で表されている。「プレーローマ・充満」、この用語は、当時の人々が(教会の内外で)、好んで口にした世の中の流行語、しゃれた言葉のひとつである。見てくれは大きいのに、蓋を開けて見たら詰め物ばかりで、肝心の中身がほとんどなかった、昔のお土産のようだが、それを手にしてどう思うか。がっかりするだろう。ましてや「真理」であるなら、スカスカではだめなのだ。ぎっしりと中身が詰まっていなければ、損した気分になる。だから前節の「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり」という具合に、広大無比の宇宙をも包む程の、限りない「広さ、長さ、高さ、深さ」を、びっしりと埋め尽くすほどの充満、ぎゅうぎゅう詰め、それこそ神の真理の姿なのだと、この著者は大上段に振りかざすのである。但し、神の充満を知るのに、宇宙全体を隈なく眺める必要はない。それは、実にキリストの愛の内に表されているというのである。キリストの示された愛は、スカスカではなくぎゅうぎゅうに充満した神の真理のあらわれである。この言葉によって逆に私たちは問いかけられるのである。あなたはスカスカではないのか、このキリストの愛で、しっかり己を満たしているか。その愛に生きているか。

先に、この個所は祈りであると語った。祈りは神へと心を向けることで、人に向かったり、ましてや人を裁く言葉ではない。即ち、外見ばかり立派で、その実、お前はスカスカで、まったく中身が詰まっていない、五月の鯉の吹き流しだと批判しているのではなく、いつも主の愛に満たされて歩めるように、との願いである。確かに、年を経るごとに、私たちはあらゆるもの、身体も、能力も、活力も気力も、みなすり減って行くから、スカスカになって行くという辛い現実があるだろう。赤ん坊ならば、この前まではできなかったのに、今はできるようになった、これは希望である。しかし、この前まではできたのに、今はできない。これは気持ちを暗澹とさせる。

初代教会の人々も同じであった。主イエスが共に居られた時には、乏しく何もなかったが満ちあふれる喜びがあった。主イエスを直に知っていた「使徒」と呼ばれる指導者たちが居た時代は、彼らから生き生きした主のみ言葉を聞くことができた。しかし今はみな天上に召され、頼るべき信仰の先輩たちも徐々に取り去られて行ったのである。さらに周囲には教会、そしてキリスト者に加えられる「迫害」や「無理解」がある。どうしても人々の心が委縮して、気落ちして、元気をなくてしまう状況が生じて来ているのである。信仰もまたスカスカの魂の抜け殻になってしまう。それを目の前にして、この祈りが祈られるのである。

今、私たちに最も必要なものは何か。この祈りの文言の中心に、この言葉が置かれている。17節「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」。直訳「キリストが、その信実(まこと)によって、あなたがたの心の中に住んでくださるように」。「信仰」、“ピスティス”、ここで新共同訳のように「信仰」と訳すと、人間のわざが前面に出てしまう。強い、確かな信仰によって、この心に主イエスを宿らせるのだ。そしてこの激しい迫害に、雄々しく立ち向かうのだ、というニュアンスとなる。他方「信実」と訳すなら、迫害によって、周囲の無理解によって、今にも私の心は壊れそうで、スカスカになってしまいそうである。心が壊れず、空っぽにならず、みことばの飢饉によって飢餓に陥らないために、ここに主イエスがお出でくださって、住んでくださるように、というニュアンスとなる。自分にはその力はないが、主イエスの方から来てくださるならどうにかなる。

先週、天国にお送りしたK姉の晩年の在りし日の姿を、お連れ合いがこのように語っておられる。「このほかスイミング教室のマタニティクラスの指導を長く続けた。泳ぐことの好きな妻は友人たちとプール通いを続け得意になっていた。正規に習ったので一応四種目をこなしていた。おりから助産婦の資格者を捜していたプール側から、マタニティの仕事を頼まれて引き受けた。そして専用レーンを与えられ、楽しく教えていた。ある時町田の市民プールで四種目の二百メートルメドレーを私の目の前でやってのけた。わたしはこれが羊年でおとなしい妻かと目を疑うほどの変身ぶりだった」。子育てがひと段落された後、姉は若い時に学んだことを生かして、さらに自分の人生の道を、充実して歩み始められた、という。人が余生という年代に、充実の生命の光を輝かせたのである。やはりその時その時に注がれる、神の生命の息吹を与えられてのことだろう。神は内なるキリストによって、その祈りを聞き、働かれるのである。

結局、主イエスが言われるように、「年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」というのが、私たちの世の終わりの姿であるだろう。しかし問題は、私がどこに住むかではなく、何と共に、誰と住むか、何と共に生きるか、が重要なのだろう。何と共にあるかによって、今の私の生き方が形作られて行くのである。そこにお出でくださる主イエスがおられる。壊れてしまったような心を訪れ、スカスカに乾いたその場所に自分の方からやって来て、そこに住もうと言ってくださる、主イエスがおられるのである。この方なら、私たちの声なき声を、嘆きやうめきでさえも、「祈り」として聞いて神のみもとに届けてくださるだろう。それこそ主のピスティス、「信実」である。充満するのはわたしの力ではなく、私たちの主の「信実」である。