秋も深まり、「芸術の秋」にふさわしく近辺の美術館でも、さまざまな企画展が催されている。足を運ばれた方もいるだろう。ジョン・エヴァレット・ミレイという画家、1829年イギリスで生まれた人である。彼の作品の内に、自分の子どもをモデルにして描かれた絵画がある。しばしご覧いただこう。きちんとした、身なりで真剣なまなざしをまっすぐ前を向けて、じっと聴き入っている幼児、おそらく3歳くらいの女の子が描かれている。絵の題名は『お説教』、この表題から、連れて行かれた教会の礼拝堂のベンチに座り、初めての体験に緊張し、凛として端正なたたずまいで座っている幼児の心が巧みに描き出されている。皆さんもかつてこんな時がなかったか。
この絵にはもうひとつ続きがある。こちらには『二度目のお説教』という題が付されている。この題名を聴くだけで、どのような絵柄か、大体想像できるだろう。「やっぱり」という印象である。二度目で退屈したのか、ふと緊張が解けて、無防備な格好で眠ってしまっている様子が描かれている。退屈して飽きてしまったというより、安心しきって眠っている、と評した方がよいだろうか。それにしても、こういう絵を描けるということは、ミレイという画家が、つくづく幸せな生涯を送った人なのであろう、という想像が働く。
礼拝に与るとは、聖書では「神の言葉を聞く」ことである。先ほどの絵画ではないが、み言葉を前に、しわぶき一つ漏らさず食い入るように、それに向かうというのは、もちろん望ましい態度や姿勢であるだろう。但し二枚目の絵のように、み言葉の中に安らかにたゆたうということも、またあながち否定できないだろう。主が身そば近くにおられることに増しての、人の安心、平安はないだろうから。それをもこの絵は物語っていると言えるかもしれない。
今日は「申命記」からお話をする。この書物の題名は「漢訳聖書」に由来し、「繰り返し命じる」という意味を持っている。旧約の最初の五つの書物は、ユダヤ教では「律法」と称され、ユダヤ教信仰の根幹とみなされているが、「申命記」の内容は、最初から四番目までの文書の「律法」を、再度まとめて語り直しているような趣を持つからである。ユダヤ教での題名は「言葉(ディバリーム)」である。
この書のそもそもの由来について、旧約の列王記下22章にこのような逸話が伝えられている。ユダの王ヨシヤの治世18年に、王は神殿の破損個所の修復を命じる。その改修工事中に神殿の床下から「律法の書」が発見されたという。8節~「大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、『わたしは主の神殿で律法の書を見つけました』と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた」。その書が膝下に届けられると王は、このもう一つの律法の書を基に、大胆な宗教改革を始めたという。紀元前7世紀の出来事である。そのムーヴメントのいわば「台本」となったのが、神殿の床下に埋められて改修中に発見されたかの書、現在「申命記」と呼ばれる律法の書の中核部分ではなかったか、と学者たちは考えている。偶然にしては上手すぎる成り行きであるから、恐らくこの改革を推し進めた宗教的勢力が、背後に存在したということだろう。
今日の個所では「預言者」という言葉がキイワードである。15節「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる」。「わたしのような」の「わたし」とはモーセのことである。ヘブライ人の家に生まれ、幼くしてナイル川に流されるが、ファラオの王女に拾われて養育され、エジプトの王子のひとりとなった。しかし同胞を殺害するというスキャンダルによってエジプトを追われ、ミディアンの羊飼いに身をやつし、しばらく静かな家庭生活を営む。しかし神の山ホレブにおいてイスラエルの神に出会い、奴隷として苦しむイスラエルの人々を、エジプトから導き出せとの召命を受ける。「引き出された者」という意味を持つ名の如く、劇的な生涯の人である。
イスラエルにとって、モーセは偉大な指導者であったが、彼は自らを「預言者」として理解していた。「預言者」とは、神から直に啓示を受け、神からみ言葉を託され、人々にこれを告げる役割を担った人である。「神の言葉を告げる」、それ以上でも、それ以下でもない。旧約に連綿たる預言者の名が記されているが、年齢も、身分も、立場も、職業も、性別も、活動期間もまちまちで、実に多様な人々が、この役目に従事している。何か資格があるのではない、何か条件があるのではない、何ほどかの特別な資質が求められるのでもない。たただ神の呼びかけによって、この任務に携わるのである。だからその役割の重責に、しり込みし、逃げ出す者もあった。それでもみ言葉に引っぱられて、あるいは押し出されて、どうしても語らざるを得ないゆえに語った、そういう人たちである。
「主はあなたの中から、あなたの同胞の中から」預言者を立てられると言われる。すぐ身近なところから、あなたの隣近所から、預言者、神の言葉を伝える者は選ばれ、任命されるのである。人間的には、極く普通の、どこにでもいそうな、世間の人が、神の言葉を伝える。しかしこれこそがイスラエルの信仰の生命線であった。信仰とは、「冠婚葬祭」といった特別な場合のしきたりや慣習ではなくて、普段の日常生活の、今日生きるという時と場所の問題なのである。高貴な家柄出身で、古い伝統に従って育まれ、特別な資質を持つとみなされる人物に、その任が委ねられるのではない。
イスラエルの人々は、神の山ホレブで神の言葉を聞いた時に、「主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないように」求めたと言う。かつて奴隷の地エジプトを後にして、荒れ野を彷徨うイスラエルの人々は、神の山ホレブの麓で、神の声を聞き、その栄光をその目で見たのである。疑いの中にあった人々にとって、念願の神との出会いである。自分の目で確かめた、それではそこに大きな喜びがあふれたか、そうではない。その時、人々はみな打ちひしがれて、打ち倒されて、死んだようになった、と伝えられる。本来、神のみ言葉とその栄光に前に、人間は耐えることができない。太陽ですらも直接見るなら、目がつぶれて見えなくなってしまうだろう。ましてや人は、その罪のゆえに、直には神の言葉に耐えることができない。だから神と人との間にあって、「神の言葉」を、「人間の言葉」によって取り次いでくれる「預言者」が必要となるのである。その預言者を、実にあなた方の間に、手の届くところに、立てられると、神は約束された。手を伸ばし、心を向ければ、神の言葉は確かにあなたのそばにあるのである。神の言葉は、「あなた方の間に、そしてあなた方の同胞の中から」と語られる。つまり神の言葉は、あなたがたの生活のただ中に、その真ん中に、やって来る、というのである。はるばる千里の道を超えて、患難万苦の修行の末に、ようやく手に入れられるというようなものではない。「み言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」。
内田樹氏が、ある講演の中で、この国のミッション・スクールの成立について、このような見解を語っている。「神戸女学院は、明治8年創建なので、もうすぐ150年になりますが、アメリカからやってきたタルカットとダッドレーという二人の女性宣教師が神戸で開校した小さい塾から始まります。この2人の宣教師はサンフランシスコから船に乗って太平洋を横断して日本に来るんですけれど、出航時点においては、まだ日本ではキリシタン禁制の高札が掲げられていたんです。『社会のニーズ』どころじゃない。『来るな』と言われているところに来たわけです。『社会的ニーズ』はゼロというよりマイナスだったわけですよね。でも、『来るな』と言われても行きたい。どうしても教えたいことがある、伝えたいことがある。そうやって神戸で小さい学塾を始めたら、そこに少しずつ引きつけられるようにして子どもたちが集まってきて、いつの間にか150年が経っていた。
建学の時点において『社会的なニーズ』がゼロであったということはとても大きいと思うんです。ニーズはなかったけれど、代わりに『教えたいこと』があった。『伝えたいこと』があった。『こういうような教育をしてください』というニーズがあって、それに応じて『はい、分かりました』というので何か知識や技能を教えるというようなかたちで私立の学校教育は始まったわけじゃありません」(内田樹「自由の森学園創立40周年記念講演『教育と自由』」。
神の宣教、そのみ言葉はどのように告げられるか、現在も、そして聖書の時代も、全く同様であった。人々のニーズにこたえてというのではない。神自らが語られるのである。そのために「あなた方の間に、そしてあなた方の同胞の中から」み言葉の役者が立てられる。人知れず、ベツレヘムの家畜小屋の中に、飼い葉桶の中に、神の人は誕生される、人知れず、人の心が思いも浮かべない時に、「手を伸ばせばそこに」み言葉は告げられる、それこそ主イエスのことに他ならない。主イエスは私たちの救いのために人となってくださった。すぐ隣にお出でくださった、まさに共なる方である。