非常に古典的なひとつの問いがある。ひとり無人島に生きなくてはならないとして、ひとつだけ許されるとしたなら、何を持って行くか。かつて欧米ではよくなされた質問である。現在のこの国で同じ問いを発すると、「無人島」という条件から、サバイバル、生存のために必要な道具を連想し、「ナイフ、飲料水、マッチ、釣り竿、アルミシート」等の災害時の防災グッズ、救命救急品が多く答えとして上げられる。さらに「ひとり」という条件に注目して、生命維持のための用品はさておき、一人ぼっちの生活に寄与するものを連想する向きがある。例えば「仲の良い友人」、その人が無人島に一緒に来てくれるかは不明だが。「スマホ」、これは現代の何でもできる魔法の小道具ともいえるだろうが、電源や回線のことが気になる。「看板」という答え、ここに「わたし」がいる、というアピールが必要なのだという。誰か見てくれる人が居ればいいが。「亀のえさ」、やはり他の生命を養い、支えることが、生きがいに繋がる、というのであろう。さて皆さんなら、何を持って行くだろうか。
さて今日はテモテへの手紙一の最終章から話をする。牧会書簡の内の一書である。「牧会」とは簡単に言えば「牧師の仕事」という意味だが、使徒パウロが弟子のテモテに、教会運営上の指示、アドヴァイスと与えるという形式で記されている故に、伝統的にそのように称されて来た。実際テモテは、実に長い間、パウロに仕え、この使徒の手足となって労した伝道者である。先輩の牧者であるパウロから、いろいろ指示やアドヴァイスを受けたことだろう。いろいろに臨床的な訓練を受けただろう、病気や投獄で自由にならず、よんどころない事情を抱える師の名代として、教会の現場にはせ参じることも、しばしばあったようだ。「何事につけ、先達はあらまほしきことかな」とはいうものの、このパウロと一緒に仕事をした、それだけでも偉いとほめてあげたくなる。このあくの強い使徒と、長年、共に仕事をした、つくづく頭が下がる思いである・
もっとも、この手紙が記されたのは、パウロの時代からは、40~50年程後の時代であると考えられている。パウロの時代は、ヘレニズムの世界に、教会がまだ誕生したばかり、生まれたばかりの頃である。しかし、この手紙が書かれた時代は、教会も数を増し、ある程度、規模も大きくなり、ユダヤ教とは一線を画してキリスト教として、もはや独自な歩みをたどっている。教理も次第に明確になって、ヘレニズムの教会間に、一定のつながり、コンセンサスが育まれている頃である。
ところが教会は、「からだ」、主イエスの身体と喩えられるように、いつも生きて動いているから、さまざまな問題をはらんで歩むことにもなるのである。人間の世界では、問題がない方が、よっぽど問題なのである。具体的にはどんな問題があったのか。4節、教会の中にいる人々が、議論や口論に「病みつき(病気)」になっている、という。新共同訳は上手く訳している。「病気になる」、人間はさまざまなものに依存して生きるのだが、議論や口論に夢中になりすぎると、病気になるらしい。皆さんは大丈夫か。
皆さんは、「議論」するのは何のため、と考えているだろうか。いろいろ異なる考えを突き合わせて、嘘や偽りを排除して、よりよい考え、もっと言えば「正しい」考えを明確にするため、と思うだろうか。古代、例えば、この書簡が記された頃の「議論」とは何か、一体、どのような場でなされるものであったのか。最も典型的なのは、ギリシャの哲学者プラトンが記した「シンポジオン(『饗宴』)」に見られるように、それは宴会の余興として供されるものであった。宴会ではじめに一同の「会食」が行われ、食事が一通り済むと、次いで「酒宴」と相成る。私たちのおこなう「聖餐」も同じ手順を踏んでいる。その酒が供される場での一番の目玉が「議論」なのである。宴会の亭主(ホスト)から、今日のテーマ(話題、お題)が提示されると、我と思う者が起立し、熱弁を繰り広げ、宴会に招かれた者たちは杯を傾けながら、その議論を聴くのである。そして演者の話が一通り巡ると、誰の話が一番面白かったか、心を熱くさせたか、魅力的な弁論であったかを、評するのである。もっとも、その頃にはみな、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたことだろう。そういう宴席で、もっとも評判が高く、酒にも強く、人気があったのが、やはりソクラテスであった。
これで知れるように、本来「議論」とは、正、不正を明らかにし、判別するものではないのである。人間の多様な、複雑な、ひとり一人の考えを、聴くためにある。問題は誰が正しいか、間違っている、ではない。世俗の「議論」は、宴会の場でなされたが、では教会の議論の場は、これもまた祝宴なのだが、主イエスのよみがえりを喜び祝い、再び主の来られる時を待ち望む祝いの宴なのだが、実にこれが「礼拝」という場なのである。もちろん、世の中の宴会のように、ささやかな食事が供せられ、杯が挙げられる。その祝いの席で、主イエスのみ言葉を新しく聞き、神のみこころを再び心に刻もうというのである。
ところが礼拝において、教会のさまざまな人々が話をする、いろいろと主の言葉の解き明かしがおこなわれ、信仰の証がなされて行く。そして語られた事柄について、あれこれと語り合われる。そこで問題となったのは、ことさら「正しさ」が前面に押し出される。ということであった。そこで、人の正しさを立てようとすると何が起こるか、「ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じる」というのである。そもそも教会の議論は、いろいろな人の話を聞きながら、誰が正しい、何が正しいかではなく、そこに神がどう語り、どうみこころを表そうとなさるのか、を共に聞こうとすることに焦点がある。だから激しい議論になることがあっても、最後に祈って「アーメン」があるなら、それで終わりなのである。また次の時には、新しく聞くのである。
今日のテキストで、根源的な問いかけが7節に記されている「なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです」。人間の生の原点を語る警句のひとつだろう。「我唯足るを知る」という禅の言葉があるように、「どんなにたくさんのものを持っていても、人の命は持ち物によらない」と主イエスも言われる通りである。人間は手を握り締めて生まれて来て、最期は手を開いて死んで行く、と言われる通り、どれ程のものを手に入れたとしても、あの世に持って行くことはできない。そういう「無常」の教えを聖書もまた語っている、とも言えなくもない。
しかし聖書は「生きる」ことを問題にする。あの世には、何も持って行くことができないから、今、何をもって生きて行こうとするのか。この世では、何も持たずに生きることはできない相談であるが、あれもこれもと手を拡げれば、何でも掴もうとするなら、生きることにがんじがらめになってしまい、これまた命を擦り減らうことにもなるだろう。生きるに必要なものは何か、あなたは今、何をもって、生きようとするのか。
「切り花は、命がないから嫌いだ」とかつて言われた方があった。この方は画家なのだが、これまで花を題材にたくさんの絵を描いて来られた。満開の桜が描かれているが、電気を消して薄暗い照明の中で見ると、夜桜に見える。絵とは面白い。その方が描くどの絵も土に根を下ろしている花々、樹木を写したものであった。何度か個展を開かれたが、いつも見事な木々や花の絵の下には、「ご主人様により売約済み」の但し書きが添えられていた。
こんな文章がある「ある夜、おそくまで仕事をしていた時、しいんと静まり返ったなかで、かすかだが何かが崩れるような音がした。その音は実際、耳にきこえたというより、体に感じられたと言ったほうがよかった。書棚においた花瓶の薔薇の花がくづれたのである。私はその時、これが日本人独自の華道の本質だろうと思った。切り花、それはうつくしく咲いた花がやがては静寂の中で崩れることを豫想している。花がうつくしければうつくしいだけ、そのはなびらがいつかは崩れる瞬間をその内にはらんでいる。死をふくんだ美。それが日本の華道なのだろう」(遠藤周作『春の花』)。
おそらくこの時、高名なこのキリスト者作家は、聖書のあのみ言葉を思い起していたことだろう。「今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はかく装いたまえば」、これは考えようによっては、生け花の心にも通じるものかもしれない。そして「うつくしく咲いた花が、やがては静寂の中で崩れること」を示唆するものでもあろう。
先の文章はこう続く「私は息子に今年、五坪ほどの地面をやった。彼はそこにキュウリも、パンジーも朝顔もトウモロコシも滅茶苦茶にうえた。一日のうち一度はじっとその前でしゃがみ、まだ芽が出てこないかと待っている。私は彼がそれによって『育てる』ことの楽しさを学ぶことを期待している。草花は決して人間を裏切らぬ。こちらが努力したその分だけのうつくしい花を咲かせてくれる。それがたのしい」。
人間はこれが必要、と思ったものをもって生きてゆく。それがその人自身を育てるのである。自分の持っているものを地に蒔いて、「一日のうち一度はじっとその前でしゃがみ、まだ芽が出てこないかと待っている」こういう生き方は、楽しいであろう。神が育ててくださる果実、咲かしてくださる小さな花を、世に残して、手ぶらで旅立つのであろう。その果実や花は、他の人ばかりか、神ご自身が、美しいと見てもらえたら、これほどの至福はないだろう。