「一緒にいた時に」使徒言行録9章36~43節

長田弘氏の詩集に『死者の贈り物』という書物がある。「わたしたちにとって大切なもの」という作品の一行を引用したい。「なくてはならないもの。何でもないもの。なにげないもの。ささやかなもの。なくしたくないもの。ひと知れぬもの。いまはないもの。さりげないもの。ありふれたもの。もっとも平凡なもの。平凡であることを恐れてはいけない。わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。明日の朝、ラッパは鳴らない。深呼吸をしろ。一日がまた、静かにはじまる」。

さて、皆さんにとって「なんでもない、さりげない、ありふれたもの」、しかし「なくてならぬもの」とは何だろうか。それをはっきりと口に出して言えるだろうか。

今日、読まれた聖書個所の少し前、31節に初代教会の様子が、著者によって伝えられている。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サアリアの全地方で平和を保ち、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて行った」。教会の発展、成長が語られている。ここで伝えられているのは、極めて客観的な情報といってもよい。もっと具体的に、最初の教会のあり様、そこにいる人間の息遣い、どのような生活の営みが展開されているのか、大いに興味引かれるところである。

使徒言行録の著者ルカは、優れた歴史家であり、物書きである。読者の思うそこのところは十分に承知している。だから「教会の基礎」さらに「発展、成長」とは何か、具体的に後で補足記述しているのである。それが今日の聖書個所である。ここを読むと、最初の教会の実態が目に見えるように了解されるし、さらに今の私たちも経験する諸々の事柄と、本質的には何も変わっていないことに、安心させられるのである。しかも、まだたどたどしい幼児のような歩みの中にある教会が、周囲からの無理解や誹謗中傷、迫害にもかかわらず、こんなに健やかで生き生きした日常を構築していることに、驚きをも感じさせられるのである。

「ヤッファ」、地中海に面した古い町で、今のテルアヴィブ、にある教会に、「タビタ」と呼ばれる婦人の弟子、つまり伝道者がいたという。一番弟子「ペトロ(岩)」もそうだが、この女性は皆から「ドルカス(かもしか)」というニックネームで呼ばれていたという。「ニックネーム」は信頼と親しみの象徴である。これはアフリカに生息する「ガゼール」のことで、細身で敏捷に行動する美しい野生のシカである。おそらくこの女性の個性や立ち居振る舞いが、「ガゼール」を連想させたのだろう。つまり、よく身体が動き、思いついたらすぐに行動し、明るく皆とふれあう、そんな人物だったのだろう。「たくさんの善い行いや施し(奉仕、ボランティア)をしていた」と記されている。教会の活動が、どのような人々によって支えられていたのか、ルカははっきり語るのである。そして、これは今日でもあまり変わる所ではない。

ところがこの愛すべき人が、不幸にも、病気のために亡くなったというのである。死は人と時とを選ばない。「病気」は、時に生命までも奪い去る。現代医学の恩恵にあずかっている私たちでさえも、「病気」に対してやはり非力であり、時に無力であると、昨今のこの国あるいは、世界の状況から痛切に感じさせられている。ウイルスという肉眼では見えない新しい敵にまつわって、いろいろな憶測や疑心暗鬼が語られている。冷静に考えてみれば、平常時なら笑止千万の内容も多いが、それに踊らされる私たちがいる。異常事態の中では、物事や人間の真偽が、明瞭にあぶり出されるのである。

不幸にも愛すべき「ドルカス」は取り去られた。「死の様を見たら」その人の「人生の実際が分かる」という言葉があるが、人はその最期において、自分の生きて来た軌跡を、あらわにするのである。教会の人々は、遺体を清めて階上の部屋に安置したという。貧しい人(当時の大多数の人々)で、家族、家庭的に恵まれていないならば、遺体はそこいら辺に打ち捨てられることも珍しくなかった時代である。さらに近在のリダに滞在していたペトロに、ヤッファの教会への訪問が懇請された。これもこの女伝道者の人柄への、深い追慕の情の表れだろう。

亡くなったドルカスに対して、最も身近にふれあっていたやもめたちが、ペトロに泣き嘆きながら、哀しみを訴えたというのである。初代教会は、主イエスの活動をお手本に、主イエスのみわざを、足りないながらもなんとか真似をしようとした。学びの基本は、先生の起居動作をまねることである。先生以上にはなれないだろうが、ずっと続けていたら、いつか無様な猿真似が、何とか見られるくらいの芸域には達するだろう。教会もその通りであった。主の愛のみわざを、自分たちのできるところで、何とか形に表そうとしたのである。それが「やもめ」のお世話であり、ゴミ捨て場に捨てられた「嬰児」を育てることであった。

教会のやもめたちがペトロに、ドルカスの思い出のよすがとして、手作りの上着、下着を持ってきて、示したという。39節「ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せ」とあるが、こう訳すと、ドルカスは手芸に巧みであって、その才能を生かして、たくさんの手芸品を作り、やもめたちに提供していた、という雰囲気になる。ところが原文を忠実に訳すなら「ドルカスが生きていた時に、一緒に作った上着や下着を示して」。つまりドルカスは作り、やもめたちはもらった、という一方的な関係を表す文章ではない。確かにドルカスは手先が器用で、手芸好きだったのであろう。しかし、彼女はそれを自分だけでしたのではない。教会に身をよせていたやもめたちと、一緒に手芸をして楽しんでいたのである。やもめたちはただ教会の中に、何もすることがなく手持ち無沙汰に暮らしていたのではない。自分にできることで楽しんで時を過ごしていたのである。ドルカスの素晴らしい所は、今、目の前の状況にあって、教会に身を寄せるお年寄りと、何が共にできるのか、を考え、見出したことである。そしてそれをコーディネートした。それが彼女のできる働きであった。「なんでもない、さりげない、ありふれたもの」、しかし「なくてならぬもの」が、教会のやもめたちと共に行う、手芸だったのだ。

被災した方々への救援活動には、いろいろな方法があるだろう。NPO法人 LIFE KNIT 代表として福島・南相馬をはじめとする被災地にて、編み物による被災地支援活動を展開している横山起也氏。「東日本大震災後、私は福島で『編み物』の力を思い知った」とこう語っている。「無駄」に思えるもののチカラ。私は「編み物による東日本大震災被災地支援活動」のため、福島県南相馬市を訪れた。「地震からしばらく時間が経っちゃったから、手伝ってくれる人がいなくなっちゃったのよ」、ある日、母が電話してきて私に同行を依頼し、それを引き受けたのである。

その支援活動では、仮設住宅を朝から晩までまわり、多くの人と一緒に編み物をした。最終日に帰ろうとすると、現地のリーダー役の女性が私の母をつかまえて話しはじめた。「…わたしはねえ、震災直後に編み物の先生が来てね、『ほら、編み物やるぞ!』と、みんなの首根っこひっつかむみたいにして集めて、編み物はじめた時、『なんでこんな時に編み物なんか……』って思ったのよ、実は」、「だってねえ。わたしら目の前で家族や友達が死んでいった、そんな後だったから、『編み物どころじゃない』って気分だったの」。しかし、リーダー格の女性の話はそれで終わりではなかった。その続きを聞いて、私はあんぐりと口を開けることになる。「でもねえ、編み物するようになって、本当に助かった。編み物してると、その間だけでも嫌なことを忘れるものねえ。大変なことたくさんあるし、除染するったって、いつまでかかるかわからないし」、「それに、友達もご近所さんもいなくなったり離れ離れになっちゃったりしたから、本当に寂しかった。でも編み物してると、あまり知らない人ともそれを話題にできるし、一緒に編むだけで仲間ができた」、「編み物がなかったら、気持ちがどうなってたかわからない。やっていけなくなっていたかもしれない」

「あなたの身のまわりにある『力をもつ物事』を見つけ出せればよいのだ」と横山氏は語る。今日の聖書の個所に、ペトロによってドルカスは生き返った、と語られるが、生きる力を取り戻したのは、実は、大切な人を失って、哀しみと嘆きの中にあるやもめたちではなかったか。そしてドルカスもまた、やもめたちによって、生かされ、生き返ったのである。身の回りにある「なんでもない、さりげない、ありふれたもの」、しかし「なくてならぬもの」が、力を与える物事となる。これこそがキリストの復活の力であろう。